「執着を恐れる」その人心が災いしていた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年9月14日】この問題に気づいたのは、ある忘れられない不愉快なできごとの後のことです。私は会社の中核技術者です。大法を修煉しているので、自然と目先の利益にとらわれず、常に相手のことを思いやる心を持っています。私は会社のボスからも評価され、信頼されていますし、会社で大きな決断があるときには、ボスはいつも私と話し合って、私の意見を聞きました。 しかし、それが原因である会議の中で、私がうっかり言ってしまったことが他部署の利益に触れてしまいました。

 会議が終わった後、人に影響を与えてしまった自分を責め、罪悪感と喪失感でいっぱいになりました。その時点で心が少し痛んでいたのですが、師父が私の執着心を押し出してくださったのだと分かり、自分を反省してから内に向けて探しました。顕示心、闘争心、名利心、独善的な心、自我を守る心、口を修めていないことなどが見つかったので、これらを取り除くために正念を発しました。

 しかし、心の辛さだけはよくならず、逆に重くなってしまいました。また酷くなった胸の痛みに手を押し当てて、じっとしているしかありませんでした。 それは明らかに、私が内に向けて探したものが正しくなかったからなのです。「なぜこんなに苦しい状態が現れているのか? 裏にある要因は何だろうか?」と私はさらに考えてみました。

 「それは恐怖心なのだ。同僚に裏で誹謗中傷されることを恐れているから、自分の素晴らしい名声を守りたいし、皆と和気藹々の関係を維持したいというずるい共産党文化のせいなのか?」。これらを思うと、私は直ぐに取り除くためにまた正念を発しました。しかし、胸の痛みは相変わらずあって、私は心の中で「弟子は一体どこが間違っているのでしょうか? 師父、教えて下さい。弟子は必ず直します」と師父に懇願し続けました。

 同修との約束があるために、私は会社を出て同修の家に行くことにしました。会社から同修の家までは車で十数分しかかかりませんが、私は車の中で、「師父、弟子はこの良くない状態を同修のところに持って行ってはいけません。私は速く直さなければなりません」と思い、そこで私は心を引き戻してみました。自分の具体的なことから抜け出して全体の流れを見てみると、焦燥となった原因は、執着心に導かれて、大法に合わないことをしてしまうのではないかという不安がいつもあったので、用心してしまい、慎重に行動していたのだとわかりました。 これは「執着を恐れる」ということではないでしょうか?

 悟ることができると心身が軽くなり、胸の痛みがすぐに良くなりました。よくない考えや、重い悩みが消えていきました!  そういうことなんですね!

 そのとき、車は目的地に着きました。 私は心身ともに軽くなって同修の家に向かって歩いて行きました。

 
(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2020/9/9/411571.html)
 
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