11年間の冤罪の後、長春市の姜全徳さんが迫害死
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 【明慧日本2020年9月20日】(吉林省=明慧記者)中国共産党(以下、中共)による法輪功への迫害が21年間にわたって続く中で、長春市農安県の法輪功学習者・姜全徳さんは、かつて1年6カ月の労働教養を強いられ、11年間刑務所で苦しめられたことがある。7月15日、姜さんは妻の孫秀英さんとともに古城派出所の警官らにより再び連行された後、8月26日に死亡した。享年66歳。妻の孫さんは今なお農安県留置場に拘禁されている。

 姜さんは農安県の国家食糧備畜倉庫の元管理人で、1997年に法輪功を学び始めた。法輪功を学ぶ前の姜さんは喫煙と飲酒に浸かり、飲み過ぎると家に帰って来ては、毎回のように家族と喧嘩した。また心臓病などの持病もあったが、法輪功に出会ってからは、タバコとお酒をやめて持病も治り、以前よりも良心的に仕事に励み、上司と同僚たちに認められた。

姜全德

姜全徳さん

 1999年7月、中共が法輪功への弾圧を開始し、姜さんは不当に拘禁された。2000年2月、姜さんは1年6カ月の労働教養を科され、2002年11月に再度連行され、懲役11年の実刑判決を宣告された。そして、相前後して長春朝陽溝労働教養所、奮進労働教養所、長春公安一処、四平市石嶺刑務所、公主嶺刑務所で、トラの椅子、頭にビニール袋を被せる、指先と乳首に竹の針を刺す、電気棒で電気ショックを与えられるなどの非人道的な拷問を受け、右腕を骨折して障害を負った。

酷刑演示:塑料袋套头

拷問の再現:頭にビニール袋を被せられる

 一、留置場で板に座らされ、労役、頭を抱える姿勢を強制される

 1999年9月、姜さんは法輪功を放棄しないとして、留置場に連行されて60日間拘禁された。この期間中に板の上に長時間座らされ、豆の選別作業や重さ100キロの袋を運ぶ労働を強いられた。2000年初頭、姜さんは再び留置場に拘禁され、板の上に長時間座らされ、頭を抱える姿勢を強制されるなど、30日間迫害され続けた。

 二、労働教養所で独房に監禁、板ベッド、「蒸しパンの刑」

 2000年2月、姜さんは北京に行って法輪功の無実を訴えたため、地元に戻されて1年の労働教養を強いられ、長春市の朝陽溝労働教養所と奮進労働教養所で迫害を受けた。この期間中、姜さんは自分の信念を放棄しないという理由で、さらに6カ月の刑期を加えられ、2001年9月にようやく解放され帰宅した。

 2001年4月28日、朝陽溝労働教養所の大会で警官らが法輪功を誹謗中傷した時に、学習者の姜さん、劉海波さん、李民さんと連弘さんの4人が、立ち上がってそれを止めようとしたところ、警官らに滅多打ちにされたため、姜さんは全身傷だらけになり、独房に閉じ込められた。

'酷刑演示:暴打'

拷問の再現:滅多打ちにされる

 2001年7月、奮進労働教養所で、姜さん、梁振興さん、于占春さん、劉海波さんなど二十数人の学習者が、板のベッドに座らされ、「蒸しパンの刑」により苦しめられた。

 最初、4~5人の学習者が両足を組んだまま板のベッドの上に座らされ、少しでも動くことを許されず、時間が長くなると足やお尻の皮膚が破れて出血する。次第に4~5人から6~7人まで人数を増やし、1台の板のベッドに入らなくなると、警官は足で蹴ったりして学習者に互いに他人の足の上に重ねて座らせ、夜中の12時から午前4時まで座るように強制し、その辛さは並大抵のものではなかったという。

 姜さんたち7人が小さな独房に入れられ、扉も窓も閉められたため、1台の板のベッドに座らされた7人は服がびしょ濡れになり、雨のように汗が流れて呼吸困難になった。少し動いただけでも警官はすぐに暴力を加え、この「蒸しパンの刑」という拷問で学習者を苦しめた。

