母が迫害される中、私は再び大法に回帰する
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年7月5日】私は幸運にも大法弟子の家庭に生まれました。母は私が幼い頃から法輪大法を修煉していたので、自然と大法に触れていました。 母は私に師父の講義を一節ずつ聞かせてくれて、毎日それを聞き続けました。

 大人になるにつれ、社会に足を踏み入れました。 世の中は汚れた染め物がめのごとく、私はゆっくりと世の中の快適さや快楽に貪欲になりつつありました。 師父は、「もし、常人社会で幸せに暮らし、金貨で寝床を作れるほどお金があり余って、なんの苦しみもなければ、神仙になれと言っても嫌だと言うにきまっています」[1]と説かれました。

 当時、母は私が法を勉強しないことを心配して忠告してくれたのですが、私は聞く耳を持ちませんでした。それは母が修煉を続けることで私自身も守られていると、変な先入観を持ってしまいました。心配事もなければ、欲望もなく、お金も十分にあり、満足しています。私はとても幸せな生活を送っていると感じていました。

 実際、人生の恵みや不幸というのは、自分の修煉のためにこれ以上苦しみが増したり、減ったりはしないものです。そしてまた、 世の中の安逸や幸せは一時的なものです。

 2019年、私の幸せな日々は突然打ち砕かれましたーー母は無理矢理、警官に連れ去られました! 家の床一面、まるで強盗に押し入られたようなあり様を目の当たりにした時、私は呆然とし、どうしたら良いのか分かりませんでした。父は若くして亡くなった為、精神的な支えとして頼れるのは母だけでした。ずっと、一緒に暮らしていた母が不当に連行された今、私にとってこの世の終わりのような気がしました。

 母を救うための解決策として、コネや賄賂などといった考えしか思い浮かびません。さらに困ったことは、そのようにやればやるほど、物事は複雑になっていく一方です。 お金をたくさん使ったからといって、母親は帰ってこられず、聞こえてくるのは悪いニュースばかりです。

 無実の母親の弁護を弁護士に依頼しましたが、多くの弁護士は弁護することは愚か、連絡を取ることすら拒否されました。

 これでは苦しくて、絶望的で、無力で、出口が見つからないと落ち込んだ時に、母が不当に逮捕されたことを知った同修が、何度も私に連絡し、啓発してくれました。「あなたのお母さんを救えるのは、大法だけだ」と言われました。 母を助けるために私ができる最善のことは、大法を学ぶことだけです。言わば、長年の修煉による母の体の変化、母の普段の振る舞いから見て、職場を始め、近所の人、家族まで、誰もが母のことを褒めてくれています。 これらはすべて大法のお陰です。大法は万能です。

 同修たちの説得と指導の下、私は再び『轉法輪』を手に取りました。 一日に一講、二講、三講と、今では四講を学ぼうと努力しています。 『轉法輪』以外にも師父の説法を学びました。今まで読んだことも聞いたこともない法理を学び、すべて解りました。しかし、結局回り道をしてしまいました。それはすべての弟子を見捨てない師父の慈悲があったからこそ、同修が私に棒喝するかの如く彷徨った私を、母が迫害されたことをきっかけにして、再び修煉の道に連れ戻したてくれたのだと思います。

 この同修は、また他の同修に頼んで、母のために弁護してくれる弁護士を探してくれました。

 同修や弁護士と触れ合ううちに、私と母が直面している現状を少しずつ知ることができました。母が罪を犯していないことは分かっています。真・善・忍に基づき、良い人間になろうとする行為は、罪になるはずがありません。刑務所にいる母に、法輪功の修煉が犯罪ではないことを証明してあげたいと思いました。

 師父は私に、再び修煉に戻る機会を与えて下さっただけではなく、間違った道を歩まないようにずっと見守ってくださり、試練を乗り越えるように気づかせてくれました 。それは今回の母の件で、同修と交流するたびに思ったことは、後に必ず似たような状況に遇うことが分かったのです。 例を挙げると、「君のお母さんの為に、コネを使ったらどうですか?」と言われた場合、どうやって選べばいいのでしょうか? 同修に言わせると、「修煉のことは、世間一般の解決策では解決できない。やればやるほど、解決するどころか、さらに悪化していく」。 以前、刑務所に不当に拘束された同修は、家族がコネを使えば使うほど、その中で苦しんでいました。

 「目の前の問題をどう解決すればいいのか?  世間一般の人を信用するのか、それとも同修の言うことを信じるのか? 求めるべきか求めないのか?」と悩んだ末、大法を学習した上で、修煉に専念しなければならないし、道筋も一つしかないということを悟りました。「大法は超常的であり、大法弟子も超常的である。なるほど、世間一般的な方法では、修煉の悩みを解決することができるのだろか? 母は師父に守られている。このことができるのは、師父以外の誰でもない」。それが解った途端、母に関する悩みを一般的な方法で解決しようと考えるのをやめました。その後、母を助けることに関しては、誰も二度と口に出しませんでした。

 また、母が不当な裁判を強いられたある日のこと。弁護士は「裁判所から罰金の支払い通知書が来るかもしれません。先に言っておきますが、私はあなたのお母さんの無罪を弁護するつもりです。罰金を支払うことは、法律上では罪を認めることになる、ということを認識してほしいのです。どちらを選ぶかは、あなた次第です」と言いました。このことは弁護士が私に言ってくれなければ、認識できなかったでしょう。師父が弁護士を介し、私にとっても試練であることを教えて下さったのだと気づきました。

 3000元の罰金を払わないと銀行口座が凍結されてしまう可能性があったため、貯金を動かそうとしましたが、全くダメだったことがわかりました。 当時、仕事にも行かず、母とどうやって暮らしていけるのかを悩んでいる時に、 「師父がそばに居られ、大法を信じ、私には手と足が付いているので、師父はまだ母を飢えさせるでしょうか?」と、ふと頭に浮かびました。

 師父の教えを信じ、母の潔白を信じ、そしてすべて自分のものは失わないという信念を抱きながら、「罰金」の支払いを拒否しました。

 母は9ヶ月間の違法な拘束を経て、無事に帰宅しました。家はいつも通り、正常な生活に戻りました。 母が正念正行を貫き、邪悪から抜け出せたのは、師父のご加護と同修の協力があったからこそだと思います。

 私にとって、母が無事に帰宅できたことは、修煉の終わりではなく、本当の修煉の始まりに過ぎません。と同時に、自分がどれだけ小さな生命なのか、本当に小さな存在であることに気づきました。とはいえ、有難いことに表面の埃を追い払えば、私は大法の一粒子でもあります。これからの修煉においては、大法弟子としての使命、勿論、行なうべき三つのことをしっかりと行ない、悔いの残らないようにしていきたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志大師著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/20/407806.html)
 
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