鼻ポリープが出来てから消えるまでの悟り
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 【明慧日本2021年10月10日】教師である私は、十数年前に鼻にポリープがあることが健診で分かりました。それまで鼻詰まりや呼吸困難の状況がなかったので、あまり気にしませんでした。2021年7月に鼻水が出始め、最初はたまに出るくらいだったのが、半月後から頻度が早くなり、10分ごとに出てくるので、手元に常にティッシュがないといけませんでした。7月末には、片方の鼻孔が鼻ポリープで塞がれ、鼻孔に指を入れると触ることができ、もう片方の鼻孔は鼻水が常に出ている状態になりました。

 事態は急にひどくなり、私は焦ってしまいました。どうしたらいいのか? 外出もできないし、ましてや人に真相伝えもできなくなり、普段の生活や仕事にも支障をきたしました。片方が詰まっており、もう片方の鼻から鼻水が出て苦しくなり、常に鼻を拭いている状態でした。私は自分に、きっと大きい執着心があるからこの状態になったのだと思います。師父は、自分の執着心があるからこそ、旧勢力に弱みを握られ、その執着心を拡大させたのだとおっしゃったのですが、以前に同修の交流文章を読んだこともあり、私は旧勢力が悪さをしているとは思っておらず、旧勢力の迫害に対しての発正念をしませんでした。原因は自分の身にあるので、発正念をしても解決しないのです。内に向け探すことは問題を解決するための根本なのです。

 私は内に向け探し始めました。鼻ポリープを発見した時は、私に困らせることがなかったので気にしませんでした。また私は大法を修煉しており、病気などが私の身には起きないと思っていました。その後、私の家は資料を印刷する拠点となり、周りの同修に資料を供給し始めました。十数年も順調に運営しており、少し気が緩んでしまい、仕事以外でも学法をするのではなく、ネットで動画を見たり、小説を読んだりしていました。そして「私はそれしか趣味がないし、内容は刑事推理小説なので大きな執着心にはならないでしょう」という非常に強力な言い訳を自分にしていました。特に6月は空き時間が多く、急な仕事以外は小説に時間を割き、1時間でも2時間でも、家に帰ってからも手放せないほど興味深く読んでいました。最初はこっそり読んでいましたが、それを知った妻は小説を読む時間を修煉にしたらとアドバイスをしてくれましたが、しかし私は魔性を起こし、妻と喧嘩してしまいました。自分の時間をどうするかなんて、あなたに決める権利はない、規制されればされるほど、読みたくなるので、読む時間がどんどん伸びて、時には深夜まで読んだりすることもありました。毎日学法をしていますが、しかし時間が短く、五式の煉功も保証できませんでした。

 鼻ポリープが酷くなるまで、修煉者として対処せず、ネットで鼻ポリープを治療する薬等を探し、手術ができる病院や費用まで検索していました。コロナの流行がなければ、10年以上使っていなかった健康保険証を使って、入院することになったかもしれません。長年蓄積してきた医療費で手術ができると自分に安心させたのです。今振り返ると、その時は修煉者の影すらなかったのです。病院にも行けず、薬も飲めず、この問題を解決するのに大法しかないと思いました。

 毎週「明慧週刊誌」を読むように言ってくれた妻と同修に感謝します。同修の交流文章を読むたびに、自分の心が引き締まり、正しい道を見つけることができました。師父は私が大法に戻る願望があるのを見て、私の脳に「善解」(善を以て解決する)という言葉を明確に示してくださいました。師父は、7.20までに既に弟子の身体を無病状態にまで押し上げていたとおっしゃいました。私はこの状態になったのは、自分の執着心を放任したまま、他の空間の生命体が私の修煉に絶望的になり、債務を請求しに来たので、鼻ポリープが出きたのです。自分の考えを正し、執着心を取り除くことができれば、身体は修煉者としての無病状態になれるのです。気づいたらやらないといけないので、私はすぐに座禅をして合掌し「鼻ポリープの背後の生命、私とどんな因縁があるのかは知らないが、現在、師父の法を正すことを手伝っており、この宇宙で一番正しいことをしているので、如何なる生命も干渉したり迫害をしてはいけません。私に如何なる執着心があっても、全て法の中で正すので、私の身体からすぐ離れて、私の鼻が正常な機能に戻り、正常な呼吸をするようにしてください。師父の法を正すことを手伝っているのを妨害しなければ、法に貢献したことになり、あなたにも良い未来があるでしょう。あなたも私も正法に貢献する機会を大切にしましょう」と善解したのです。善解と同時に、私は携帯の中の全ての小説を削除し、毎日丁寧に「轉法輪」を書き写して、真剣に法を読み、心で理解し、自分の思想を法で満たすようにしました。

 実際、5日も経たないうちに鼻水が止まり、鼻ポリープも消えてしまい、呼吸も正常に戻りました。但し嗅覚はまだ回復していません。(十数年前嗅覚がなくなり、きっと何かの執着心があるはずですがまだ気づいてないようです)

 この過程を振り返ると、私の教訓は「心性が法にそっていなければ、きっと身体に問題が出てきます。修煉者として、旧勢力だけではなく、あらゆる生命が自分の一挙手一投足や思考を常に注目していることを真に体験していました。「物事の善し悪しは人間の一念によるものだ」 [1]。善解が成功した理由は私の大きい功力ではなく、大法の威力であり、違う空間の生命が同意してくれたのです。学法をしっかりおこない、明慧ネットの交流文章を多く読み、随時に自分の一思一念を修めるのです。

 個人的な悟りであり、不適切なところがあればご指摘をお願いします。合掌!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/30/431261.html)
 
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