顧客対応で心を修める
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年11月14日】私は、仕事を辞めて2年8ヶ月以上になる主婦です。20日前に前職の会社のチームリーダーから夫に電話がありました。会社の方針で短期間に大量の仕事が発生して人手が足りなくなったので、以前に勤めていて経験があり安定感のある私に復帰してほしい、収入も得られるからと言うのです(前職は夫と同じ会社でした)。チームリーダーから再三にわたって電話をいただいたので、私は2日後に復職を決意しました。

 以前の私は、社内の同僚とだけやり取りする仕事でした。しかし今回はグループのカスタマー・サービスを担当し、お客様と直接やり取りします。お客様の中には、礼儀正しい人もいれば礼儀が足りない人もいます。すぐに習得できる人もいれば、理解が遅い人もいます。また、自分が覚えられないのですぐイライラする人などもいます。様々な人や物に関わってきます。私は仕事量が多く、しばらく非常に忙しい状態が続きました。一方、同僚がせっかちな質問をしたり、叱責する口調でお客様に話すのもよく耳にしました。 「教えたではありませんか。どうしてまた聞くのですか?」「忙しいのです。ちゃんと聞いてください! 私の話を聞いてくれませんか!?」「やっと調整したのに、めちゃくちゃにしましたね」などです。以前の私は、彼らとあまり変わりませんでした。『党文化を解体』という本に、とても印象的な例がありました。家の中が暑くて窓を開けたいとき、台湾人は 「家の中がちょっと暑いので、窓を開けてもいいですか?」と言います。しかし私たち中国の人間は、「家の中がこんなにも暑いのだから、窓を開けたらどうだ!」と、窓を開けていなかったのが間違いであったかのように言うのです。党文化の影響を受けた中国の人々は、確かに無意識のうちに口調や心に闘争心や邪悪な要素を含んで話すことが多いのです。

 法の中で師父はよく、修煉者は善を修めるべきだと説いています。「平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです。日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません。」[1]

 仕事中、私は師父の法で自分を律することが多く、お客様にも同じように接しています。「この質問については話し合ったばかりです。もう一度学びましょう」、「今は少し忙しいので、後ほど連絡します」、「あなたはとても賢明で、覚えるのがとても速いですね」などのように、落ち着いたトーンのコミュニケーションを心がけています。あるお客様は、朝7時から夜9時近くまで、ほぼノンストップで質問をされました。私は他のお客様の質問に追われながらも、適宜彼女の質問に対応しました。しかし、彼女は自分の質問をはっきり伝えることもなく、私のいう事も分かってもらえません。態度も良いとはいえません。人の良い同僚も「あの人は何を言っているのでしょう? 彼女は何を聞きたいのでしょうね? 私はそんなお客さんを相手にしないのよ」とまで言っていました。実際、この過程で私も苛立ちを感じましたが、師父が私たちに他人への思いやりを教えてくださったことをすぐに思いました。彼女は新しいシステムを使ったばかりで使いこなせず、きっと焦っているはずです。うまくいかない場合、彼女は上司から非難されるかもしれません。そう考えると全く怒る気がなくなりました。私の仕事ぶりはお客様からも評価されて、チームリーダーから「親切で忍耐強く、コミュニケーション能力が高い」とよく言われるようになりました。また、感謝の気持ちを表すために紅包(祝儀)を送ってくれる人もいましたが、すべてお断りしました。

 今回の復職では基本給の3ヶ月分しか支払われません。その他の収入はグループ内で分配され、グループ内での分配は売上に直結しています。私は長い間仕事をしておらず、以前からお客様との接点もなかったため、お客様のリソースもなく、売上もほとんどありませんでした。グループの同僚のために頑張ってみても実績があがらず、しかも多くの作業があって非常に忙しいのです。本当に復職する意味がありません(私が働かなくても、家族の生活に支障はありません)。グループリーダーは、他人のクライアントを自分のものにしてお金を稼ぐ方法やテクニックを教えてくれました。他の同僚が月に100万円以上、あるいは数百万円の売り上げを達成しているのを見て、私もちょっとした技を使ってみようかという思いが生じました。しかし、大法の中で師父はこう仰っています。「修煉者は自然に任せることを重んじるべきです。自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません。」[1]私は師父の言葉に従い、利益のために働くのではなく、修煉者としてどこに行っても良い人として、仕事をきちんとこなし、お客様との交流を通じて修煉者の善を伝えたいと思います。

 ある時、グループ外のお客様と関わったことがありました。そのお客様は、未解決の問題を抱えており、彼女の担当者が忙しそうにしているのを見て、私が助けてあげました。 彼女が新しいシステムの導入について相談してきたとき、私は彼女が会社に購入記録を持っていないことに気づきました。つまり、彼女が使っていたのは海賊版だったのです。会社のルール上、新規顧客として1万円以上高い価格で請求するしかありません。私はそのまま本当のことを伝えましたが、彼女はとても激昂し、訴えて法的手続きを取るなどと言い出し、私に解決策を求めました。以前、彼女を助けたことがあったのに、今は本当のことを言っただけで苦情や非難を受けていることに、ちょっとした違和感を覚えました。最初は、怒ったり愚痴を言ってはいけないと思っていましたが、自分が困らないように放置することもできました。しかも彼女には担当者がいるから大丈夫と思っていました。しかしよくよく考えてみると、修煉者としては善で問題を解決すべきだと思い、上司に相談しました。するとそのお客様がすぐ連絡を受け、問題は無事に解決しました。彼女からは感謝のメッセージが届き、私はもう二度と接することもないだろうと思いました。しかし、彼女からある日の夜8時に「お客さんを紹介したい」と連絡がありました。1店舗だけと思っていましたが、まさか相手が数十店舗を所有していたとは思いませんでした。今回は時間が足りず、まず10店舗に導入しました。こんな短期間で自分のクライアントを持ち、それが後で大口のクライアントになるとは、私も他の同僚も思ってもみませんでした。全て決着したあと、私は見せびらかしたり、目立ちたいと言う心理が全くありませんでした。師父や大法の要求に沿って少しやっただけで、すべては師父がやってくださったと確かに感じました。

 常人の心を本当に手放し、師父と大法を信じ、大法に沿って行動することができれば、本当に超常的なことが起こると、より深く理解することができました。現在、社会の風紀や人々のモラルが低下しており、「真・善・忍」を行うことは現代社会では難しいと思われているかもしれません。しかし実際には、師父のお言葉にあるように「もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗花明又一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません![1]

 師父が大法を世界に広めてくださり、大法弟子がどんな環境や地位にいても修煉できるようにしてくださっています。修煉者が向上し昇華し、社会や人々が利益を得られるようにしてくださり、本当に感謝しています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/21/432713.html)
 
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