河南省洛陽市の兄弟三人 迫害により死亡
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中共に迫害された家族

 【明慧日本2020年7月27日】河南省洛陽市洛寧県東宋郷に在住の陳家坑さんの三人兄弟(長男・陳躍民さん、次男・陳少民さん、四男・陳孝民さん)は法輪功の修煉を堅持し、真善忍に基づいて自分を律し、道徳を高め、良い人になろうとしていたが中共の迫害により死亡した。

 長男の躍民さんは2度にわたって監禁され苦しめられた。懲役5年の判決を言い渡され鄭州刑務所で迫害された。不明な薬物を注射され、全身から力が抜けた。2011年4月に冤罪が晴れないままこの世を去った。妻・李発栄さんは2014年に懲役4年の判決を下され、不法に新郷女子刑務所に拘禁された。

拷問の再現:毒を注射される

 次男の少民さん、四男の孝民さんの二人は2016年6月6日、7日にそれぞれの職場で地元の派出所の警官に連行され、不法に判決を下され、鄭州刑務所に拘禁され酷く迫害された。少民さんは2018年に重病のため一時的に出所したが2019年5月14日に冤罪が晴れないままこの世を去った。医者の診察によると少民さんの肺はすでに腐っていた。孝民さんは迫害により危篤の状態に陥り、痩せこけてしまい、2020年1月18日に家に帰ってからも食べ物が喉を通らず、3月10日に冤罪が晴れないままこの世を去った。

 1999年7月20日に中共が法輪功を弾圧してから少民さんと孝民さんは陳情のため北京へ行ったが逮捕された。年配の父は、あちこちに息子の行方を尋ねたが、殴打され、苦しい目に遭い、2年後に冤罪が晴れないままこの世を去った。

 一、長男・陳躍民さんは不当に懲役5年の判決を下され、拷問に苦しみ、この世を去った

 長男の躍民さんは三門峡市繊維機材工場の職員である。1999年7月20日以来、幾度となく地元の政法委、610、公安局、派出所、町内会の人々に生活を撹乱された。1999年7月に躍民さんは仕事中、不法に1週間にわたって事務所に閉じこめられた。

 2000年6月に躍民さんは中共の警官に連行され、不法に三問峡市留置場に9ヶ月に渡って拘禁された。幾度となく拷問に掛けられ自白を強要され迫害を受けた。長期にわたって数十キロの手錠、足かせをはめられただけでなく、何度も炎天下の中、短パンでマンホールの蓋の上に土下座させられ、日に当てられた。頭上に数枚のレンガを置かれて、約7ヶ月にわたって苦しめられた。家族は5000元をゆすられた後、保証人を立てて釈放された。

拷問の再現:手錠、足かせをはめられる

 2001年6月に躍民さんは住宅街で真相資料を配布し、真相を伝えたときに告発され再び三問峡市留置場に拘禁された。610弁公室より指示を受けた警官に幾度も拷問に掛けられ自白を強要され迫害された。釈放されず、裁判所と共謀し躍民さんに懲役5年の判決を下した。

 躍民さんは鄭州新密刑務所で迫害され、不明の薬物を注射され、危篤の状態に陥った。刑務所で働けず釈放された。釈放されても、注射をされた薬物の影響で、全身の力が抜け、手足も力が入らず、腰が痛い等の症状が出た。

 躍民さんはまだ若いのに健康を失い、仕事も解雇された。一家は生活を支えきれず、巻き添えになった。幸せだった家族がこうなってしまった。

 躍民さんの娘はまだ学生で、唯一の収入源は妻が毎月稼ぐ600元だった。その後、職場のいわゆる体制の変更のために仕事を失い、収入源もなくなった。躍民さんはやむを得ず生活と娘の進学のため、体調が崩れたままアルバイトをしていた。にもかかわらず良心のかけらを失ってしまった三問峡市の中共の政法委、610弁公室の警官らは時々、公安局、派出所、町内会の人々を連れて生活を撹乱しに行っていた。人間性を喪失する程に虐げられ、プレッシャーも掛けられ、ますます体調が悪化し、完全に仕事の能力を失った。2010年に躍民さんは仕事をやめ、家で休養した。

 若い男性で身長は170cmぐらいの躍民さんは迫害により腰が曲がり猫背になった。70代の人より酷くなっている。痩せこけて、全身の力が抜けてしまい、家族を支えきれず、非常に苦しんでいる。それから寝たきりになり、食べ物が喉を通らず、眠れず、10年間迫害され続けた躍民さんは、2011年4月26日夜明けに急病でこの世を去った。まだ48歳だった。

