発正念の重要性について語る
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文/ 中国の大法弟子

 【明慧日本2022年11月18日】明慧ネットで報道された大法弟子への迫害の事例を見たとき、迫害を受けたのは自分ではありませんが、自分の責任について考えるようになりました。自分が消滅すべきなのに消滅しなかった悪が関わっているかも知れないと考えました。

 師父は説法の中で「皆さんに教えますが、現在も残っていて大法と大法弟子を迫害することのできるものは学習者自身の原因です。正念を発することを重視していない学習者、あなたたち自身が受け持つべき、責任を持つべき空間にある邪悪がまだ根絶されていないという原因です。ですから、皆さんは正念を発することをくれぐれも重視してください。自分に能力があると思っているかどうかに関わらず、正念を発するべきです。自分の考えの中のものを根絶するとき、それはあなた自身の身体の範囲内に作用しますが、同時にあなたは外在のものも根絶しており、それがあなたのいる空間と直接関係しているため、あなたが彼らを根絶しなければ、彼らはあなたを迫害し抑制するだけではなく、他の学習者、他の大法弟子をも迫害するのです」[1] と、このように説かれました。

 天目が開いたある同修からこのような話を聞きました。ある時、彼はほかの何人かの同修と一緒に深刻な体調不良に陥った同修のために発正念をしていた時、旧勢力の悪い神が消滅されず逃げ出したのを目にしたそうです。その後長い間、その旧勢力の悪い神はしばしば同修の修煉の邪魔をしてきたそうです。

 ここ数年、大法弟子を迫害する拘置所や刑務所の付近で、私はよく発正念をすることがありましたが、最初はいつも眠くて発正念することができない時が多くありました。私と一緒に行ったほかの同修も同じ状況でした。そこは邪悪が非常に多く、あなたが誰であれ、迫害や干渉をしてくるのです。

 邪悪はその本質が邪悪なので、誰が誰であるかは気にしません。 邪悪な存在も霊的なもので、いつも発正念をする同修の空間にはいられなくなると、よく発正念しない同修の空間に逃げ込み、そこが邪悪の隠れ場所となり、さらに邪悪が集まるとその同修自身もトラブルに巻き込まれる日は遠くないでしょう。

 迫害当初に比べれば、邪悪の数はかなり少なくなっているはずです。大規模な迫害を行うには彼らの能力を超えているはずで、その都度、各地から悪の力を集めて実行に移そうとするでしょう。ほかの空間にある邪悪は独立したものではなく、その黒い手や腐った神に支配されるので、少なくとも、自分自身が邪悪に迫害されたり、自分自身が悪を放任したことが他の同修たちを迫害する要因にならないように、自分自身の責任をちゃんと果たすべきです。特に、ある地域や小グループの大法弟子に問題が生じた場合、他の大法弟子は自分のことを考えるべきで、自分には関係ないと思ってはいけません。

 同修の中には発正念の力を信じていても、普段は発正念をすることをあまり重視せずに、自分の体に問題が生じた時や困った時、危険に遭遇した時にだけ、慌てて発正念をする人がいます。これは、発正念をすることが自分の問題を解決する手段であり、必要なときにだけ使うものであるかのような、利己的で狭い心の表れであり、法を正す時期の大法弟子が担うべき責任としてみなしていない表れです。もし大法弟子たちが皆このような状態であれば、悪はここまで収まらないでしょう。 法を正す全体的な進展と悪の減少には、一人一人の大法弟子と関連があるのです。

 また、中国当局に大法弟子という身分が発覚されていない大法弟子の中には、自分は邪悪のブラックリストに載っていない、悪人や警察から嫌がらせや連行を受けたことがない、または真相を伝えるプロジェクトに参加していないので、自分は安全だと思っている人もいて、発正念をすることを怠っていますが、これも間違っています。

 あなたは自分が大法弟子の基準に沿って要求していなくても、旧勢力はあなたのことをはっきりと見ています。今まだ大法の中にいる人は、すでに大法弟子になることを決めた人たちだであるので、旧勢力はあなたに特別な待遇を与えるはずがありません。彼らはきっとあなたの空間にも邪悪な生命を割り当てるでしょう。ですから、あなたがもしそれを消滅しなければそれらの悪の生命を育てることになります。今トラブルに遭っていないとして、永遠にトラブルに遭わないとは限りません。自分自身の精進しない状態を見れば、邪悪の生命の干渉や迫害が目に見えないところで進んでいることがわかります。ただこれは自分自身について高い基準で要求しないから感じていないだけです。

 ですから、自分が良い状態だと思う人も悪い状態だと思う人も、問題が生じた人も生じていない人も、みんな発正念することを重視しましょう。

 これは私の個人的な体験ですが、間違いがあれば同修たちのご批判、ご訂正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法』「米国フロリダ州法会での説法」

 【編集者注:この文章は、筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び、比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/31/451297.html)
 
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