【明慧日本2024年7月6日】(前文に続く)
二、観念を改め、義姉を理解する
嫁ぎ先を切り盛りしているは義姉です。彼女は老人たちのお世話をする中で多くの苦労をし、お金もたくさん家に注ぎ込んできて、私の息子にもよくしてくれています。その点において、私は彼女にとても感謝しています。ただ、言葉が辛辣な彼女には、噂を流したがる癖があります。
彼女と衝突しないように、私は3年間、夫の実家で彼女に会わないようにしてきました。毎年、お正月が近づくと、私は大掃除を手伝うために早めに姑の家に行き、まっさきに「義姉はいつ帰ってきますか?」と姑に聞き、タイミングを見計らって逃げるように帰ってきました。2020年の大晦日の前、義姉が突然帰ってきて、私は逃げ道を閉ざされました。
食事中、義姉は舅が孫を可愛がり、我が家をいつも依怙贔屓(えこひいき:自分の気に入った者だけの肩をもつこと)することに嫉妬し、再び舅と衝突しました。2人とも大声で自分の言い分を主張し、誰の説得も聞き入れないほど怒っていました。あの時、私も内に向けて探すことを忘れていて、「もし私に闘争心がなければ、どうして私の目の前でこれほど大きな衝突が起きたのだろう?」のように考えることができませんでした。
私はまず舅の怒りを鎮め、それから台所でふくれっ面をしている義姉を見て、しぶしぶ喧嘩の仲裁に入りました。義姉は私を見るや否や、天井を突き破るほどの高い声でこう怒鳴り始めました。「あのね、私はこの家のために四六時中疲れ果てていて、あなたの家(私の夫のこと)はお金も力も出さず、何一つ貢献していないのに、一番のお気に入りになっていい身分よね...」。義姉が延々と私を責め立てるのを見かねて、義姉の夫が説得してもどうにもならず、仕方なく私に「怒らないでください。更年期のせいです」と言いました。私は「大丈夫です。姉のことをまったく怨んでいません」と返事をしました。
80歳近くになる姑は脇に隠れて、恐る恐る私たちを見ていました。「彼女はかわいそうだ。1人は私を愛してくれている娘であり、もう1人は畑仕事や家事を手伝い、たまには内緒話も付き合ってくれる嫁だ。誰の肩を持つのも難しいだろう」と私は思いました。姑は戸惑っていました。
「家事をめぐる争いは所詮、『私』自身のためではないか? ならば、私にはどんな人心があるのか? まずは恐れる心だ。でなければ、どうしていつも避けたがるのか?! そして、彼女がお金と労力を費やしてから恩着せがましい態度を取るのも嫌だった。また、彼女を見下す心もあった。彼女は知識人とはいえ、あまり素質がなく、中卒の私ほどの修養もないと思っていた。しかし、このすべては、私の向上のために敷かれた階段ではないか?! 何かがあれば避けて通ろうとしてきたせいで、トラブルは積み重なった。今は観念を改め、これらの人心を取り除くチャンスだ」。そう思った瞬間、私は涙が出そうになり、完全に他人のために考える立場に立っていました。
私は義姉のそばに寄り、誠意をもってこう言いました。「姉さん、私たちのせいであなたを怒らせてしまいました。ごめんなさい。あなたの怒りを鎮められることなら、何でもします。この家の一員になってから、私はあなたが家族のために尽くしてきた数々を見てきました。あなたが入院したとき、主(あるじ)がいなくなったようで、私は天が崩れ落ちるような気がしていました。姉さん、この家はあなたなしでは成り立ちません。どうか、怒りで体を壊さないようにしてください。こんなに大声で話して、血圧が上がってきたらどうしますか? 私を殴って解消するなら、それでもかまいません」。私が内に向けて探すにつれて、義姉も機嫌を取り戻しました。本当に不思議でした!
夫は健康状態があまりよくなく、何事にも関わらないようにしています。そこで、骨を折る仕事は長女である義姉の責任になってしまい、しかし、甘い汁を吸うのはいつも夫と私の息子なのです。年月が経ち、彼女が憂鬱になってしまうのも不思議ではないでしょう。心の中の鬱憤をぶちまける相手がいなくて、私に話したくても、私はいつも彼女を避けていました。
口調がだいぶ和らいだ義姉は私にこう尋ねました。「ここ数年、なぜいつも私を避けるのですか? 今日も逃げますか? 鬱憤が溜まってたまりません。あなたを相手にして晴らしたいですが、どうしてもあなたに会えません。私が長年一生懸命頑張ってきたのに、お父さんは私に何一つ相談せず、お金も新築の家も息子たちに渡してしまうのです」
確かにその通りでした。舅は孫や息子たちを依怙贔屓しすぎて、いつもこっそりと息子たちにお金を渡しています。私はそうしないように助言しましたが、彼は聞こうとせず、私の夫も聞く耳を持ちませんでした。仕方なく私は、息子に祖父からのお金を受け取らないようにと言うしかありませんでした。息子は修煉をしていませんが、従順な性格なので「真・善・忍」に従って行動することができます。
私は義姉にこう言いました。「姉さん、怒らないで下さい。もしも体を壊したら、その辛さは誰も代わりに耐えることはできません。私は本当に間違えました。ここ数年、あなたの大変さを親身になって考えたことがありませんでした」。実は、義姉はお金が欲しいのではなく、舅が公平に物事を進めないことに不満を感じていただけだったのです。彼女には話し相手、理解してくれる人が必要なのに、私は避けるばかりでした。私は利己的で、人に指摘されたり、文句を言われたりするのが嫌で、「忍」ができておらず、何かが起きた際に、内に向けて探すこともできていませんでした。修煉者である私には師父がそばにおられて、同修もいて交流もできるし、心性を高めることもできます。しかし、義姉には頼れるところは何一つありませんでした。「姉さん、本当にごめんなさい!」と、私は心の底から謝りました。今までの2人の間の恩讐は、私が内に向けて探す中で解消されました。
大法への迫害が始まった当初、家族が巻き込まれることを恐れていた義姉は私の言動を理解できず、私のカバンまで調べたりして、私が伝えた迫害の事実にも耳を貸そうとしませんでした。今年のお正月、数年ぶりに上海から帰省してきた息子は、じいちゃんの足をマッサージして洗ってあげたり、薬を塗ったり、ばあちゃんの皿洗いや台所の掃除を手伝ったり、雑談に付き合ったりしていました。その様子を目にした家族は皆、「この子は礼儀正しくて、品のある話し方をしている」のだと高く評価しました。
舅は、十数人の宴席で誇らしげにこう言いました。「孫がこうなったのは、その母親が法輪功を修めたおかげです。大法が彼女に人間としての道理を教えていて、孫も知らず知らずのうちに良い影響を受けたのでしょう」。舅は分別のある孫を誇りに思い、人に会う度に「『真・善・忍』は素晴らしいです! 孫は福報を得ました」と言います。
義姉も息子の変化を喜び、褒めちぎっていました。今の彼女は、私が行なう法輪功関連のことに以前ほど抵抗しなくなりました。
法輪功は、本当に不思議なものです。そしてまた、自分の心の内に向けて探すことは本当に宝物です! 師父に感謝し、大法に感謝します!
(完)
(明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)
(編集責任者:斉昕宇)