「私たちの師父」を読んだ後の感想
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文/中国吉林省の大法弟子 木美

 【明慧日本2025年1月19日】明慧ネットを開いて「私たちの師父」というタイトルを目にした瞬間、私の涙は抑えられず溢れ出ました。20年以上の法難の中で、師父は弟子たちに大法を説かれ、経文を発表する以外、公の場で私的な何かを語られることはほとんどありません。師父に直接お会いしたことがない私にとって、師父について私の知り得たことは法を通じたものであり、どうしても限界がありました。今回、中国共産党によるこの攻撃は、常に控えめだった師父を世界の舞台の中心に押し上げました。                                

 私は師父にお会いしたことはなく、1996年に大法に出会った後もその時はまだ学生で、社会的な経験もなく、人や物事に対する理解は本に限られていて、常に「紙の上で話す」「理想化する」という自分自身の思い込みに縛られ、言い換えれば、私は物事の道理をよく知らない人間でした。

 修煉の中で、邪悪な党文化の毒に阻まれ、私の思考には多くの変異した観念があり、そして、大法をよく学ばなかったため、常に世の中の覚者は普通の人々とは異なるべきであり、衣食住、行動などは常に普通の人々とは少し異なるべきだと思っていました。この考えは実際には、旧宇宙生命の修煉文化に対する理解の限界からの由来でした。

 今回、明慧ネットの特別報道を見て、私の観念は完全に変わり、疑いを持っていなかっただけでなく、より合理的で冷静になりました。今、覚者は世間でどのような言動を示すのかを知りました。大法は上から下まで円融であり、私の心には、もはや極端な不合理な考えがなくなり、師父をより信頼するようになり、法に溶け込んで物事を見ることができるようになりました。 これは師父が身をもって手本を示してくださったものでしょう。

 実際に今回の感想はたくさんありますが、この点のみの感想を同修たちと分かち合いたいと思います。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/6/488019.html
 
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