 躍民さんが亡くなる前、突然強風になり、にわか雨が降ってきた。まるで神様が怒っているのかのようだった。躍民さんの遺体は遺体安置場に三日間預けていたが三日間ずっと風が止まなかった。28日に火葬する日に朝から黒い雲が上空に沸きたち、にわか雨も降ってきた。

 二、次男・陳少民さんは2回にわたって不当に労働教養を強いられ、刑務所で迫害され死亡

 次男・少民さんは2回にわたって不法に労働教養にされ、2度にわたり判決を下された。2回目の労働教養の前に少民さんは洛寧県留置場に拘禁され、手錠、足かせをはめられながら行き来させられた。

 洛陽五股路労働教養所では、毎日一人の法輪功学習者を4人の受刑者が監視していた。学習者は、お互いに話も許されなかった。ある日、少民さんは法輪功学習者の袁相乾さんと話していたら監視中の受刑者に暴力を振るわれた。

 ある日の夜、少民さんが煉功しているのを見つけられ、服を全部脱がされて、ベッドに押さえられて、分厚い竹の板で叩かれた。少民さんのお尻は叩かれて青あざで腫れあがった。

 2004年9月、少民さんは強制的に許昌河南省第三労働教養所に入れられた。当時、昼1時頃だったが三大隊一中隊の警官・都政濤がちょうど当番だった。少民さんはしゃがんで話すように命令されたが拒否し、立ったまま真相を伝えた。一中隊の警官・閻磊、徐祖盛がご飯を食べて帰ってきて、その場を見て何も言わずに少民さんを隣の談話室(法輪功学習者を迫害するところ)に引きずって行き、縄で縛ってから皮で作られた棒で殴った。他の人が再び少民さんに会った時には、少民さんは既に足を引きずって歩いていたという。

拷問の実演:酷く殴られる

 警官・都政濤が再び少民さんと話をする時には、少民さんはしゃがむことができなくなっていたが、無理やり土下座させられた。現場にいる警官はやめさせようとせず、「転向」させようとした。少民さんはそれでも根気良く真相を伝えた。

 数日後の夜にみんな寝ていたときに一中隊の隊長は少民さんを呼び出した。翌日、少民さんの顔に青あざがついていた。縄で縛られただけではなく皮靴で顔を叩かれ、「転向」を強要されたそうだ。

 2004年11月23日に三大隊の隊長・師宝龍は足で少民さんの首を踏みつけして、警官・譚軍民、徐祖勝、閻磊三人が警棒で少民さんの性器を強く打った。電気棒で全身を攻撃し、ベルトで全身を叩いた。少民さんは血だらけで皮膚も焼け焦げた。暴力を振るわれた後に警官・師宝龍による指示で、受刑者・穆俟東、王大磊に迫害され続けた。穆俟東は、少民さんの親指を押し曲げて都正濤の前に土下座させ、法輪功を誹謗中傷させようとしたが、拒否されたため再び暴力を振るった。

拷問の実演:暴力

 修煉をやめさせるため三大隊一中隊長・許水旺、許祖勝、閻磊らは長期的に少民さんを迫害し暴力を振るった。30回にわたって両手を後ろにし手錠をかけられ、電気棒で攻撃され、ゴムの塊で左足を叩かれため怪我をし、受刑者・聶勇に指示をして、殴られたり、罵られたり、侮辱されたりした。ある日、聶勇は非道にも自分の性器を少民さんの口に入れ、狂ったように「転向」しなければ、小便を飲ませてやると叫んだ。

 少民さんは不法に労働教養された期間中、警官、受刑者らに苦しめられ、左足が殴られて化膿し、左耳も毒が入っている薬を注射され化膿し、やせて骨と皮だけになり、常に眩暈がしていた。

 迫害の責任者は、警官隊長・許水旺、指導員・許祖勝、隊長・閻磊、受刑者・聶勇などで、背後で指示していたのは、教転事務所・李主任(背が小さい、肌色黒い、50キロ)である。

 2005年11月に少民さんは労働教養期間を終えたが、釈放されず、でっち上げの罪名で1年間刑期を延長され迫害され続けた。

 2016年6月6日、7日に孝民さん、少民さんは河南省三門峡の職場で地元の警察に連行された。孝民さんはデスクトップ一台、ノートパソコン1台、プリンタ一台、現金などを没収された。陳少民さんはノートパソコンを一台没収された。情報筋によると二人は5,6名の警官に押し倒され、無理やり連れて行かれた。

 兄弟二人は三門峡市の留置場に拘禁された。拘禁された1年の間、家族に知らせず面会も許されなかった。その後2017年7月に不法に懲役を下された。

 少民さんは河南新密刑務所に移送され迫害された。そこから出てきた法輪功学習者の話で少民さんは刑務所で拷問に処されていたそうだが、詳細は知らないそうだ。少民さんは当初は元気だったが、2018年重病のため一時的に出所してから自立生活ができなくなっており、また多くの病気を患っていた。

