文/ Arnaud H.
【明慧日本2021年7月24日】(前文に続く)
宗教と哲学
古代ギリシアの宗教は神話と非常に密接に関係していましたが、人々に教えるため、神話の中の戒めの意義がある部分を選んで使っています。当時の人々は皆神を信じることが当然なことだと思っていたのです。厳密に言えば、その時代には「宗教」という概念がなく、現代人のような宗教に対する概念もなく、ただ説明しやすいように、学術界では「宗教」という言葉を使い続けました。
「哲学」という言葉を目にすることもあります。古代ギリシアの哲学は、当時としては学問ではなく、伝承されてきた修煉門派や修煉方法になぞらえるもので、それを釈迦や老子の説く修煉法門と同じ類にする現代学者もいます。その意味では、古代の哲学は宗教と余り変わらず、そういう考え方は学術の立場から見ても一理があります。
ピタゴラス主義を例に挙げましょう。現在、ピタゴラスは哲学者に分類されているので、ピタゴラス主義を学術的な立場から一つの哲学流派にすることが多いのですが、その理論に宗教や神学的な内容が多く含まれるため、ギリシア宗教が話題になると、ピタゴラス主義はまた宗教門派に分類されます。
ギリシア神話にまつわる伝説は往々にしてストーリ構成や面白さを重視する傾向がありました。知恵の乏しい人間たちは、人間の論理と執念に基づいて作り話をするので、作品の中で神々に人間のような感情、嗜好を与え、時には邪悪なこともさせます。しかし、当時のすぐれた思想家や賢者、高尚な教派は、このようなでたらめな作品に興味を示しません。アポロ神殿の入り口には、三つの有名な箴言、「汝自身を知れ」、「度を越すなかれ」、「むやみに誓うことは災いに近い」が刻まれていることは、神話の物語とは異なる宗教の戒めの性格を表わしています。
もちろん、悪い働きを果たすものも少なくありません。例えば、エレウシスの秘儀(古代ギリシアのエレウシスにおいて、女神デーメーテールとペルセポネー崇拝のために伝承されていた祭儀)には、参加者に大声で下品な冗談、汚い言葉遣いで喋ることを要求します。特に後期になると、社会全体の道徳が崩壊して、あらゆる産業も混乱しました。パルテノン神殿での大人数の大淫乱行為は歴史にも記録が残っています。
アポロ神殿の遺跡をもとにフランスの建築家が1894年に描いた復元図 |
古代ギリシアの宗教には、神からの啓示を非常に重視するという特徴もあります。権力者でも一般人でも、重大な出来事や困難に遭遇した時に、神殿に行って啓示を求めます。神がその礼拝を受けてから啓示を下します。最もよく見られる伝達方法とは、啓示の言葉を、祭司や専門の預言者を通じて、人々が理解できる韻文に翻訳して、詩句の形で祈願者に伝えるのです。デルファイに建てられたアポロ神殿の啓示は、最もあたるといわれているので、紀元前8世紀頃から、古代ギリシアの極めて重要な信仰の中心となりました。
ソクラテスが生きていた時、神殿の神は「ソクラテスより賢い人はいない」と諭しました。しかし、このような高い非凡な評価は多くの嫉妬を呼び起こし、その結果、ソクラテスは神を冒涜し青年を堕落させた罪名で、500人の陪審員の投票で死刑を宣告されました。
アテネアカデミーの前に建つソクラテス |
誰もが神を信じていた時代に、陪審員やソクラテスを憎んで嫉妬した人々は、神の存在を信じる人たちです。しかし彼らは神を敬うという名の下で怒りをあらわにして、聖人ソクラテスを殺したことは、変えられない事実です。
私欲のために聖者に手を加えたことは珍しくなく、西洋で最も有名なのは『聖書』に載っていたヘロデ王の乳児虐殺の話です。ユダヤ人の新しい王が誕生したと知って、ヘロデ王が殺す命令を下し、しかし、派遣された人は天使に注意され、任務を放り出して逃亡しました。ヘロデ王はイエスを見つけることができなかったため、イエスの故郷ベツレヘムの2歳未満のすべての赤ちゃんを虐殺するよう命じました。
このような例は古今東西によく見られ、歴史上の司教、住職など神職に就いている人に貪欲が満ちて堕落した者も少なくありませんが、彼らの多くは本当に神の存在を信じていました。無神論の中国では、多くの汚職役人は迷信のレッテルを貼られている「風水」を信じています。それでも、彼らが汚職や腐敗をしなくなることは決してありません。
神の存在を信じていても、その人が自分の道徳性や精神性を高める工夫をしなければ、必ずしも高尚な人になれるとは限らないということは多くの事例から見受けられます。道徳とは、何かの存在を信じるかどうかを通じて、簡単に評定できる概念ではなく、人間の行為規範、人間としてのあり方に貫かれた品行、価値観、心性の全体に及ぶものです。さらに厳しく言うと、もしある人が神の存在を信じているのに、人間の道徳性に対する神の要求を無視すれば、このような 「信」も似て非なるものであり、甚だしきに至っては変異的であり、正真正銘の「信」とはいえません。
古代の賢人はいずれも道徳と心の修煉を重んじる人であり、今日のような表面的な学問や技術だけで人間の価値を計るのと大きく異なります。例えば、「古代ギリシアの七賢人」の一人であるタレスが、いかに天文地理に精通し、いかにミレドアン学派を創始し、いかに西洋史上で初の名を残した哲学者になったかについて、現代人はもっぱら関心を寄せています。実際に彼が行ったのは大衆に対する道徳の教化であり、彼が持っていたのは科学的知識というより、超能力というべきでしょう。
大賢者のタレスは紀元前585年5月28日の皆既日食を正確に予想し、また冬に来年のオリーブの大豊作を予言したことが書かれています。現代人はタレスの豊富な知識に基づいて綿密に計算して判断したと思い、彼のことを「科学の父」と呼びます。しかし、現代の計器を使わず、科学が極めて発達していない2600年前の古代人にどうやって正確に予測できたでしょうか。
彼の事績を科学の力だと力説するよりも、それは預言者の予言だと認めたほうが筋が通ると思います。俗世間でタレスの身分は商売人ですが、真理の探究と哲学の研究に多くの金と時間を費やして、とても貧しくなりました。本人は気にも留めませんでしたが、周囲は哲学を研究しても何の役にも立たないと彼を非難しました。皆の認識を変えるため、タレスは冬に来年のオリーブの大豊作を予知して、地元のオリーブオイルを絞る工房を低コストで全部借りました。競争者がいないため、翌年に工房を貸し出すだけで多額の利益を上げました。タレスは、「哲学者が望めば簡単に金持ちになれるが、それは彼らの追求したいものではない」ことを証明しました。
(続く)