希望が見えない時 動揺せず確固として正念を貫く
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 文/日本の大法弟子

 【明慧日本2020年9月12日】私たちは修煉する中で、乗り越え難い関に遭遇し、さらには希望が見えない時があります。私もこのように感じた時がありました。しかし、大小の関を乗り越えた後、私は自分の観念を変えて動揺せず、固い正念を保つことさえ出来れば、どのように絶望的に見えたとしても、最後は「柳暗花明」の結果を迎えることができることに気付きました。そして、私の修煉は最初関を乗り越える時には苦しみしか感じませんでしたが、今になっては、修煉とはこれほど素晴らしいものなのかと感じるようになりました。なぜなら実践しさえすれば、一層、また一層の関を乗り越え、夜明けを迎えることができるからです。

 法輪樁法の抱輪をするなかでの堅持

 最近のある日、私は抱輪樁法をする前までは体調は何も悪いところはありませんでした。しかし、法輪を抱え始めたらめまいや吐き気、動悸などが現れて来ました。私はずっと堅持しましたが、50分くらい過ぎた時、卒倒しそうな感じがしました。その時私は自分の名前を呼びながら「今日人事不省になるとしても、堅持すべきだ」と自分に言い聞かせました。

 私は苦しみに耐えながら両手を挙げ続けました。その時、身体の辛さのほかに、別の空間から私の心に、一塊の物質が押し寄せて来ていると感じました。最初は心が乱れ、焦り出し、やがて心拍数も上がってきました。この二重の苦しさに、私は絶えず涙を流しました。そこで私は「これくらいの苦しみが何だと言うのか? 師父は私のためにどれくらい受け持たれただろうか? これくらいの苦痛にも耐えられないのか?」と自分を叱りました。このように私は極度の苦痛を感じ、55分頃にはいつ気を失って倒れてもおかしくないところまで至りました。それから、また2分続けました。

 その時奇跡が起こりました。57分になった時、急に身体のすべての不具合がなくなりました。心に圧しかかって来たその物質も私の身体から離れて行き、まるで先ほどの苦しさは夢のようだったと感じました。この全ては、私を向上させるための階段にほかなりませんでした。

 私は心の中で、師父が弟子のために業力を取り除いてくださったこと、そして私に業力の実質と修煉の中で、堅持の重要性をよりはっきりと分かるようにしてくださったことに感謝しました。

 法の暗唱を放棄しない

 学校へ通っていた時、私は記憶力が非常に優れていて、高校に進学する試験では暗唱だけの科目なら100点満点中97点まで取れました。しかし、法を暗唱することになると、それほど甘くはありませんでした。

 数年前、暗唱したことがありますが、毎回20ページくらい暗唱すると続けられなくなりました。明慧ネットで発表された同修たちが法を暗唱した体験談を読んで、私はこの状態を変えるべきだと思いました。暗唱し始めた時、思想業が絶えず邪魔をして、続けることは非常に難しかったのです。座っていても心が静かになることがなく、急にやらなければならないことを思い出したり、携帯電話にメッセージが届いたらすぐ見たりしました。自分でも魔の妨害だと分かっていながら自分を制御することができず、午後の時間に短い一段落しか暗唱できませんでした。

 このような状況を突破するために、私は常人の動画や、同修らのセルフメディアのビデオも含めて全部見ないようにしました。毎日仕事以外の時間は学法し、明慧ネットに掲載された交流文章を読んだり、三つのことをやりました。こうして心が徐々に穏やかになり、妨害も少なくなりました。

 法を暗唱する時は、声を出してできる限り集中するようにしました。一番効果が良かった時は、1日に5ページも暗唱でき、法を暗唱することに対する自信が生まれました。現在まだ暗唱は終わってはいませんが、毎日大体1ページくらいは暗唱できるようになっています。

 今になって法を暗唱し始めた時の状態を思うと、その時、私に法を暗唱できないようにさせ、心が静かにならないようにさせたのは、本当の自分ではありませんでした。しかし、当時は分別ができませんでした。いずれにせよ、私は放棄せずに続けました。そして師父はそれらの悪い物質を取り除いてくださいました。今は法を暗唱する時、難しいと思う考えはありません。しかも法の暗唱をすることによって、心を修める方面で大きな進歩があり、関を乗り越える時に心性を守ることができ、法の中で昇華する喜びも感じました。

 身体の関を乗り越え、どのように難しくても動揺しない

 一度激しい咳が出ました。咳が出るたびに腸が出てきそうに感じられ、周りの人はみな驚きました。咳の後は顔が赤くなり、汗だくになりました。

 以前も同じ経験がありましたので、私はこのようなことを無視し、やるべきことをやれば順調に乗り越えることができると分かっていました。しかし、今回はそれほど容易ではありませんでした。この関は大きいと思っていたのではないかと、自分の心を探してみました。激しい咳に上司は病院に行くよう言ってきました。咳が出ると周りの同僚がどう思うかと心配していたため、咳が出ることに恐れる心が生じました。私はこの心に気づくとすぐに取り除きました。

 当時、ほかの同修と交流しましたが、その女性の同修も、私に何の問題があるか見つけられませんでした。その根源が探し当てられなかったので、私は「自分にどんなに理解できないことがあっても、正念を保ち続けるべきだ」と言い聞かせました。すなわち、「この関を大きいものだと思わず、それらを気にせず、虚象に動じない」ということです。

