修煉の中で顕示する心を取り除く
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年9月18日】師父は「この顕示心理もいろいろなところに現われており、良いことをする時にさえ現われてきます。普段から自分の名誉や利益のために、ちょっとした良いことがあると、それをことさらに言いふらしては、自分がいかにすごいか、強いかを吹聴します」[1] と説かれました。

 私は、顕示心の強い人間で、自分が少しでも良いことをすれば、人前で何度も何度も同じ話をしてしまいます。万が一相手に私の話したことが、はっきりと聞こえていないのではと心配し、自分の話を強調していました。

 例えば家族が自分の手料理を食べるときも、家族に「どう、おいしい?」とよく聞きます。もし家族が美味しいと返事をすれば、顕示する心が満たされます。いつものことですが、家族が仕事から帰って来ると、私は彼らに「今日、私はあれこれの家事をして、とても忙しかった」とよく言います。家族が真剣にそれを聞き入れなければ、私は「今日の家事はタダ働きだった」と何とも言いようのない気分になります。

 あるとき、同修たちと一緒に法輪功迫害の実態を伝えに行った時、同修と私の姉(同修)は後ろを歩き、私はハイヒールの靴を履いてバタバタと前を歩いていました。同修は姉に「あなたの妹さんは、てきぱきしたところを見せているのね」と言っていました。家に帰って考えてみると、本当に恥ずかしくて仕方がありませんでした。

 また、法輪功迫害を伝える面では、私は、今日どのくらいの人が中国共産党組織から脱退したかを、同修たちの前で見せびらかすことがよくありました。実はすべてのことは師父が行なっておられ、師父のご加持とご加護がなければ、私に何が出来るでしょうか?

 私にはもう一つの強大な執着心があります。それは、きれい好きなことです。自分の家をスッキリさせたいという強い執着心です。家に人が来て「あなたの家はスッキリしていますね!」と言われたら、「うわー、やった」と思い、自分の顕示心が満たされ、とてもいい気分になります。実は、私達は人間世界にいること自体、すべて泥んこの中で生きているのに、どこがきれいなのでしょうか? 

 法を学ぶという面では、私は自分を顕示することが好きです。同修達の前で、自分はどれだけ法を暗記しているかをよく顕示します。 功を煉る面も同じです。私は1年365日途切れなく功を煉ります。もし、功を煉らない日があれば、次の日は必ず補うようにしています、と同修達に自慢げに話したことがありました。実はこれは修煉者にとっては当然なことで毎日行なうべきことで、見せびらかすことではありません。

 耐えず学法を通して、私は完全にこの顕示心の危険性を認識して、この面で非常に注意を払うようになりました。しばらく経った頃、私はこの顕示する心を多く取り除いたと気づきました。つまり、どんなことに対しても、黙々と黙って行なうことが出来るようになり、かえって多くのことが楽に出来ると感じました。

 私はせっかちな人間なので、大法を学ぶ前は何事にも焦り、焦る時は間違ったことをしがちですが、自分の間違いを決して認めませんでした。大法を学んでからは、せっかちな心を注意を払って修めました。私は他の人に別人のように変わった、と言われました。私の姉は「誰があなたを変えることが出来たの? 大法だけがあなたを変えることが出来たのね」。確かに、大法だけが私を変えました。

 今、私は大法に照らして自分を修めることが出来るようになりました。私は耐えず法を学び、修煉することを通して、大法の指導の下ですべての執着を溶かすことが出来ると信じています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/14/411774.html)
 
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