【5.13応募原稿】伝統を厳守し美をもって人を育てる(2)
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2023年10月17日】(前文に続く)

 2、伝統的な教育を厳守し流れに流されない

 美術界では「遠くからは狂人に見え、近くからは浮浪者に見え、よく見ると、実は美術大学の生徒だった」というようなジョークがあります。もし、このジョークが一部の美大生のだらしないイメージを表現するためのものであるなら、それはやや誇張されています。しかし、現代の美術館で見られるさまざまな美術展示物、抽象派、印象派、野獣派(訳注:20世紀初頭のフランスの美術運動の一つで野生的な色使いが特徴)を含む作品に触れた時には、誇張されているとは感じられないでしょう。これらの作品には過激で、醜くく、恐ろしいイメージを描いたものもありました。

 中国共産党(以下、中共)の神佛の否定と反伝統的、指導的な思想の下で、さまざまな美術展は、中共のちょうちんを持つために行われた一方、多くは人々の道徳を放任し、絵画を制作する時に感覚を探求(訳注:新しい感じ方を追求し創作に取り入れること)し、変形を追求し(訳注:既存の形状から逸脱し新しい形態を探求すること)、現代意識を追求(訳注:現代社会に焦点を当て芸術で表現する行為)し、革新という理念を口実にして、伝統に逆らうさまざまな「新しいアイデア」を生み出しました。中共統治下の美術界は、一部の人々が混乱と腐敗に満ちており、あちこちで徒党を組み、不正当な手段を使っていました。裏口を使ってこねを使い、美術の指導者になり、自分の作品を宣伝し、お金や名声、利益を追求することが一部の人々の主な目標となっていました。一部の人々の混乱と腐敗の問題は広く知られている事実でした。

 美術界のさまざまな混乱は、子供の美術教育分野にも大きな影響を与えていました。教育機関は、政治的なコンテンツを讃える競技会を繰り返し開催し、若者への洗脳を強化していました。多くの自称専門家が、手元のマイク(訳注:自分の意見を広め他の人々に影響を与える機会)を使い、誤った指導で児童美術教育を誤導し、創新論(訳注:新しいアイデアを生み出すための体系的な探求)や創意論(訳注:新しいアイデアを生み出すための方法についての研究)を用いて、美術を学ぶ若者たちを意図的または無意識のうちに誤導していました。自称専門家は「子供が束縛がない中で大胆に描く絵こそが真の巨匠の作品であり、真の画家はみな子供たちから学んでいる」といった言葉を使って、児童美術教育を誤導していました。その結果、子供たちの美術作品には、しばしば放縱な魔性(訳注:自己抑制を欠いて欲望に従い適切な行動や規律が欠如している状態)、乱雑な描写、醜悪で奇抜な要素、時には性的な表現や暴力的な要素が多く見られ、自称専門家たちは一般の人々をだますために根拠のない説明をでっち上げていました。

 師父の『美術創作研究会での説法』を学ぶ前、私も複雑で混沌とした美術界の混乱に直面し、何が本当の美であり、美術教育の正しい方向は何かを明確に区別することができませんでした。師父の説法を学んだ後、子供たちが天性の純真さを持っており、社会からの汚染を受けていないことを私は理解しました。子供たちが描く絵は、子供たちが表現する言葉とまさに同様に、概念を持っておらず、非常に純粋で愛くるしいものでした。しかし、子供たちの絵は未熟で幼稚であり、未熟な作品は基本的には優れた作品とはみなされませんでした。未熟な作品は単に学習過程の練習作品と見なされました。しかし、子供たちが制約のない放縱な魔性(訳注:自己抑制を欠いて欲望に従い適切な行動や規律が欠如している状態)の状態で描く絵は、基本的には純粋さを失ってしまいました。放縱な魔性のような自由すぎる状態は実際には邪悪な要素を露呈させるものであり、放縱な魔性の状態で描かれた絵には美的感覚が欠如し、良くない要素が充満していました。

 師父のお言葉は、私に児童美術教育における方向を示し、確立してくださいました。そのため、私は教育過程で生徒に基本的なスキルを重視して指導しました。中国画の基本的なスキルを学ぶ時、模写は非常に重要な方法でした。つまり、先輩の画家(訳注:若い画家たちにとって模範となる画家)の作品を模写して、先輩の画家たちの絵画技法、造形の方法、構図のアプローチを学ばせました。模写の過程は、書道において古典の書法を模写する方法といくつかの点で似ていました。