 少民さんは2019年5月14日の夜明けに、冤罪が晴れないままこの世を去った。医者の診察によると少民さんの肺は全部腐っていたという。

 三、四男・陳孝民さんは労働教養を強いられ、迫害により死亡

 躍民さん、少民さんが次々と迫害により死亡し、続いて四男・孝民さんも鄭州市新密刑務所で迫害され、家に戻った1ヵ月後2020年3月10日に冤罪が晴れないままこの世を去った。享年51歳だった。

 孝民さんは鄭州市新密刑務所、第三監所で迫害され、骨と皮ばかりになり、危篤の状態に陥った。家族は幾度も釈放するよう求めに行って、2020年1月18日にやっと釈放された。家に戻った後、食べ物が喉を通らずに3月10日にこの世を去った。

 孝民さんは、以前に河南省労働教養所三所で迫害されたことがある。2005年4月17日の午前に警官・賈子剛、劉天勛、徐水旺三人は孝民さんを縄で縛って、電気棒で頭部、顔を攻撃した。午後に副大隊長・譚軍民は自ら出向いて指示し、賈子剛、徐水旺の二人は縄で孝民さんを縛って電気棒で全身を攻撃した。徐水旺は縄を緩めるときに孝民さんの背中を強く叩いた。午前中から午後に掛けて縄で孝民さんを苦しめた。縄の拷問は非常に残酷で、細いナイロンロープで人を特殊な方法で縛る。両手を後ろで縛ってそして、首まで引っ張られ、肉にきつく食い込み、動くこともできない。一回で30分、絶えず縄できつく縛る、そして30分後に緩めてから再び縛る、酷い場合は縄が肉に深く食い込み、両手の感覚を失ってから元に戻らない。

拷問の実演:上縄

 2016年6月6日、7日に孝民さん、少民さんは河南省三門峡の職場で地元の警察に連行された。孝民さんはデスクトップ一台、ノートパソコン1台、プリンタ一台、現金など没収された。少民さんはノートパソコン一台没収された。情報筋によると二人は5,6名の警官に押し倒され、無理やり連れて行かれた。

 孝民さん、少民さんが連行されて、家に70代の母親が一人残された。迫害により亡くなった長男のことを想い、懲役に下された長男の嫁のこと、次男と4番目の息子の事を心配して毎日泣いていた。

 兄弟二人は三門峡市の留置場に拘禁された。拘禁された1年の間、家族に知らせず面会も許されなかった。その後2017年7月に不法に懲役を下された。

 情報によれば、2017年以降、新密刑務所で孝民さん、少民さん兄弟2人はひどい迫害を受けていたそうだが、中共による情報封鎖のため、詳しい状況はわからない。

 孝民さんは鄭州市新密刑務所、第三監所で迫害され、骨と皮ばかりになり、危篤の状態に陥った。2020年1月18日に釈放されたが、家に戻った後、食べ物が喉を通らずに3月10日にこの世を去った。

 義理の姉・李発英さんは不当に懲役4年の判決を下された

 躍民さんの妻・李発英さんは三門峡市会社幼稚園の教師である。夫が迫害され不法に懲役5年の判決を下されてから、理由もなく減給され、いじめられて仕事に来させないようにされた。一人で生活の重荷を背負って、中学生の娘を育てた。厳しい環境の中で、真相を伝え、衆生を救い済度し、善と忍、慈悲、智慧、正気を持って会社の同僚、上司、親戚及び友人らに好評を受けた。

 2014年8月10日に李発英さんは法輪功学習者・高鳳潔さんと一緒に市開発区で真相資料を貼り付けた時に真相を知らない人に通報され、開発区公安支局の警官らに逮捕されて三門峡留置場に拘禁された。

 2015年1月26日に湖濱区裁判所は家族に知らせず、不当に裁判を行った。ちょうど高さんの家族が尋ねに行った時に裁判所の掲示板に今日午後五時に李発英、高鳳潔の裁判を行うという貼り紙を見かけた。五時まで待っていた家族は李発英さん、高鳳潔さんを警官が連れて入ってきたのを見た。当時公安、検察、裁判所の人しかいなかったという。

 裁判官はいい加減にいわゆる犯罪事実を読んで終わらせた。高さんの家族が高さんに食べ物を買って渡そうとしたが許されなかった。面会も許されず、何かあっても家族に知らされなかった。

 2015年1月25日に湖濱区裁判所は密かに李発英さん懲役4年、高鳳潔さんは懲役5年の判決を下した。上訴したが無視され、新郷女子刑務所に移送され拘禁された。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/29/408037.html)
 
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