文/中国河北省の大法弟子 小雨
【明慧日本2024年2月23日】自分の修煉を振り返ってみると、修煉状態は良かったり、よくなかったり波がありました。同修と共有し、お互いに励ましあい向上して行くため、この修煉体験を書きました。また、私の修煉体験や修煉の中での反省、感悟を通じて、私と同じような経験をしている、または現在、同じ状況に直面している同修の参考になればと思います。
一、着実に修めることを身につけ、家庭のトラブルから抜け出す
私は妻と結婚してから既に10年が経ちました。妻は修煉者ではありませんが、法輪大法に対する正しい認識があり、私の修煉を支持しています。妻は熱心な性格ですが唯一の欠点は気性が荒いことです。妻は自分の思い通りにいかないことがあると、怒り出し、怒り出すとどんな不快な言葉でも口にします。結婚後の数年間、妻の怒るときの言葉や行動は私を刺激してしまい、我慢できずに妻と口論し、時には手を出すことさえありました。本当に小さな口論は3日ごとにあり、大きな口論は5日ごとにありました。時には私の気分が沈んで話したくないとき、妻はほかの奥さんのように質問や気遣いをせず、逆に私の沈んだ気分が家庭の雰囲気に影響を与えると言ってきました。喧嘩の最後に私は妻に尋ねました。「私たちはなぜ口論しているのですか?」、 妻は覚えていないと答えました。本当に口論のためだけに口論していました。
これらの年月を振り返ってみると、本当に辛かったのです。私たちは日常の生活習慣も異なり、共通の話題もほとんどありませんでした。私は妻の性格が男性的で、温和でも優しくもなく、賢さとは程遠いと感じました。妻は感情の起伏が激しく、顔つきが急に変わります。私は離婚を何度も考え、すべてが順調であるにもかかわらず、結婚だけが順調ではないと常に考えていました。周りの友人や親戚は、最初は私たちを励ましましたが、後になって妻が私にはふさわしくないと感じ、離婚を勧めるようになりました。しかし、こんな場合や大喧嘩の後でも、私は大法のことを思い出し、自分が大法弟子であることを考えました。しかし、現実は本当に我慢できないことが多く、時には怒りで涙が溢れました。ひとりの男として怒りで涙を流す、これは結婚する前には想像もしていなかったことです。私は葛藤していて、自分が行き詰まっていると感じました。
その頃、私は明慧ネットの特集記事の録音をよく聞き、回りの同修と交流し、徐々に我慢することができるようになりました。ただし、それはまだ怨みの中での我慢にとどまり、この問題を完全に解決することはできませんでした。普段、妻との良好な関係、睦まじい家庭関係を保とうとしていますが、時折、やはりトラブルが生じ、口論になることがあります。それは以前ほど激しくなく、頻繁ではありません。これが私たちが今まで歩んできた道です。
去年のある時期、私たちは再び3日ごとの小さな口論、1週間ごとの大きな口論の状態になり、離婚の危機が何度も訪れました。しかし、ある日私は突然気づきました。「この口論はいつ終わるのだろうか? 痛快に別れ、離婚しようか。しかし、私にそれができるだろうか? 私は大法弟子だ。妻の行いは常軌を逸っしてはおらず、基本的に問題はない。また大法を正しく理解しており、私の修煉を支持してくれる。私が迫害を受けた時には、ためらうことなく私を支えてくれた。私は彼女の気性が荒いこと、性格が合わないこと、私が好ましく思わないやり方で物事に対処することで、彼女と離婚すべきなのか? そうだとしたら、私はただの常人ではないのか? 揺るぎなく修煉する道を選んだのに、この関門に本当に止まっているのか? たとえ離婚したとしても、私はこの関から逃れられないのではないか? 本来修めるべき心を修めず、消すべき業力を消そうとしないことは、修煉なのか? これは漏れがあるのではないか! どんな心性の漏れも、私の修煉において障碍となり、いずれは補わなければならない。修煉に近道はないのだ。十年が経ち、この家庭のトラブルの中で、私はなかなか妻に対する慈悲の心が湧いてきませんでした。これを突破しなければならない、退路はないのだ。
私はより積極的に自分を変えるべきだと感じました。妻に対して慈悲の心が生まれなくても、怒らず、怨まず、辛く感じずに我慢する境地に達することができなくても、師父の要求に従って行動し、トラブルの中で妻の苦労を考え、妻の良いところを見つけ出し、自分の心の内に向けて探し、本当に自分の問題を見つける努力をするべきだと思いました。以前は我慢していたかもしれませんが、その背後には私心が隠れており、妻が私に向上の機会を提供してくれていると考えていたので、我慢することができました。しかし、そのような我慢は長続きしませんでした。なぜなら、それは今まで自分を変えようと心から思っていなかったからであり、私がこれまで家庭内での関門を乗り越えられなかった主な理由でした。
問題に気づいた後、私は積極的に妻とコミュニケーションをとり、自分の過ちを認めました。私の問題でなくても、修煉者としての法理と基準で自分の不足を探し、心から妻に謝りました。同時に、妻の不足を善意で指摘し、夫婦で共に前へ進むことにしました。妻は修煉していなくても、人には人としての理があり、守るべきものがあります。そのため、トラブルの後、適切な時に妻とコミュニケーションを取りました。こうして、家庭はますます調和してきて、妻の状態もますます良くなりました。
