学法がもたらす不思議な変化
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 慧子  

 【明慧日本2020年9月26日】師父は「実は法があり、大法弟子は周りと連絡が取れても取れなくても、大法の形勢が分かり、インターネットにアクセスでき、ネット封鎖を突破することができれば、形勢について行くことができます。なぜなら、神が見ているからです」[1]と説かれました。

 10年ほど前、今住んでいる街に引っ越してきて、幸運にも2012年、再び大法の修煉ができるようになりました。当地域の同修と連絡が取れなかったので、しばらくの間はずっと独自で修煉していました。師父の慈悲なるご加護の下、学法を絶やさず、また、明慧ネットから現在の形勢を知りながら、様々な妨害や魔難を乗り越え、固い信念を持ち、今日まで歩んで来ました。

 師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[2]と説かれました。大法弟子にとって、学法は絶対です。この点を明白に理解しているからこそ、学法を怠ることなく、真剣に法を勉強することができました。そのため、身をもって、大法が与えてくださった正念とパワーを体験することができたのです。これから、私が実際に体験した不思議なことを皆さんと交流したいと思います。

 常に真剣な態度で学法することができれば、修煉において、知らないうちに変化が起こります。例えば、良くない人心が現れた時、すぐに察することができ、それを排除することができるようになります。同僚たちの子供の最近の状況を尋ねようとする言動の背後に隠れている嫉妬心や、生徒から何度も繰り返す質問に答えるときに生じる面倒だと思う心、生徒から教師に対する評価を気にする名誉を求める心理、ブランド物のバッグを持つときに生じる顕示心、同修の交流文章を読むとき、自分がまだよくできていないことに対して言い訳をしようとする利己心や善でない心など、中には頑固な執着心もあり、少しでも気を緩めると、直ちに現れてきて、時には抑えても抑えきれず、とても悩んでいます。

 しかし、ある日、ある執着心が現れた時、それを抑え込もうと思った瞬間、本当に抑えられて、容易に排除することができたのです!  執着心が弱まり、自分が強くなりました。本当に不思議です!  このことを通じて、学法さえ怠らなければ、自分の正念はどんどん強まっていくことが分かりました。まさに「しっかりと修める人は求めることに執着することなく自然と得ており、一切の功、一切の法はすべて本の中にあり、大法を通読すれば、おのずと得るのです。学ぶ人は自然と変化して、繰り返し通読すれば、すでに道の中にいます」[3] なのです。

 法を勉強していくにつれて、最も大きな変化は心が段々と穏やかになり、言動が少しずつ理性化していくことです。以前、常人に真相を伝えるとき、いつも意気揚々とした態度をとっていました。結果は予想通りうまくいかなかったのです。今は穏やかな口調で話すことができ、理性を保ちながら、ゆっくりと真相を伝え、できる限り大法弟子の善を相手に感じてもらうようにしています。私たちは憎しみや不満を世間に伝えているのではなく、衆生に正しい選択をしてもらえるよう真相を伝えている、ということを理解しました。ですから、自分たちの態度を正さなければなりません。また、大法に対して負の態度を取っている常人や真相を理解しようとしない常人に対して、見下したり、憎んだり、敵としてみなしたりするような観念や感情がなくなりました。真に「修煉者には敵はおらず」[4]という状態になれたのです。彼らは大法を迫害するための魔ではなく、修煉者は慈悲な心を持ち、彼らを普通の衆生として見なさなければならないと、自分と常人との関係を正しく理解することができました。

 例をあげると、2015年、実名で江沢民を告発してから、実家から電車に乗るとき、毎回、警官に正当な理由もなく呼び止められ、携帯電話の番号を聞かれたり、顔写真を撮られたりしました。最初は、突然の出来事だったので、正念が出ず、彼らに言われるがままにしてしまいました。その後、邪悪の要求に従ってはいけないと悟ったので、正念を持って、警官からの要求を断りました。

 今回も駅に入る前、何かの圧力を感じましたが、動揺しませんでした。闘争心や敵対意識がなくなったので、警官たちを真相を知らない普通の常人として見なしました。順調に改札ホームに入った後、若い警官がこちらに向かって歩いてきて、挨拶をしてくれました。私も笑顔で挨拶を返すと、身分証の提示を要求されました。身分証の写真を撮られた後、相手は言いにくそうに私の電話番号を聞いてきたのです。「どうして電話番号まで聞くのですか?」と聞くと、警官は「あ、いいえ、特に何も……では」と言って、そのまま去っていきました。今回は今までのような対立した状況も険悪な雰囲気もありませんでしたが、残念なことに、彼に真相を伝える機会を逃してしまいました。

 学法を通じて、善の念も知らないうちに強まってきました。常人社会で、例え通りすがりの人でも、心の中から善の念が生じます。修煉者が嫉妬心や、闘争心、利益を重んじる心理などの執着心を取り除くと、その清らかな状態が周りの人に安心や心地よさを与えることができます。このことは知り合いの常人から言われて悟りました。外国人の先生が私が法輪功修煉者であることを知ったとき、「だから君の周りはいつも善良で平和(kind and peaceful)な雰囲気が漂っているわけだ」と言われました。普段あまり接触のない先生に真相を伝えた後も、「優しい人」という印象が残ったそうです。もちろん、常人の友人たちにも良くカフェやレストランに誘われて、「あなたと話していると、正のエネルギーがもらえる」と冗談半分で言われたこともあります。

 友人や先生方からの返事のおかげで、より一層自信が増しました。

 上記のすべてが学法を通じて起きた不思議な変化です。このような不思議なことはまだまだたくさんありますが、このくらいにします。

 まだ多くの人心や執着心が残っており、すべてを排除しなければなりません。例えば、苦を嘗めたくなかったり、安逸を好んだり、いい加減な態度で物事に取り掛かったり、好奇心が旺盛であったり、口を修めなかったりなどたくさんあります。しかし、学法さえ疎かにしなければ、必ず向上することができ、心性の関も乗り越えることができ、そして、修煉の道から外れることなく、着実に前へと進んで行くことができるでしょう。

 師父は「大法をよく学ぶには、いかなる目的も抱かずに学ぶことこそ正しいのです。『轉法輪』を一編読み終えるたびに少しでも分かるようになったら、すでに高まっています。一編読み終えるたびに、ただ一つの問題が分かっただけでも、それも真に向上しています」[5]、「実は、修煉の中で、取りもなおさず少しずつ知らぬ間に修めて向上してきているのです。覚えておくべきことは、求めずともおのずから得る、ということです」[5]と説かれました。最後に、この師父の教えを心に銘じましょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「師を拝む」
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「世間に向かって輪を回す」
 [5] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法を学ぶ」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/15/411833.html)
 
関連文章