文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年2月21日】私は70歳で、小学校4年生の学歴しかありません。 同修から「法を写すことは、法をより深く学ぶのに役立つ」と聞きましたので、私も法を写すことにしました。
法を写し始めたばかりの頃は、手が震えて、いつも間違った文字を書いてしまったり、文字がきれいに書けなかったり、写す行を間違えたりしました。 これは師父が伝えられた高徳な大法なのだから、こんなに粗末にしては師父にも法にも敬意を払えないと思ったのです。
師父は 「われわれの中の天目が開いた人なら見えますが、この本は色鮮やかで、金色の光を放ち、どの字もわたしの法身の姿かたちです 」と話されました。 [1]それは、私がきちんとした姿勢で清浄心を持って法を写すこと、そして法を写すことを真剣に考えなければならない、と言うはっきりした師父の要求だとわかったのです。 法を学び、法を実践することは非常に厳粛なことであり、法を写すことも同様です。
そこで、朝8時半から11時半までと、午後1時から5時半まで、背筋を伸ばして正しい姿勢で座禅をして法を写すことを自分に課してみたのです。 最初の頃は雑念がまだ多く、外部からの妨げもありました。正念を発しながら、それを排除して、法を写すのですが、なかなかうまくいきません。 それは、日々の修煉の中、清浄心を十分に保つことができず、心に雑念が多いからです。それで法を上手く写すことができるのでしょうか? 私は心の中で法を唱えていましたが、やはり雑念や思想業力が邪魔をして、時には非常に激しく現れ、あれもこれも、抑えても、心が静かになることはありませんでした。
そこで考えたのは、「法が大きいのか、それとも妨害が大きいのか」ということでした。それで私は大きな声で唱えながら法を写すことにしました、すると、たちまち人心も雑念も悪念も追い払われ、邪魔な物質も頭に入ってこないので、落ち着いて法を写すことができ、法の威力の凄まじさを感じました。
「修は己にありて、功は師にあり」[1]法 を写すということは、心を修める過程でもあります。 また、師父は常に私を励まし、私の正念を強めてくださいました。 法を写すときに、焦りや苛立つ気持ちがあってはいけません。一字一句、根気よく書き写し、句読点も丁寧に書き写す必要があります。 ある日、法を書き写し終えようとしたら、一行だけ書き残されていることに気づきました。 また最初から写すのは面倒だと思いましたので、近道を見つけたいと思っていたところ、ミラレパを思い出しました。ミラレパの師は山の上に家を建てるように言い、ミラレパは山の麓から石や木を運んで家をたて、 家を建てた後、師が壊して建て直せというので、建て直しました。建てた後、師はまた家を壊してまた建てろという具合に、建てては壊し、壊しては建て、常に苦しませながらミラレパの心を磨いたのでした。 ミラレパは文句も言わず、師の言うことに従いました......そう思うと、私は迷うこともなくなり、この一話の法を最初から写し直すことにしたのです。 その後、読点や句点がうまく書けていないところがあっても、一から法を写すようにしました。
師父は、私が法を良く写す心を持っていることを見抜き、いつも励まして下さいました。私は メガネをかけたことはありません。真っ暗になった日没まで写したこともありますが、目が疲れませんし、毎日法を写していても腕が痛くなりません。字を書いている手は透明に見えて、法を写しているノートのふちの色は白から赤、また黄色、青、紫に変わります。時には銀色に、透明にもなります。ノートのマスは大きく拡大されたり、小さく縮小したりします。 時々、師父が法を写している私を見ているような気がして、私が行を間違えたりすると、すぐに指摘してくださり、見ると、ある行、あるポイントに小さな金星や銀星が現れて、確認すると、そこは間違った行、間違った言葉だったということがわかりました。 師父は慈悲深く、弟子一人一人に整然として、順序良く按排して下さいました。最高のものを与えて下さいました。 師父の広大な慈悲に感謝します。
一生懸命、最高レベルを目指して書いた文字が、自分の基準に達していなかったときでも、なるべく 自分のベストを尽くします。続けて法を写すことは法を暗記する過程でもあります。その過程で、自分の心の中にある多くの人心、執着、観念、名声、利益、情などが見えてきて、それらをすぐに取り除くことができるようになったのです。 私の修煉したい心を見て、師父は多くのことを取り除いてくださいました。 法を写す過程で、私の心身は大きく変化し、以前は時々体に不正確な状態がありましたが、今は全くなくなり、師父が私のために根本から取り除いて下さいました。 今では軽快に歩けるようになり、仕事をいくらしても疲れません。
以上は、私が法を写して心を修めた少しの体験です。足りないところ、或いは法に沿っていないところがあれば、同修の皆さんの慈悲なるご叱正をお願いします。
合十
注:
[1] 李洪志師父の著作:『転法輪』