青年弟子の堅実な修煉の道
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 【明慧日本2020年8月9日】私は大法の青年弟子です。1999年法輪大法に出会いましたが、当時の私はとても若く『轉法輪』を一回も読み終えていないうちに、邪悪な中共の法輪功への迫害が始まりました。私は大法の本に書かれている法理をそれほど理解していなかったのですが、本に書かれていることは全部正しいと思いました。私は幼い頃から虚弱体質で多くの病気を患い、薬を一度にたくさん飲み、憑き物にも取りつかれ、主意識が弱かったのです。『轉法輪』を一回読み終えた時、ついていた憑き物は、師父が取り除いてくださいました。

 私が真に大法の修煉を始めたのは大学を卒業してからです。私の母方の相父母と、叔母は大法の修煉者でしたが、両親は修煉していませんでした。祖母は大法の修煉を始めて健康を取り戻しましたが、祖父は最初、祖母の修煉に反対し、大法の話に触れると罵声を上げ始めたのです。しかしある日、祖父は転んでベッドに横たわって動けなくなり、治療してもよくなりませんでした。祖母が祖父に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えるように勧めると、祖父は薬を飲まずに治ったのです。そして祖父は修煉を始めました。祖父は字が読めなかったのですが、大法を修煉してから40冊ほどの大法の本が全部読めるようになりました。本当に奇跡です!

 修煉が深まるにつれ、私は長年来の怨恨の心を放下することができました。父は気性が荒く、私は一人娘ですが、ほぼ罵声を浴びせられる中で成長しました。私は幼い頃から罵声を浴びながら農作業をさせられました。そのため、内向的で劣等感があり、臆病で、父に対して深い恨みを抱いていました。私は突然気づきました。私はずっと自分を娘の立場に置き、修煉者としての立場に置かず、真・善・忍の基準で自分を律していませんでした。修煉者は、真・善・忍にもとづいて自分を律しなければなりません。父は一人の衆生であり、今生の父の私への接し方は、すべて私が前世に作った業力の報いです。なぜ、父を恨むのでしょうか? 修煉者はこれらの常人の心を放下しなければなりません。

 私が内心から変わり始めると、父も変わり始めました。叔母が迫害を受けている時、父は車を運転して会社の社長と一緒に派出所に行って叔母の釈放を求め、このことを通して我が家と親戚との怨念が解消されました。今、父に電話をかける時、父は穏やかな態度で話してくれるようになり、今までのすべてが消えてなくなりました。

 2017年、私は法輪功迫害の実態の資料を配ったため強制連行されました。この時7、8人の男の人が我が家に突入し、家は不当に捜査されました。皆が凶暴で何を聞かれても、私は答えず、師父の説法の「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください」[1]だけを唱えていました。

 その夜、私は留置所に拘禁され、そこの責任者は女性でしたが、どう見ても男にしか見えず、凶暴なうえ言葉が汚かったのです。私は「あなたは怖いのか? いいえ怖くない。私は大法弟子であり、良い人なので怖がるはずがない」と自問しました。私は師父にここに居たくありません。ここから出られるようにとお願いしました。師父だけがここから私を出すことができます。1カ月間私は絶えず師父にお願いし、発正念をして内に向けて探し迫害の実態を伝え続けました。

 間もなく弁護士が来て、私と接見しました。ここで言っておきたいことは、弁護士にお願いすることはとても重要だと思います。一つは、弁護士は依頼者と外界とのコミュニケーションの媒体になってくれるため、情報がスムーズに伝わり、内外の協調がよくなり、一体になれるのです。その二は、弁護士が当事者と接見する際、邪悪を大いに怯えさせ、真相を伝える効果もあり、人々と家族に修煉は合法であることを認識させることができます。しかし弁護士に頼ってはなりません。

 私は最後に供述をせず、サインもなしで留置所から出ることができました。私が出てきた日、玄関で母が出迎えてくれ、その場には知らない同修がたくさんいて、その中の一人が笑顔で私の名前を呼んでくれました。私はその同修とは面識がなく、しかし、その同修はとても穏やかで優しく、私の心に温もりを感じました。

 家に戻った私は、国外の多くの同修が私の救出をしてくださったことが分かりました。私の親戚の同修の一人が国外にいます。私が連行されたことを知り、国外から声援を送ってくれ、大きな役割を果たしました。これらの事を知った私はとても感動しました。

