真相を伝える際に、まず自分の観念を変える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年6月29日】同修の『原点を守ってネットで真相を伝えよう』との交流文章を読みました。文中で提起された問題は確かにとても大事で、私達が注意しなければならないのですが、そこから私は他の問題を考えました。

 今の若い世代は、中国共産党の無神論の教育を受けて育ったため、神を信じる人は極めて少なく、たとえ大法の中で成長した若い修煉者でも、大勢の人の前で「神を信じている」と堂々とは言えません。私もそうです。同世代の人に馬鹿にされるのを恐れ、自分を守る心理が働いているからです。普段から先輩同修が「誠心誠意に『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じれば、災難から免れることができる」と人に伝えると、神を信じない人達から、とても軽蔑した目で見られ、汚い言葉を吐かれます。このような場面を多く見た私は、心の中でこの真相の伝え方に疑問を持ち、否定しました。そのため、私はいつも大法の素晴らしさと、共産党の邪悪さだけに焦点を絞って真相を伝えました。

 同修の文章の中に「常人の観念と衝突しないために、常人の理解を超えるような言葉を使うべきではない」と書かれていました。しかし、これまでの自分の真相の伝え方を振り返って考えると、何か欠如しているように思いました。特に目下、周知しているように中共ウイルス(武漢新型肺炎)が猛威を振るっており、誠心誠意に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じて、初めて転機が訪れます。人々は一時的に信じてくれないかも知れないが、窮地に陥った時、救われる機会さえあれば、どんな方法でも試して見ようというのは人の心理ではないか? 自分が馬鹿にされるのを恐れて、命を救う秘訣を人に教えないのは、利己的過ぎるのではないか? と思いました。

 もちろん同修の文章はネットで真相を伝える場合の注意点を言っていますが、しかし、「絶対的」という事はありません。修煉者は真相を伝える際に「神佛が実在しており、人間が神佛を信じる社会は正常な社会である」と、まず自らの観念を変えなければならないと思いました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/17/407784.html)
 
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