求める心を取り除いた後、楽になった
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年8月1日】初めて『轉法輪』を読み終えた後、私は自分に言いました。「これからは、時間を無駄にしないように修煉していきたい。『法輪功』はなんと素晴らしい功法でしょう。三界から出ることができる。輪廻しなくても済むし、病気もなくなり、病院に行く必要もない。老けることもない」。長い間、私はこのような考え方に問題があるとは思っていませんでした。

 昨年、私は地元に戻ってお正月を祝いました。その間、自分は常人と同じようにゆったりのんびりと過ごしました。しかし、いけないことですが、私は大法のことをすっかり忘れてしまい、体の調子が悪いときだけ大法のことを思い出していました。自宅に戻ったら、なんと学法もできなくなっていました。内に向かって探してみましたが、原因が見つかりませんでした。

 数日後、この段落の法を暗記した時、「ここまで堕ちてしまったら、功能の角度から見ても、あるいは大覚者の立場から見ても、これらの生命体は本来消滅されるべきものでした。しかし、大覚者たちがその慈悲心により、彼らにもう一度機会を与えたので、このような特殊な環境、特殊な空間ができあがったわけです」[1]、私は気づきました。人間の環境は最も苦しいのです。もし私が修煉者として問題を見ていないときは、きっと常人の目線で問題を見ているのです。そうであれば、私は苦難に抵抗しているのです。初めて『轉法輪』を読んだ時は、私は常人のように大法から何らかのメリットを求めて、大法を学んでいたのです。大法から恩恵をもらったとか、特に身体上でのメリットを感じてしまうと、のんびりしてもいい、一休みしてもいいと思ったりします。大法から頂いた恩恵で、自分の気楽な暮らしを味わってしまいます。私は今、やっと分かりました。どうして病業がひどくなればなるほど、精進したり、正念も強くなったりするのか、どうして体の状態が少しでも良くなったりすると煉功しなくなったり、精進もしなくなるのかということです。つまり大法から何らかのメリットを貰えるのではないか、という根本的な執着心があるからです。

 今、私はやっとこの執着心を見つけることができました。私は自分にこのように言い聞かせました。「これからは、自分は純粋な修煉者になります。人間の中のすべての執着心を放下します。家庭や職場、社会、そして全ての環境の中で誰が良いか悪いか、公平か不公平か、損をするかどうか、特に身体の痛みがあるかどうか、苦労しているかどうか、楽になれるかどうか、そのような思いを全て放下します。もし私にこのような思いが出たら、僅かなことだとしても、直ちに掴んで取り除きます」

 それからしばらく経ちましたが、今では堅実に修めている私にとっては、修煉は本当に難しいことではないと感じるようになりました。以前、私が一番悩んでいたことは朝の煉功でしたが、今では抵抗なく、淡々と大法の要求に従って行なっています。身体上の何らかの感覚も気にしなくなりました、師父が私達に最も良いものをくださっていることだけを信じています。求める心を放下すると私は本当に楽になりました。まるで無為状態に達しているようでした。

 以上は個人の次元で悟ったもので、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/3/9/383621.html)
 
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