理性的になり常人社会で大法修煉をする
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年7月16日】旧勢力を否定することについての交流文を多く読みました。まとめると、二つのことが重要だと思いました。一つは法を多く学び、法理を明晰にすること、もう一つは着実に修める過程の中で、トラブルに遇えば、大法に照らし合わせ、旧勢力の邪悪の按排をはっきりと認識し、それを根本から否定し、修煉の道を正しく歩み、三つのことをしっかり行なうことです。

 しばらく前、師父の次の説法を学んだ時、その法理をさらに理解したように思いました。

 師父は次のように説かれています。「私はいつも言っていますが、旧勢力の参与は一種の迫害であり、妨害なのです。もし歴史上のそれらの神が済度したのはみな、人間の副元神であり、人間の主体そのものではなければ、皆さん考えてみてください、それらがやったことは正しいのでしょうか? 大丈夫なのでしょうか? 完全にずれたので、それらが妨害していると言ったのです。私が今日、皆さんに伝えたこの修煉方式、この修煉形式ですが、最大限に常人社会に合わせたやり方で修煉しており、最大限に常人の方法を利用して大法を実証しているのです。(拍手) これは歴史上になかったことです。それらの神は、このような修煉方法にどのように対処するのかをまったく分からないので、そのやり方は完全にずれています。ですから、それらは大法弟子の修煉にとって紛れもなく妨害なのです」[1]

 根本的に言えば、旧勢力は人間の主元神という生命の主体を修めさせようとしていないのです。『轉法輪』の中に、歴史上、殆どの修煉は人間の副元神を済度しており、主元神が全く修煉をしておらず、副元神が別の空間で修煉を行なっていると書かれ、「煉功するその人が功を得る」[2]と師父は説かれました。

 それに対して、大法と師父は、人間の主元神を修煉の主体としておられます。それは歴史が始まって以来、初めての出来事で、新宇宙に認められる人間が神になる唯一の天に通じる道なのです。

 旧勢力はすべての大法弟子に系統的に按排をしました。それは法を正す時期の大法弟子の主元神の修煉と完全にずれており、巨大な妨害です。ですから、私達は根本的にそれを否定しなければなりません。

 それは、師父が説法の中で弟子たちに、必ず理性になりなさい、決してぶつぶつ言わないようにしなさい、と何度も説かれた理由ではないでしょうか。なぜならば、師父は人間の主元神を救い済度しておられ、主元神がぼうっとしていれば、旧勢力に妨害されやすくなるからです。

 大法弟子は常人社会の中で修煉し、法を実証しています。「大法弟子は社会の隅々で修煉しています。どの業界に身を置いても、文化、ビジネス、芸術、政治、学生であってもその環境で修煉することができます。皆さんに考えてほしいのですが、この環境そのものは人類社会が大法弟子に提供した修煉の場ではありませんか? あなたの執着心を表出させるための環境、要素を提供し、あなたにすべての向上の機会を提供しています。このことが大きいので、人類社会全体がお寺になったのです」[3]

 人間社会という大きな寺の中で修煉するならば、直面する最も大きな問題は常人に混同しやすいことです。私達は法を学び、煉功し、真相を伝え、同修と交流する時、自分が修煉者であることを実感していますが、修煉していない家族や同僚、友人と一緒にいると、あるいは社会生活や仕事の環境の中にいる時、私達は修煉を怠け、振る舞いも常人そのものになってしまい、甚だしい場合、自分が修煉者であることすら忘れてしまうのです。それは精進をしていない個人的な要素もあります。しかし、私達は主元神を修めており、自分が修煉していることをしっかり認識しなければ、一体誰が修めることになるのでしょうか? 

 しばらくの間、夢の中でいつも色魔に妨害されました。目が覚めると、悔しくて堪らず、どうして自分が修煉者であることを忘れてしまったのか、と自責しました。現実では、夢の中の事を絶対やらないだろうという自信はありますが、しかし、どうしてこの関門を乗り越えられないだろうかととても悔しく思いました。

 時間が経つと、これは旧勢力の妨害だと分かりました。そこで、私は夜中の2、3時に一度起きて、発正念をし、色魔を一掃しました。すると、確かによくなりました。一回発正念をしてから、寝ようとしたら、また夢を見ました。私は再度起きて足を組み、「鬼婆、お前を一掃する」と発正念をしました。

 この蛇のような妖怪は長く私に付き纏っていたことを何度なく気付いていました。それを一掃してから、私はすっかり元気になり、頭痛もなくなり、頭がとてもはっきりとなりました。

 本日の修煉のために、歴史上、私達はどこかの冷たい洞窟の中で坐禅をして修煉をしていたかもしれません。今、私達はベッドの上、座布団の上で足を組むことができ、人間社会が私達の修煉の場となってくれていることを思うと、放下できない執着があるだろうかと思いました。後の修煉の道がどれだけ長くても、私は必ずしっかりとそれを歩み、自分を修め、世間の人々を救い済度し、師父の慈悲なる救い済度のご恩に報わなければならないと思いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/4/408542.html)
 
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