 私は模範となる画家の選択において、正統で優雅で純粋な古代の画家の作品を選びました。また、選んだ画家たちは高潔で伝統的なスタイルの画家たちであり、世の中に不満を持ち嫉妬心にかられ、道徳性が低下した画家は選びませんでした。私は正統な画家と純粋な作品が子供たちにとって有益であることを知っていました。例えば山水画では、私は明清時代のいくつかの優れた山水画を模範としました。細密画では、中国絵画の最高峰である宋代の小品(訳注:中国の宋代(960年から1279年の時期)に制作された小さな絵画作品)を模範とし、また、写意的な花鳥画(訳注:写実的な表現ではなく画家の抒情的な要素を強調した花鳥画)では、形と精神を兼ね備えた(訳注:外見だけでなく内面の精神も兼ね備えていること)古代の作品を参考にしました。

 師父の美術に関する説法を学んだことで、私は絵画における正確な造形の重要性を理解しました。そのため、伝統的な中国の絵画教育には、生徒の造形能力を訓練するのに役立つ他の教育方法も取り入れました。私は教育の中で、法輪大法から授かった知識と智慧を活かし、専門的な内容を分析しやすく説明し、生徒たちが理解しやすく、興味を持つことができるようにしました。私は頻繁に、非常に良い教授法が私の頭から次々に湧き出てくることを感じており、そのため、教育の分野は自分に非常に適していると感じました。

 私の美術教育は、美術大学、美術協会、画廊などの伝統的美術の専門家から多くの称賛を受けていました。美術大学、美術協会、画廊の中には伝統的美術を大切にする専門家が含まれていました。一度、私はアトリエで児童美術展を開催しました。美術協会の会長の1人が児童美術展を見て「私は美術協会の会長として、数多くの児童美術展覧会を鑑賞してきましたが、これほど高い水準のものを見たことがありません」と言いました。

 著名な児童美術教育の専門家は、私たちの教育を、私たちは伝統的な絵画形式を用いて生活を表現し子供たちが幼い頃から伝統文化に触れる機会を提供し子供たちの文化的な感性を向上させるのに非常に役立っている、と評価しました。

 3、きちんと順序だてて教え導くことは生徒に対して理知的な教育を行うことである

 教育過程では、私は修煉者の基準に従い、心から生徒を自分の子供のように思い、善意で接し、平等に生徒とコミュニケーションをとりました。威張った態度で説教するのではなく、対等な対話を重視しました。法輪大法を修煉しているおかげで、私は常に生徒の思っていることを理解し、生徒の異なる特性に合わせて、異なる性格の特徴に基づいて生徒たちを指導することができました。

 私が30代の頃、生徒たちが私を非常に親しみやすい男性教師と感じ、質問する時につい「お母さん」(訳注:私が生徒にとって特別な存在で生徒は私に対して母性的な感情を抱いていたため)と間違えて呼んでしまうことがよくありました。その後、自分が間違えて呼んでしまったことに気づいて、顔を赤らめ、恥ずかしがることがよくありました。

 1人の生徒は、私のアトリエで数年にもわたり絵を学んでおり、絵画の才能に恵まれている一方で、やんちゃな一面も持っていました。ある時、私はその生徒の父親が何週間もその生徒を迎えに来ないことに気付き、尋ねてみたところ、その生徒の父親が突然脳梗塞を発症し、入院していることがわかりました。その後、私は毎回、その生徒から学費の半額しか受け取らないようにしました。そして、私はその生徒に「お父さんが病気で、お母さんを思いやることが大切だよ。自分だけ遊ぶのではなく、家でできることを手伝うようにしましょう」と言いました。その生徒はその結果、多くのことを理解しました。中学卒業後、その生徒の母親は私に相談し、その生徒の将来の選択について質問しました。その生徒は美術学校に進学するべきか、通常の文系を選ぶべきか、ということでした。私は、その生徒の学習状況と美術の成績、そしてその生徒の家庭の経済状況に基づいて、その生徒に文系を選択することを勧めました。なぜなら、その生徒の文化科目の成績が良好であり、美術学生は高校卒業前に高額な学習トレーニングが必要でした。またその生徒は美術を専門としていたことで、将来的には建築関連の専門分野を選択できました。美術を専門としていたことで、その生徒は美術に数年間取り組んだ経験を建築の専門分野で活かすことができました。その一方で、私はその生徒と授業外の文化学習についても話し合い、その生徒に伝統文化を学ぶ方法をいくつか教え、学校のカリキュラムには含まれていない知識を補完し、その生徒を励ましました。私はその生徒にも大法の真相を伝え、大法が体と心に恩恵を与える一部の実例をその生徒とその生徒の母親に共有しました。その生徒の母親は、私の手助けや指導、および育成に非常に感謝しました。

