義父母の世話をする中で心を修める
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年2月2日】義父母の世話をしている間に、2人のおかげで、深く隠れていて、今まで自分が気づいていない多くの私心を見つけることができました。私心には独善、嫉妬心、恨む心、顕示心、嘘をつく、メンツを重んじる心などが含まれています。

 1、私の私心を直してくれた舅に感謝

 舅は古希の年に入ってから、体の片側の手や足が不自由になって、毎年私の家に数カ月住むことになっています。85歳の時、すでに我が家に1年余り住み続けて、まだ一度も故郷に帰っていません。夏になると、故郷に帰ってみたいと舅は何度も言い出しました。故郷は私の家から100キロ以上離れて、長距離バスに乗って途中で2回乗り換えなければなりません。手足が利かないことはさておいて、健康な体を持つ85歳の人でも、一人で故郷に帰すわけにはいきません。夫は舅と相談して、「もう半月待てないか、学校が夏休みに入ったら、お父さんと一緒に帰る。実家の庭の手入れや、オンドルの片づけもしたいし」といいましたが、しかし何を言っても舅は明日家に帰りたいという考えを変えませんでした。私たちが彼を二つ目の乗り換えのバス停まで送ってくれればいい、次のバスに乗れば一人でも家に着くことができると主張しました。

 親子の会話を聞きながら私はひらめいて、舅に「お父様、〇〇さん(夫)にあなたを家まで送ってもらおう。そうすれば、私たちは心配しなくてもいいし、〇〇さんは1年以上お母様に会っていないので、彼もお母様に会いたいのよ。この機会にお母様にも会おう」と言いました。夫は喜んで、すぐに「うん、私もお母さんに会いたい」と言いました。これで、問題は解決できると思ったのですが、ちょうど食事中、舅は箸をテーブルの上に置いて、不機嫌そうな顔をして怒りました。

 私は自分が今言った言葉を振り返ってみましたが、特に何か間違ったことを言ったとも思いません。そこで、「お父様、私のどこが間違っていて、お父様を怒らせたのか。教えてくれれば必ず直します」とニコニコして舅に言うと、舅は何も言いませんでした。夫も「お父さん、私たちのどこが間違っていたのかを教えてほしい。直すから」と言いました。舅は「こんなに嫁の言いなりになる男を見たことがない。本当に天下の旦那の手本になれるね」と怒っていました。

 私の笑顔は凍り付いて、口の中のご飯も飲み込めなくなりました。舅が怒っている最中なので、私と夫は声を上げる勇気がありませんでした。

 そして、私はテーブルを片付けていると、夫は舅に『轉法輪』を読み上げて聞かせています。片づけが終わると寝室に入り、学法しようとしましたが、全然頭に入らなくて、悔しくて涙が止まりませんでした。しかし修煉者は何があっても偶然ではなく、内に向けて探すべきです。さっきの会話を思い出して、どこが間違っているのか依然として分かりませんでした。引き続き内に向けて探して、今度は表面上の正しいか間違いかを探さずに、さっきの言葉を言い出した時の動機は何であるか、その動機は真・善・忍に合っているかを考えました。

 見つかりました。第一に、顕示心があります。舅を故郷に送る目的を達成するため、「夫が姑に会いたい」という十分な理由を作って、自分の利口さを誇示しました。第二に、心のバランスを取れない心です。舅に対して私は本当に全力で親孝行をしたのですが、怒られた時悔しくなりました。第三に、「真」ではないところです。夫は母親に会いたいと言ったことがないので、私は嘘をつきました。舅が怒ったのは当然です。そう思うと、心はパッと明るくなって、感激の涙が流れて、私は手を合わせて、師父に感謝し、舅にも感謝しました。

 しばらくして、隣の部屋で舅が夫に「さっき私はどうして〇〇さん(私)にあんなことを言ったのか、彼女はなんて良い子なんだろう」と言ったのが聞こえて、思わず涙が流れてきました。内に向けて探すのは本当に最も有効な方法で、私は自分の間違いを見つけたら、舅も自分の間違いが分かるようになりました。

 2、姑も私の私心を分からせ、直してくれた

 舅が亡くなった後、私たちは姑を家に迎えました。姑が88歳の歳の夏、なんと2カ月余りの間、私の恨む心、嫉妬心、特に汚いゴミを嫌う心は直されました。

 姑がトイレに行く時に、私はズボンを脱がせて、お尻を拭いて、ズボンを上げます。食事は自分でできなくなったため、私か夫がスプーンで姑の口に入れます。姑の着るもの、使うものはすべて手が届くところに置かないといけません。ベッド上に、床に、ソファーの上に、テーブルと椅子の上に散乱して、しかも誰にも触らせません。年をとると記憶力が悪くなり、言っていることの内容が混乱する場合もあって、突然怒り出したり、泣き出したりもします。気に障るようなことを聞いたら、すぐに故郷に帰ると騒ぎ立てます。

 これはまだ何でもないことで、最も困ったのは、姑が家をとても汚すことです。鼻水はあちこちに捨て、痰はどこにでも吐いて、トイレで大便をつまんであちこちに塗ります。一番ひどいのはある日、私は台所で家事をしていた時に、姑がトイレに行って大便をしたことが分かりませんでした。気が付くと、家に大便の匂いが充満して、トイレのドアに、床に、壁に、洗面器に大便が塗られて、もう足を入れるところがありません。姑自身の髪の毛に、体に、靴に、上下の服に、ポケットの中に、ズボンとパンツの中に、便器は大便だらけになりました。あまりにも衝撃的な場面に私は呆然となって、不満を抑え、どこから片付けたら良いかを考えました。

