陳情書を書いた吉林の宋彦群さん 連行される
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 【明慧日本2020年4月15日】(吉林省=明慧記者)舒蘭市公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の大隊長・董其明ら一行8人が、2020年3月26日午前9時頃、吉林省舒蘭市の法輪功学習者・宋彦群さんの家にやって来て、「町内の戸籍を登録する関係者だ」と嘘を言い騙した。騙された宋さんはドアを開けると、警官は「お前は李克強に手紙を書いただろうが、その手紙は北京から戻された。陳情局は調査して、お前を連行しろと言っている」と言って、吉林省陳情局の公式文書を取り出した。警官は「お前はなぜ李克強に手紙を書いたのか?」と、宋さんを脅して誘い出し、宋さんと全体の状況をビデオカメラで撮影した。

 宋さんは警官に「法輪功に濡れ衣をかぶせ、法輪功の師父に対してとても不敬で、不公平です。私は師父と大法のために正義を取り戻し、無実を訴えたいのです。それと同時に、私も濡れ衣を着せられました。私は悪い事を一切していないのに、懲役12年の実刑判決を宣告され、刑務所の中で様々な残忍な拷問により苦しめられました。九死に一生を得てやっと帰って来ましたが、未だに受けた拷問の後遺症で正常な生活ができず、精神的にも不安定な状態です。憲法では国民は通信の自由があると定められているのに、どうして国家の首相に手紙を書いたらいけないのでしょうか?」と言った。

 ビデオ撮影が終わった後、董其明は2人の警官を残して、宋さんを1日監視させた。午後6時、北城派出所の副所長・朱峰は宋さんの家にやって来て、宋さんを北城派出所まで強制連行し、法輪功の書籍と私有の物品を押収した。

 現在、宋さんは吉林市留置場に拘禁されて、警官は直接に判決を下すと言っているという。

'迫害前的宋彦群'
迫害前の宋彦群さん

'迫害后的宋彦群'
迫害後の宋彦群さん

 宋さんは吉林省舒蘭市生まれで、以前はハルピン大徳日本語学校の英語教師をしていた。1995年に法輪功を学び始めた宋さんは、とても正直な人で、至る所で他人のために考えるようになった。宋さんは卒業したばかりの時、舒蘭市の公務員試験に挑戦し、筆記試験で全市で1位になったが、裏でコネを使わなかったために合格しなかった。2年目、宋さんはまた1位になったが、同様に残念な結果となった。しかし、宋さんは恨むことなく、穏やかな心境で自然に任せる生き方をしている。

 1999年7.20から、江沢民集団は法輪功を迫害し始めた。宋さんは同年の10月に北城街の政府部門に入籍の手続きを申し込んだところ、「法輪功を放棄しなければ、入籍させない」と言われ、結局、宋さんは結婚ができずに、相手と別れた。その年、北京へ陳情に行ったため、1年の労働教養を強いられ、「転向」しないという理由で、さらに4カ月の刑期を加えられた。

 2004年、宋さんと妹の宋氷さん(2009年7月30日に迫害死した)は連行され、舒蘭市留置場で殴られ、わさびのオイルを塗りつけられるなどの酷い拷問を受けた後、懲役12年の実刑判決を言い渡された。

 長春女子刑務所で、宋さんはベッドに縛り付けられ、「伸ばしの刑」により苦しめられた。また、服を全部脱がされて滅多打ちにされ、その上、正体不明な薬物を注射されるなどの拷問を受け、死に瀕した。2012年の年末に一度帰宅した宋さんは、2013年にまた刑務所に拘禁され、2014年、危篤状態に陥ったため、仮釈放された。九死に一生を得た宋さんは、その時の体重は40キロにも満たなかった。

 長年来、宋さんの両親は娘を救援するためにあちこち奔走した。次女は迫害により死亡し、長女はひどい迫害により、精神状態が不安定になっているにも関わらず、また連行された。今後、どうやって生きていけばよいのか、分からない状態である。正義ある人々に、すぐにも救援の手を差し伸べていただくよう、願っている。

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/4/3/403308.html)
 
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