 私が強制連行されたと知った母は全身が震え、戦々恐々で父に情況を説明しました。遠方に出かけたことのない両親は、親戚の助けをうけ、この大都市に来ました。多くの同修は両親を迎えに来てくださり、熱心に毎日のように両親に付き添ってくれました。同修は母に付き添い国家安全保衛部門を訪ねては、毎日私の釈放を求めて休んだことはなかったそうです。同修達はリレー式で私のために発正念を続けました。同修の行動は徐々に母を感動させ、母は「あなた達は私の娘と面識がないのに、なぜこんなに熱心に助けるのでしょうか? 私の親戚よりも親切で良くしてくれています」と聞いたそうです。同修達は「私たちは同修であり、身内なのです。もし私たちが逆の立場になった時、あなたの娘さんも同じように助けてくれます。私達は一体だからです!」と答えたのです。後に、母は法輪大法の修煉を始めました。その後、母は実家に戻る時、村の人々に真相を伝え、多くの事をしました。

 私を救出する過程で、我が家の親戚の同修は積極的に協力してくれ、10年ぐらい行き来がなかった祖父母にも連絡するようになり、十数年来の怨念がこの一刻で消え去りました。これはすべて大法の威力によるものです。

 2019年、空港で保安検査を受けた際に足止めされ、派出所に連れて行かれました。派出所には警察官が多くいて私を見ていましたが、私は恐れませんでした。なぜなら、私は大法弟子であり、最も正義があるからです。国家安全部門の責任者は優しく私を扱い、私を洗脳させようとして部下一人を連れてきましたが、私は彼らに真相を伝えました。彼らは大法を誹謗中傷する動画や資料を私に見せようとしましたが、私は顔をそらしました。私は心の中で大法を誹謗中傷するこれらの資料を見ないし、聞かないとと思いました。そして休まずに発正念を行ない、結果としてこれらの内容は脳裏に入りませんでした。私は心の中で、今、私が置かれた境遇を知る同修はいません。私は師父にお願いして、発正念をするしかないと考えました。そして師父にお願いしながら、休まずに発正念を続けました。

 数時間が経ち、説得に応じない私を見て、警官は強硬になり、汚い言葉も吐くようになりました。数人の男性警官は交替で言葉で私を侮辱し、私は情報の提供を求められ、全身の検査をしようとし、記録を書くように言われましたが、私はすべて拒否しました。私は警官2人に無理やり隣の部屋まで引きずりこまれ、靴が脱げ落ちました。私は食事を食べず、水も飲みませんでした。警官が所長に電話をかけると、所長は修煉しないという「保証書」を書かせるようにと言いました。警官の要求に私は「保証書」は書かないと答えました。師父のご加持の下で翌日の昼頃、警官らは私を空港まで送りました。

 今回の事で私の修煉はしっかりしていないことが明らかです。しかし最も重要な一刻に、私は師父と大法を第一に考えました。この一刻に私は人間を選択せず、大法を選択したため、師父が按排してくださった道を歩むことになりました。師父がおっしゃったように「弟子正念足りれば、師は回天の力有り」[2]なのです。

 私は法の暗記をはじめ、学法時間と学法の量を増やして、内に向けて探しました。奥深く探した時、私は執着を見つけました。恥ずかしい話ですが、十数年修煉してきましたが、修煉の目的が分かっていませんでした。『轉法輪』を読んでいる時、「返本帰真」と書いてありましたが、私は内心からこの言葉を理解していませんでした。感性的に大法は素晴らしい正法であり、だから修煉を始めたのですが、内心から大法に対する深い体得をしていませんでした。三つのことは行なっていましたが、人から「あなたは何のために資料を配っているのか?」と聞かれた時、私は「大法のために公正な言葉を伝えたいからです」と答えていました。私は自分を人を救う位置に置いておらず、神聖なる位置に置きませんでした。

 ある日、師父が按排してくださり、同修2人と交流する中で、同修の言葉に諭され、私はどっきりし、これは内心からの震撼だったのです。私は直ちに修煉の目的が分かりました。それは「師に手伝い法を正し、衆生を救う」ことなのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/8/2/409870.html)
 
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