文/中国の大法弟子が口述 同修が整理
【明慧日本2024年5月2日】1999年4月24日、私たちは北京の小さな公園で法輪功の五式の動作を行っていました。その後、学法グループの責任者は、天津の警察が数十人の法輪功学習者を不当に連行したと私たちに告げました。 私たちは話し合い、翌日、中南海に行くことにしました。
4月25日は日曜日でした。妻と私が午前7時ごろ府右街(国家陳情局のあるところ)に到着すると、すでにたくさんの警察官が来ていました。
8時ごろ、さらに多くの学習者が到着すると、警察は私たちを府右街の北側に並ぶように誘導しました。私たちはただ静かにそこに立っていました。大法の本を読んだり、煉功したりする人もおり、雰囲気はとても穏やかで平和でした。
その後、交通量が増え、歩行者も増えてきました。彼らの中には、なぜ私たちがそこにいるのかと尋ねる人もいたので、私たちは、天津で一部の学習者が警察に不当に連行されたため、学習者を解放して欲しいのだと説明しました。
歩道があまりきれいではなく、警官らがあちこちにタバコの吸い殻を捨てていたので、ゴミを拾い、ビニール袋に入れてゴミ箱へ持って行きました。
学習者たちは交代で後方で休憩を取りました。 若い人たちが前に立ち、年配の学習者や女性、子供たちが後ろに座りました。私たちが待っている間、数台の車がゆっくりと通り過ぎ、車内にいた人々が私たちのビデオを撮っていました。私たちは恐れることなく、交代で前に立ち続けました。
待っている間、学習者たちの拍手が三度聞こえました。最初は当時の朱鎔基首相が中南海から出てきて学習者たちと話をした時です。彼は、私たちは人数が多いので、中で話をする代表者を何人か選ぶべきだと言いました。数人の学習者が彼と一緒に屋内に入り、残りの私たちは外の通り沿いで静かに待ち続けました。
2度目に修煉者の拍手を聞いたのは午前10時頃で、その時何人かの修煉者は空に法輪が見えたと言いました。その日、多くの常人も空で高速回転する法輪を見たそうです。
その夜、再び修煉者たちの拍手が聞こえ、問題が解決したことを知りました。政府は天津の学習者を釈放し、法輪功を合法的かつ平和的に実践できるようにすることに同意しました。妻は夜勤だったので、早めに帰りました。
しかし、3カ月後の1999年7月20日、共産主義政権は法輪功への迫害を命令しましたが、1999年4月25日の場面は昨日のことのように私の記憶に鮮明に残っています。この経験は私にとって決して忘れられないものです!