この間、師父も周りの同修の口を借りて私に悟らせて下さいました。「神の念で考える、人間の念で考えない」。今でも家庭の中には、まだトラブルや摩擦がありますが、とても少なくなっています。トラブルが生じた時に、あるいは自分の口調が少しでもおかしいと感じたときは、すぐにそれに気づき、最も早い時間に内に向けて探し、できるだけ争わずに、心が穏やかで気持ちが和やかで、妻の気分に影響されないように努めています。普段から妻のために、多く考えるようにしています。家事もできるだけ多くやり、妻のことを気にかけるよう心掛けています。最初はうまくできなくても、努力しています。そして必ず上手くいくと信じています。
二、無関心の裏に隠れた人心
長い間、私は何事にも無関心な状態にありました。妻や家族に対して、あまり熱心ではなく、時折冷淡な態度をとりました。自分では淡々と見ていると思っていました。しかし、もし本当に「情」が修められているなら、それに応じて慈悲心が表れるべきではないでしょうか? しかし、私は自分の慈悲心を感じることができず、時折、自分の心が狭いと感じることさえありました。
自分の心性に問題があることに気付き、さらに自分の内面を深く掘り下げてみると、人や物事に対するこの無関心の背後には名、利、情を掴んで離さず、生活の中での不快、不満、結婚生活の中での試練、人間の幸福な生活への憧れ、仕事の発展などの欲望に対する一種の絶望感がありました。これは人心と執着であり、欲望が達成されなかったときの自己弁護と麻痺の一種です。一貫して私は人心を手放せたと考えていましたが、実際には心の奥底にある微かな懐かしさや後悔が残っており、手放したのは表面的な浅い部分だけだったのです。なるほど、名、利、情を捨てていないから、慈悲心が生まれなかったのです。
再びしっかり修煉できた同修を見ると、いつも笑顔で、三つのことも力強く進めています。一方で、自分はいつも冷たく無表情で無関心の顔をしており、名、利、情を淡々と見ていると自負していましたが、実際にはほど遠いものでした。これに気付いたとき、私はこの心を捨て始めました。
三、私心を放下した僅かな体験
日常生活の中で妻は、私が利己的で、自分のことだけしか考えていない、ということがよくあります。最初は納得できず、自分は他人に迷惑をかけたり、困らせたりせず、何も求めず、他の誰にも影響を与えない状況で、自分に対して少し優しく、自分が少し快適に暮らし、自分の好きなことをし、好きなものを買うのは何が悪いのか? なぜ利己的だと言われるのか? などと思っていました。
しかし、修煉者として、身の回りで起きることはすべて偶然ではないことを知っています。何よりも妻が何度も私が利己的だと言うなら、自分のこの利己的なところを見つめる必要があります。真剣に内に向けて探し、自分をしっかり修める決意を固めたとき、私は自分の以前の行動を振り返ったら、以前とはまったく異なる結果を見つけました。
師父は、『轉法輪』の中でこう説かれました。「しかし良い暮らしをしようとすれば、他人の利益を損なうかも知れないし、利己主義を助長するかも知れません。人の利益を横取りしてしまうかも知れず、人をいじめ、人を傷つけるかも知れません」
以前はこれらの法理をしっかり理解することができませんでした。なぜ良い暮らしをしようとすれば、他人の利益を損なうことになるのか? なぜ利己主義を助長することになるのか? なぜ幸せな日々を追求することと他人の利益を損なわない、人をいじめない、利己的な心を助長しないことを同時に実現できないのか理解できませんでした。実際、常人として幸せな日々を追求することは当然のことですが、大法の修煉者として、幸せな日々を追求する心が生じた途端、既に自分自身を重視し、自分を保護しようとする私心が背後にあるのです。現実の中でこの考えを持っていると、その行動は無意識に私の心に影響され、徐々に利己的になっていき、自覚がありません。まるで妻に私が利己的だと言われたときの私の不服の考えのようです。
自己中心になり、自分の感情を重視すると、他人の感情を考慮することができず、結果として無意識に他人を傷つけ、自分の私心を助長しながらも自覚がありません。
例えば、家庭生活のなかの些細なことや家事は基本的に妻がやっており、私は彼女を手伝うことがとても少ないです。忙しくないときでも、ほとんど私は自分のことをしており、自分のやっていることがより重要だと考えています。また、私は普段話すときには比較的ストレートで、自分の感情を表現することだけを気にして、相手が受け入れられるかどうかや相手を傷つけるかどうかを気にかけず、時折、自分の習慣や信念を基準に他人に要求することがあり、自分の観点や習慣に合わないと不快に感じることがあります。これらはすべて自分を守り、自分の振舞いを重んじることで、すべて私の心です。他人に思いやりをもたず、他人のために考えることができていません。そして、「私心」と「人のため」は対立するものであり、同時に存在することは不可能です。師父は私たちに無私無我を修め、他人を先に考える正覚を修めるように教えています。