 三、長春公安一処で「大車輪を回す」「縄縛り」「豚足を振るう」の拷問を受ける

 2002年11月8日、姜さんは松原資料拠点から長春公安一処まで連行された。そこで、姜さんは虎の椅子に縛り付けられ、頭にビニール袋を被せられて窒息させられ、指と乳首に竹の針を刺されたほか、「大車輪を回す」、「縄縛り」、「豚足を振るう」の3種類の拷問により苦しめられた。

'酷刑演示:用竹签扎手指(绘画)'

拷問のイメージ図:指に竹の針を刺される

 「大車輪を回す」とは、両手を後ろに回して手錠をかけ、そして、両腕を後ろから前へ回すという拷問である。腕や肩の関節の筋肉、骨、腱、神経すべてが断裂してしまうという、極めて残酷なものである。「縄縛り」とは、縄を腕に巻きつけて力強く締める拷問で、これによって筋肉や静脈、神経がちぎれてしまうことがある。 「豚足を振るう」とは、手錠をしっかりとはめてから、手首や手錠を強く振るう拷問のことで、いずれの拷問も大変苦しめられた。

'酷刑演示:背铐'

拷問の再現:両手を後ろに回して手錠をかけられる

 姜さんは10回以上「大車輪を回す」拷問を繰り返されたため、全身が傷だらけになって動けなくなり、右腕を骨折し障害を負った。

 四、四平市石嶺刑務所ですべての歯が打ち落とされ、死人ベッドに縛り付けられる

 2004年1月17日、懲役11年の判決を宣告された姜さんは、四平市石嶺刑務所に拘禁された後、2カ月間独房に閉じ込められ、全ての歯が打ち落された。

 ある日、姜さんは黒板に書かれた法輪功を中傷するプロパガンダを見て、囚人服を脱いで侮辱する文字を消し、刑務所を象徴する囚人服の白い縞をインクで染め、数字を順番に報告することを拒否したため、教育監区に収容された。そこで受刑者たちが地面に殴り倒された時に、姜さんは「法輪大法は素晴らしい」と叫んだため、死人ベッドに縛り付けられた。

 五、公主嶺刑務所で裸にされ、スタンガンで電気ショックを加えられる

 2005年11月4日、姜さんは公主嶺刑務所に移送された。そこで、姜さんは死人ベッドに縛り付けられて動くこともできず、大小便の時も解放されなかった。警官らは姜さんの服をすべて脱ぎ取り、高圧のスタンガン数本で同時に電気ショックを与えた。姜さんの頭が腫れ上がり、腹部を直撃した時に、姜さんはショックでいきなり起き上がったほどだった。

'酷刑演示:电棍电击'

拷問の再現:スタンガン数本で同時に電気ショックを加えられる

 2013年11月11日、姜さんは11年間の冤罪による刑期を終えて帰宅した。

 六、長春市の葦子溝留置場に拘束される

 2015年9月3日、姜さんは長春市寛城区8番線バス停付近で、法輪功が迫害されている事実を人々に伝えた。ある男性は姜さんの話を聞いてバスに乗って立ち去ったが、 約30分後、男性が警官を連れて戻って来たため、姜さんは連行されて1,000元(およそ1万6,000円)の罰金を科された。 そして、姜さんは長春市の葦子溝留置場に連行され、15日間拘束された。

 七、夫婦が同時に連行され、姜全徳さんは迫害により死亡

 今年7月15日、午前5時から8時までの間、長春市農安県公安局と各派出所は共同で学習者を連行した。警官らは鍵を壊したり、窓を叩き割ったりして入室し、学習者を連行した上で家宅捜索を行い、法輪功の書籍、法輪功創始者の写真、パソコン、携帯電話、現金などを押収した。

 その日、20人近くの法輪功学習者が嫌がらせを受け、連行された。その中には姜さん夫婦も含まれていた。

 しかしその後、姜さんは極度に衰弱していたため、家族により自宅まで迎えられて、ずっと栄養液で生命を維持していたが、8月26日に亡くなった。

 妻の孫さんは現在もなお拘禁されている。姜さんの息子は農安県国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)へ行き、父親の世話をするため母親の解放を求めたことがあるが、そこで「書類に署名しなければ釈放しない」と言われた。しかし、姜さんは生前に「絶対に署名するな」と息子に言ったことがあったため、息子は署名しなかった。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/12/411697.html)
 
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