警官に殴打された黒竜江省の王淑坤さんが死亡
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 【明慧日本2020年7月18日】黒竜江省牡丹江市海林市の法輪功学習者・王淑坤さん(女医)は2020年6月末、元の勤務先に呼び出された。王さんは勤務先の病院へ行ったが、警官が待っていた。警官は王さんに暴力を振るい、29年間も陳情を続けてきた夫も、法輪功を学んでいることを認めさせられた。殴打された王さんは、7月2日に死亡した。享年66歳。

王淑坤さん

 海林市方興小区在住の王さんは、海林市海林鎮病院を定年退職した後、再雇用された内科医だった。武漢肺炎の疫病の蔓延で、王さんは家で待機していた。2020年6月末、病院側の党委書記・韓艶は王さんに電話をし、院長・陳広群が王さんを探していると言って、王さんを病院に呼び出した。

 そして、仕事の再開だと思った王さんは、病院へ行ったが、海林市第一派出所の警官たちが待っていた。警官は王さんに「三書」を書かせ、夫・于小鵬さんに法輪功を学んでいることを認めさせようとしたが、王さんは拒絶した。

 それから、警官はその場で王さんを殴打し「三書」にサインを強要した。警官は「サインをしないなら、お前の夫が法輪功を学んでいる証明を誰かに書かせてやる」と脅迫した。殴られて足の痛みに耐えきれなかった王さんは、帰宅することを要求したが、警官に「また、お前を呼び出してやる」と脅迫された。

 王さんは病院で殴られたとき、誰も警官の暴力行為を阻止してくれなかった。数時間後、王さんは帰宅させられた。

 負傷した王さんはマンションの階段を上るとき、手足を共に使いながらやっと家についたという。殴打されたことを夫に話すと、短気な性格の夫が命がけで警官とやり合うと思った王さんは夫に話さなかった。しかし、夫は帰宅した妻の体があざだらけで、膝を骨折し汗びっしょりの姿を目にしたという。

 心身ともに巨大なダメージを受けた王さんは、7月1日夕方から、めまいや気持ちが悪いなどの脳出血の症状が現れた。翌朝4時25分、王さんは脳幹出血症状が出て、突然、亡くなった。

 そして、7月4日、王さんの遺体は海林市火葬場で火葬した。妻の棺の前で夫・于さんは「妻はひどいめにあって死亡した。妻はとても可哀想だ。それらの人を許さない」と大泣きした。

 王さんが亡くなった後、警官は王さんの夫に王さんのことを「ネットで言うな」と脅迫してきた。

 王さんは2010年、海林市公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官により出勤途中に連行された。その後、警官は王さんの家を家宅捜索し、王さんに労働教養処分を科した。身体検査の結果が不合格だった王さんは、教養所側に入所を断られたが、警官に1万元(約15万3000円)を強請り取られたあと、帰宅した。

 王さんの夫・于さんはかつて、海林市病院の外科医だった。29年前、ある殺人事件に巻き込まれて警官1人が死んだ。その警官は、カラオケ店で人と争ったとき、銃で相手を脅迫したため、相手からナイフで太ももを刺され、海林市病院に搬送された。傷口を処置したとき、麻酔のミスで警官は死亡した。それで、院長・欒玉林はその事故を隠すため、当直だった于さんに圧力をかけ「大動脈の損傷で失血が多くて、死亡した」と嘘のカルテを書くように指示し、死者の足の傷をもっと深めてやれと要求した。しかし、于さんは従わず、拒否した。そのため、院長は于さんの仕事を停止した。あれから、于さんは一度も出勤できなかった。その後、ある時期、于さんは自分で診療所を開いたことがある。

 于さんの29年間の陳情で、収入はあまりなかった。王さんは家庭の生活を維持するために、定年退職しても再雇用を受けた。ある日、于さんが北京へ陳情に行くとき、海林市の当局の陳情防止の人員(陳情者が北京に行かないようにと止めたりする者)に殴打され、意識不明になったが、死んだと思われて埋められた。埋める途中で于さんは目を覚ましたが、陳情防止の人員にそのまま捨てられた。しかし、命を取り留めた于さんは、29年間、陳情し続けたが、結果は得られなかった。

 しかし、于さんの存在は海林市公安部門の悩みの種となった。警官は王さんに、夫の于さんも法輪功を学んでいると認めさせて、江沢民グループが法輪功に対して「拷問して死んだら、自殺とする」という政策を利用して、于さんが迫害に加担することを企んだという。

 善悪には応報がある。王さんへの迫害に参与したものは天理の懲罰から逃れることができないのだ。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/8/408716.html)
 
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