 まず姑の手を洗うことから始めようと、トイレの外に段ボールを敷いて、姑の服を全部脱がせて、ぬるま湯で頭から足まで拭きました。姑は「臭いか」と私に聞いてきましたが、私は怒りに耐えて、平静な顔を作って、「臭くないはずがないでしょう」と答えました。姑は「いやいや、良い匂いがする、食べてみて」と言いました。不遜なことを言って姑を傷つけるのを避けるため、私はもう何も話さないようにしていました。

 そうやっている間に、私の両手も大便だらけになりました。きれいに洗ったら、姑に布団をかけてベッドに寝かせて、きれいな服と靴下を履かせてあげました。それから、私はトイレを片付けに行きました。その間に姑はまたズボンに大便をして、シーツも汚してしまいました。「どうして大便を一度に全部出さないの」と聞いたら、姑は「あんたが臭いと思うから」と答えました。

 私がちょっと気を緩めたら、こんなことが起こります。しかも夫が家にいない時に限って起こります。心身ともに疲れきって、とても苦しいのです。いろいろな人心が湧いてきて、学法に集中できなくて、煉功発正念をする時に居眠りをします。姑の気に障るようなことを言うと、姑はすぐ荷物を片付けて故郷に帰ろうとし、家の中の雰囲気はますます気まずくなりました。

 前世に姑に借りがあるかもしれないと思って、できるだけの努力をして借りを返そうと思いました。修煉者として、ただただ耐えるではなくて、こんな環境の中から向上しなければなりません。姑は鏡のように私の執着心を全部写しました。

 恨む心、嫉妬心、メンツを重んじる心、汚れを恐れる心など、いずれも私心から生まれたものです。それらを否定して消去しようと思いましたが、あまり効果がありませんでした。姑は相変わらず彼女の「連続ドラマ」を演じ続けています。私の忍耐が限界になって、「故郷に帰りたいなら、今度は本当に故郷に帰れば良い。夫の兄弟たちも親の扶養をしなければならないのだ、どうして夫と私だけに押し付けるのか」と思いました。「身を労するを苦と算せず 心を修するは最も過ぎ難し」[1]の内実を身を以て体得しました。

 ある日、とても急勾配の山を登る夢を見ました。私は山の中腹におり、上へよじ登ることはとても難しいでのすが、下へ退くこともできない状態です。下手に動くと下に落ちて墜落死を避けられないようなので、目が覚めてからもしばらく心臓はドキドキしました。修煉には戻る道はないと師父がお告げを下さったと思います。

 私は『轉法輪』の暗記を始めて、一日の四つの正の時間以外、家事をやる時も発正念をしました。何日か続けているうちに気分が良くなりましたが、姑が騒ぐと、恨む心などはまた湧いてきます。涙を耐えてあちこちの痰と大便を拭きながら、心の中で「ありがとう、お母様」と自分に言い聞かせました。

 義母はいつでもぼんやりしているわけではなく、思考力がしっかりする時もあります。その時に、私は『轉法輪』を読んで姑に聞かせ、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を唱えることを教えます。その時、姑は大人しくなり物静かになります。また、姑に自分でご飯を食べること、用を足すことを教えました。最初、スプーンを持つ手の震えがひどくて、ご飯はたくさん散らかりましたが、練習を重ねると、だんだんと自分で食事ができるようになりました。姑がトイレに行く時、私は必ず付き添うようにしています。

 心性が高まるにつれて、だんだん大便を嗅いでも臭く感じなくなりました。姑は私にべったりついて、私は近くの買い物すら行けなくなっています。ある日、急用で20分ほど家を空けたのですが、帰ってきたら、姑が玄関の床に座って泣いているのを見ました。どうして泣いているのかと聞くと、姑は「あんたと離れたくないから」と答えました。二度と姑に悲しい思いをさせないために、それから4カ月、私は一度も家の門を出たことがありませんでした。

 数カ月が経ち、姑の悪い癖が少なくなりました。大便の時に手でつまんだりしなくなり、痰をあちこち吐くことも減って、服を散らかさなくなり、時には自分で「法輪大法は素晴らしい」と唱えたりします。姑は「法輪大法は素晴らしい」を唱えて、師父の説法録音を聞いたおかげで頭がすっきりとなりました。また私は内に向けて探すことができて、師父は私を助けて、家の環境を良くしてくださったと思います。

 涙ぐんで無理に我慢することがなくなり、平然として「忍」を守ることができるようになりました。恨む心、嫉妬心、メンツを重んじる心などの人心も薄れました。師父のご加持に感謝します、新しい私を造り直した法輪大法に感謝します。

 振り返ってみると、私の歩んできた道は、多くの女性が経験したと思います。個々の事情が異なっているかもしれませんが、その苦労、その疲れ、その無力さは似ていると思います。修煉をしていない人の場合、同居した老親を見送ってから自分も疲れすぎて倒れた人もいて、老親に態度が悪く毎日辛く苦しい顔色を見せる人もいて、親子の不和、夫婦の不和、兄弟の不和はよく存在しています。

 私は幸運に恵まれています。法輪大法の修煉者であるため、困難に遭った時に、大法の指導を得ることができ、人生の様々な難題に平然と立ち向かうことができるからです。真・善・忍を基準としたこの修煉法と、この修煉者たちのことを、少し知ってもらいたいのです。大法弟子は真・善・忍を行動で実践しているため、どのように良い人間になるかについて最も発言力があります。皆さん、中国共産党の嘘に騙されないで、「三退」し正しい選択をしてください。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/1/19/437004.html)
 
関連文章