16年前の姜勇さんの迫害死は未だに真相不明のまま
■ 印刷版
 

 【明慧日本2020年6月17日】吉林省長春市の法輪功学習者・姜勇さんは2004年4月13日、地元の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官らに連行された。その後、姜さんは鉄北留置場と名の知られていない刑務所に拘禁され、残酷な拷問を受けた末、同年7月4日に死亡した。僅か80日で元気だった姜さんは迫害死してしまった。現在、姜さんの遺体は死体検査センターに置かれているが、家族が姜さんの遺体と対面して最後のお別れをする要求をしても、その別れすらも許されなかった。

姜勇さん

 村人が「この法輪功は本当に素晴らしい」

 法輪功を学ぶ前、姜さんはいつも人と争いとても気性が荒い性格で、仕事でもずる賢い行動ばかりしていた。車に足をぶつけて1カ月も治らなかった姜さんは、ある日知人から「法輪功が病気治療に素晴らしい効果があり、人の性格まで変えられる」と紹介され、1996年から法輪功を学び始めた。

 しばらくして、姜さんは他人のことを優先して考えるようになり、寛容な性格にがらりと変わった。和やかな家庭を築き、治らなかった足の傷も完治した。体調もよくなり、体力もつき、とても元気になった。

 姜さんの変化を見た村人は「姜勇さんをここまで変えられるなんて、この法輪功は本当に素晴らしいよ!」と皆が言ったという。

 中国共産党の当局から迫害を受ける

 1999年7.20から、江沢民グループは法輪功に対して狂気的な迫害を開始した。姜さんは真・善・忍の信仰を堅持し続けたため、数回にも渡り連行され、拘禁され、労働教養処分を下され、さまざまな残忍な拷問を受けた。その後も、中共の当局はいわゆる「敏感日」になると、姜さんを連行したり、嫌がらせを行なった。迫害から逃れようとした姜さんは、放浪生活を余儀なくされた。

 しかし、長春市の国内安全保衛部門と地元の派出所の警官らは、数回も姜さんの家に行き、嫌がらせ、脅迫を行ない、妻や息子を脅した。妻はこれにより重い心臓病を発症し、息子も家に帰るのを恐れた。毎晩10時から12時頃まで私服警官ら2人が、姜さん宅の入口の両側に立ち、監視をしていたという。

 当局の警官は人権を無視し、法輪功を学んでいなかった姜さんの妻に対しても、1年の労働教養処分を下した。2003年3月~4月、姜さんの妻は警官に騙され派出所に連れていかれ、範というの警官に大きな鉄製の籠に閉じ込められた。

 1999年の後半、姜さんは北京にある「信訪弁公室」(中央の陳情受付機関)を訪れて「法輪大法は正法です。国と国民にとって百利あって一害なしです」と話した。しかし、警官は2回姜さんを連行し、長春大広拘留所へ送った。2000年7月、天安門広場で「法輪大法は素晴らしい」と書いた横断幕を掲げた姜さんは再び警官に連行され、直接、奮進労働教養所へ送られた。その後、朝陽溝労働教養所に移送された姜さんは、1年余り拘禁され、非人道的な虐待を受け続けた。

 2002年3月、姜さんは再々度北京に行き、法輪功迫害の停止を求めたが、北京の拘留所に連行された。同年11月、姜さんは長春市緑園区公安分局の警官に連行され、トラの椅子、吊るし上げるなどの拷問を受けた。

中共酷刑示意图:上大挂

拷問のイメージ絵:吊るし上げる

 連行されて80日で、迫害死

 2004年4月13日、姜さんは長春市公安局の国内安全保衛部門の警官らに連行されたが、その通知が家族にあったのはその13日後の4月26日だった。姜さんが所持していた3万元(およそ45万円)と携帯電話、オートバイの行方も不明である。

 姜さんは拘留された後、留置場に送られず、名前のない「裏刑務所」に送られた。そこで、姜さんはひどく殴打され、吊るし上げられ、トラの椅子に縛られ、スタンガンでの電気ショックを与えられた。さらにビニール袋を頭に被せられ、手の指と爪の間を爪楊枝で刺されたり、唐辛子水を口に入れられたりなどの残酷な拷問を受けた。姜さんは拷問の度に、何度も意識を失ったという。

酷刑演示:塑料袋套头

拷問の再現:ビニール袋で頭をおおう

 8日間連続で拷問を受けた姜さんは、2004年4月21日、鉄北第一留置場に送られた。拷問でひどく負傷したため、長春市公安病院に運ばれ入院したが、同年5月26日に再び、鉄北第一留置場に戻された。

 しかし、2004年7月4日、姜さんは迫害により死亡した。姜さんが拘禁されている間、家族は絶えず、姜さんとの面会を求めたが許可されなかった。7月4日夜8時、留置場側から家族に「姜勇が突然発病して病院に運んだが、救急措置もかいもなく死去した」と知らされた。そして、いわゆる「死亡説明書」を作成し、責任を逃れた。

 姜さんの遺体は首に二つ深く赤い傷跡があり、口から血の混じったものが溢れ出ており、、胸部は青紫色に変色し、臀部の下にはトイレットペーパーが敷いてあった。しっかりとした体格の姜さんは野蛮な灌食と残酷な拷問を受け、痩せこけた状態になっていた。家族が写真を撮ろうとしたが、その場にいた40人ほどの警官らに暴力的に阻止された。

 悲しみと怒りを抑えながら家族は、「口から出た血は内傷の証拠で、これは常識です。首の傷跡、体のあざは外傷です。トイレットペーパーが敷かれているのはどういうことですか? こんな無残な姿で、突然に発病して死亡したというのですか? なぜ、写真を撮ってはいけないんですか? 何を恐れているのですか?」と指摘し、警官らを問い詰めた。

 それから、家族は姜さんの衣服を返すようにと要求したが、留置場側はすでに捨てたと言った。勝手に服を捨てたと聞き、家族は姜さんが拷問されたとき、その服に何か証拠が残っていたから証拠の隠滅をはかり、捨てたのではないかと疑った。

 翌日、家族は再び姜さんの遺体と対面したが、口からの血は処理され、胸部の皮膚が漂白されたように青白くになり、両目も閉じていた。遺体の部屋にはアルコール、薬用綿などが置かれていた。国内安全保衛部門と鉄北留置場の警官らがその罪を隠し、責任を逃れるために、迫害死された現場を壊したと家族は考えた。

 姜さんは連行される前は、とても元気だったが、わずか80日の間に迫害により、死亡した。

 長春市公安局と鉄北第一留置場の警官らは江沢民の法輪功学習者に「拷問して死んでもよい。死んだら、自殺とみなす」という政策を執行し、姜さんを死なせたのだ。

 現在、姜さんの遺体はまだ死体検査センターに安置してあるが、家族が遺体との対面を要求すると、公安局はさまざまな口実で、対面を拒否した。あれから16年経ったが、姜さんの死は未だ未解決のままである。

 「真・善・忍」を信仰する姜さんが亡くなってから16年、家族は未だに、大きな悲しみと苦痛を抱え続けているという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/11/407554.html)
 
関連文章