 この状態が約2週間続きましたが、転機は訪れませんでした。当時、私はちょうど新しい仕事の面接を準備していました。給料も高く、作業環境も非常に優れていて、私にとっては貴重なチャンスでした。しかし、面接の当日私の咳は依然として制御できませんでした。もうすぐ面接が始まるその時、私は師父に加持をお願いしたり、発正念をしたりしました。思いつくすべての方法を全部試しましたが、少しの効果もありませんでした。

 この時、一つの考えが浮かんで来ました。「師父は、なぜ私の面倒をみてくださらないのか?」。私は直ちにこれは自分の考えではないことに気づきました。そこで私は自分の名前を呼びながら、「〇〇、いつまでもお前は師父に申し訳ないことだ、師父はお前にすまないことはないと覚えるべきだ」と言い聞かせました。その時思い出したのはミラレパ佛が修煉する時、どのように絶望した時でも師父に対して邪念がなかったということでした。永遠に師父に対する邪念を生じさせない、そして自分も必ずそうすべきだと思いました。

 その時は師父が周りにいらっしゃる感覚もなく、本当に絶望していましたが、面接まで5分しかなく、もう面接に入らなければならない時、どうしたらよいか全く分からなくなった時に、急に頭の中に、「法輪大法は素晴らしい、真、善、忍は素晴らしいと声を出して念ずるべきだ」という考えが浮かんできました。これはまるで、真っ黒な中に微かな蝋燭の光のようなもので、私の向かう先を照らしてくれました。私は大声で「法輪大法は素晴らしい、真、善、忍は素晴らしい」と念じました。念じ終わった瞬間、感動が湧き出しました。それは慈悲の力だと分かりました。目には涙が溢れ、心が穏やかになりました。師父が傍にいらっしゃるのだと感じました。もしかして、これは弟子が最後までしっかり行なえるかどうかを試すためだったのでしょうか。私ができたので師父は面倒を見てくださったのです。その後は何事もなく1時間の面接で一度も咳が出ることなく、順調に合格しました。その時から咳の症状は徐々になくなりました。

 執着に真っ向から積極的に反撃する

 私は、旧勢力に私たちの隙に乗じられ受動的に執着心をなくすより、積極的に執着をなくすべきだと思います。一度私は一つの執着に非常にかき乱され、主導的に滅しようと思って正念を発し始めました。そこではっきり感じたのは、それが確かに一種の物質であるということでした。それは私の肉体の心臓とつながっているらしく、私は痛みを感じました。

 私がそれを滅していた時は、それはずっと私に虚像を演化して見せ、どう滅してもそれは少しも影響を受けていないかのようでした。実際にずっと痛かったのですが、こちらの表現では「私」がずっと痛い感覚でした。「私」が痛いと感じてもそれを滅するべきだと私は思いました。そうでなければ私はいつもそれに操られます。私が滅しようとすればするほどそれは逆に猖獗になり、痛みもより強くなりました。ある瞬間には痛みが心臓の中で走り回っていて、私の心臓に噛みついている感じでした。

 私には自分にどんな功能が出ているか完全には分かりませんが、自分で各種の神通力を使い、本当に奥の手まで使ってそれを滅しようとしました。私は苦しみの中で堅持し、また堅持して自分がどうしてもそれに打ち勝つことができないと感じるまで、本当にあと少しで絶望するところまできました。絶対に妥協しないと自分に言い聞かせました。本当に限界まで来たとき、私は師父にお願いしました。「神兵神将を派遣して助けてください。弟子は疲れ果てていますが、絶対に後退しません」、このように師父に依頼すると少し緩和されたと感じました。また耐えられなくなったら、また師父に依頼して少しよくなりました。最後になって、心の中のあの大きな石と痛みが完全になくなりました。私の堅持が間違いではなかったと分かりました。師父は弟子の耐えられる能力を知っておられ、どんなことにも師父の按排があります。

 修煉の中で、様々な試練を経験して私が感じたのは、どれほど難しくても確固たる心を持つべきで、最後の数秒まで堅持したら「柳暗花明」になります。師父は次のように教えてくださいました。「あなたが心性を向上させさえすれば、必ず乗り越えられるものです。それを乗り越えようとする気がなければ話は別ですが、乗り越えようと思えば、乗り越えることができるのです」[1]

 苦しみに耐えながら関を乗り越えるなか、希望が見えない時、正念を貫くことが出来れば、師父はあなたのすぐ隣におられ、あなたを助けて乗り越えさせてくださいます。私たちが法に則って修めさえすれば、法の力が現れ、旧勢力は敢えて私たちを動かそうとしません。

 師父は、はっきり教えてくださいました。「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]と説かれました。

 最終的に私たちは圓満に達するように按排されている以上、途中で私たちに設けられた関は必ず耐えられるものであり、私たちが観念さえ変えれば、最後の一秒まで正念を貫くことさえできれば、希望がないように見えても「柳暗花明」を迎えられるに違いないと私は悟りました。

 以上は自分のいる次元で悟ったもので、妥当でないところがあれば慈悲なる指摘をお願いします。

 注: 
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/8/2/409929.html)
 
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