四、迫害の中 正念を強める
2020年のある日、私は安全に注意を払わなかったため、中国共産党当局に迫害されました。警察は私の居場所まで追跡してきました。私はその夜に不当に地元の派出所に拘束されました。
多年にわたり法輪大法を修煉してきましたが、このような迫害に自ら直面したとき、私の心にはやや不安がありました。しかし、すぐに自分の心を整えることができました。派出所に連行された瞬間から、その日に拘置所に送られるまで、私はずっと正念を発していました。その間、私の修煉状態は良かったり、良くなかったで、ちょうどこの迫害に巻き込まれました。私は自分がうまく対処できないことを心配していたので、正念を発しながら、師父に加持を求めました。私が揺るぎない心を持つように加持し、知恵と勇気を与えてくださり、法輪大法と師父に泥を塗らないように、邪悪に打ち勝つことができるようにご加持をお願いしました。
不当に拘束されている間、警察は同修の情報を引き出すために、私に対して何度も不当な尋問を繰り返しました(当時私は一つのプロジェクトに参加していました)。毎回、戦場に向かうかのような気持ちでした。毎回、師父に私を強くし、圧力に耐えることができるように、同修を裏切ったり、同修の情報を少しも漏らさないようにと、ご加持をお願いしました。
この期間中、私は次の不当な尋問でより大きな試練に直面することを知っていたので、慎重に自分の修煉の過程を再び整理しました。小学校に通っていた1995年に法輪功を学び始めたので、私は初期の法輪功の子供弟子の一人でした。幼い頃から修煉と神佛に興味を持っていたため、『轉法輪』を読んだ瞬間、これが自分の求めているものだとわかりました。この書籍が私を円満成就させることができることを知っていました。修煉を始めたときから、師父が書籍のなかで述べた身体を浄化し、浄化された後の軽やかな感覚、手のひらで法輪が回転する状態、夢の中で師父が立体感のある声で静功の口訣を唱えて私に早起きして煉功するように促す場面などを経験したことがあります。精進していないとき、師父は私に三度、末世の淘汰の光景を見せてくださいました。難病の同修が修煉して回復した事例、同修が入定の中、師父からの悟らせを目にしたという体験など、これらの奇跡は私の信念を励まし、強めてくれました。
同時に、大法の法理と内函、よい人になることから始め、絶えず自分の心性を向上させ、より良い人になることなど、師父は私たちに無私無我、他人を先に自分を後にする正覚を修めるよう要求しました。これほど素晴らしい大法、これほど慈悲深い師父がいらっしゃいますので、私は最後まで師父に従って修煉し続けることを決心しました。
この一念を固めた翌日、私は試練に直面しました。その不当な尋問のなか、警察は私のキャリア、家族、結婚をもって私を脅迫しました。彼らは私が情報を提供しなければ、私を主要な責任者として重罰すると脅しました。しかし、私は師父に従って最後まで修煉するという決意を固めていたので、その時点で私の心には迷いやためらいはありませんでした。私の心にはただひとつの考えだけがありました。それは、私は人間のすべてを放下することができる、彼らが同修やプロジェクトに関する情報を得ることは絶対にありえないということでした。彼らは手段を尽くしましたが、最終的に私から役立つ情報をなにも得ることはできず、その後私に尋問をすることはありませんでした。この迫害は合計で35日間続き、最後の日に私は解放されました。
私が不当に拘束されている間、師父の保護の下、私は身体的な虐待を受けることはありませんでした。同室の受刑者さえ私をとても尊重し、私も彼らに大法を伝えました。解放された後、家族から聞いたところによると、私が連行された後、同修らはすぐに私の家族と連絡を取りました。元々同修は私の家族の連絡手段を持っていませんでした。しかし、奇跡的に師父のご按排の下で、私の家族は無事に同修と会うことができました。同修たちはまた、私のために人権弁護士と連絡を取り、無罪の弁護を行うよう手配してくれました。最終的に、邪悪な注目の的となったこの事件は、私が35日後に解放されることで幕を下ろしました。これは誰も予想していなかったことです。
私は旧勢力による自分に対する迫害を認めませんが、この35日間の体験は、私に修煉を真剣に検討する機会を与えました。感性的な修煉から理性的な修煉へと進み、修煉の厳粛さをより深く理解し、修煉への信念を強めました。この迫害を乗り越えたとは言え、この試練のなか、ただ自分が大法弟子として振舞い、大法や師父に汚名を着せなかったとだけしかいえません。私にはまだ修めるべき心がたくさんあり、克服すべき執着心があります。これらにはどんな近道もなく、魔難や試練の中で一歩ずつ着実に歩み、内に向けて探し、真に修め、着実に修めなければなりません。
私を修煉の道で一貫して見守ってくださった師父に感謝します。周りで私を助け、忠告してくれた同修に感謝します。私は引き続き、三つのことをしっかり行い、法を正す師父を助け、師父と大陸で再会する日を心待ちにしています。
(編集責任者:林一平)