 私は教育の中で生徒を常に励まし、褒め称え、同時に生徒の欠点や不足を善意で指摘し、何が正しいか、何が間違っているのかを生徒に理解させました。私は絵を教えることと人間としての道理を結びつけて教えました。

 ある日、ある少年は多くの美しい家を描き、その家の上空に爆撃機が爆弾を投下する場面を描きました。私はその少年になぜ爆弾を描いたのかと尋ねました。その少年は「私たちはある国に戦争を仕掛け、彼らの都市を壊滅させる必要があるからです」と言いました。

 私はこれが中共の党文化が子供たちに与えた害毒であり、子供たちに憎しみと闘争の思想を植え付けたものだと知っていました。私は子供(訳注:その少年)を導き「この街はとても美しいでしょう? どうしてそれを爆撃することができるでしょうか? そして、もし私たちが他の人々の都市を容易に爆撃し始めると、彼らも私たちの都市を反撃する可能性が高いのです。そうすると、私たちは危険にさらされることになりませんか? 国家と国家の関係は、私たち個人の関係と同じように、互いに友好的に接する必要があるという点で似ています」と言いました。その少年は私の話を聞いて、戦闘機と爆弾の絵を変更しました。しばらくして、その少年のおばあさんがその少年を迎えに来た時、その少年は修正された絵を喜んで見せ、先生は私に平和を愛するように教えてくれました、と言いました。私は子供(訳注:その少年)の変化に喜びを感じ、同時に李洪志師父の私への教えに感謝を申し上げました。

 他のある少年は、言葉遣いが上手で賢い印象を与えましたが、授業中に注意が散漫で、少し絵を描いた後、携帯電話をチェックしていました。私は何度もその少年に忠告しましたが、効果はありませんでした。心の中で、このような子供は本当に難しいと思いました。管理しようとしても管理できないので、そのままにしておこうと思いました。数日後、私は「明慧ラジオ」で同修の修煉体験を聴いて、多くの同修が生徒に対する忍耐と善意を示しているのを聴いて感動しました。自分と他の同修との違いが見えました。私は自分の心性を向上させ、自分の容量を拡大する決意をしました。

 その後、再びその少年に授業で会った時、私はその少年に対して辛抱強く「王さん、私は長い間あなたを観察してきました。あなたは非常に賢いと思います。先生はあなたとしっかり話し合いたいと思います」と言いました。しかし、私がこのように言った直後、その少年は「ぐだぐだ言わないで、話があればさっさと言ってください!」と無礼な言葉を言いました。中共による道徳の破壊の結果、師を尊重し教育を大切にする良い伝統はもはや存在していませんでした。多くの生徒は教師に基本的な尊敬の念を持っていませんでした。私は王さんに穏やかに「あなたは先生に対してそんな言い方はしてはいけません。先生に基本的な尊重さえ示せないのであれば、先生はどうやってあなたに教えることができるでしょうか? もし他人への尊重を学ばないのであれば、将来他人から尊重されることも難しいでしょう」と言いました。王さんは私の話を聞いて、自分が間違っていたことを理解し、すぐに黙ってしまいました。私は心から「先生はあなたが非常に賢いと思っており、あなたにしっかりと教えたいと思っています。もし心を入れて取り組むことができれば、将来絵画において素晴らしいレベルに達することができます。信じますか?」と言いました。王さんは頷きました。私は「授業中は携帯電話をしまっておいてください。そうすれば学習の時間を無駄にしないで済みます」と言いました。王さんは同意しました。

 私は王さんを非常に注意深く指導し、励ましました。王さんは私が王さんを重視していることを感じとり、非常に真剣に絵を描き始めました。それ以降、王さんは授業で非常に真剣に取り組み、携帯電話を見ることもなくなり、授業中もおしゃべりもしなくなりました。その結果、王さんの絵画技術は非常に速く向上しました。私は師父が説かれた「ある人が他人のためだけを思って、しかも、自己の目的と認識を少しも抱かなければ、語る話は相手に涙を流させるのです [2]を思い出しました。私は法輪大法の修煉から得られた優れたものを深く感じ、また、教師として、大法から修めた善を用いて子供に教育することで、教えることのできない生徒は存在しないと感じました。

 私が私の体験を話すのは、自分の教育についてどれほど優れているのかを示すためではなく、私が正道を堅持し、心を込めて子供を教育できるのは、法輪大法を修煉しているからだということです。つまり、法輪大法の修煉によって培われた善意、忍耐、そして愛情を以って子供たちを教育することができるからなのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「普く照らす」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「はっきりと目覚めよ」
 [3] 李洪志師父の経文:『造り直す』

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/5/26/460171.html)
 
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