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【神伝文化】心の鏡は奥深い心の動きを察する

(明慧日本)中国の清の時代、友人の於道光が話していた。

 ある書生が、深夜、岳帝の廟の前を通りかかった時、廟の朱門は閉まっているのに、一人の人間が廟の中から出てきた。それを見た書生はその人が神様だと分かり、ひれ伏して、上聖と崇めた。その人は手を伸ばして書生を支えながら、こう言った。「私は大した神ではありません、右台の鏡を司る官吏(右台の『心の鏡』を管理する官吏)です。文書を届けるため、ここに来ました」 書生は「あなたの司る鏡はなんですか? 『業の鏡』ですか?」と聞いた。

 司鏡の官吏はこう答えた。「大体同じです。しかし、もう1種類の鏡、『心の鏡』と言う鏡を司っています。『業の鏡』は人々が働く時の善し悪しを照らします。心の中に潜んでいる微細な考え、感触、感情の真偽、定めなく常に変化してうまく隠れています。ある人は、姿は美しいのですが、心は鬼のように悪い、これらはすべて心の底に潜んでいるので、『業の鏡』では映せません」

 「宋の時代から、社会の道徳はさらに悪くなり、邪悪な輩の偽装する技が益々熟練し、人を騙していました。ある人は一生かけて悪い事をやっても、失敗せずにごまかしていました。これを見た天の諸神は、協議して『業の鏡』を鏡台の左に移し品格の卑劣な人を照らしました。『心の鏡』を増設し、鏡台の右に置く事で鏡は偽君子を照らします。両鏡の光が左右照らすので、人がやっている事だけではなく心の動きなど、すべての善し悪しを隠せず、明晰に判断できます。人間の心は大体このようなものです。服従しない心、不公平な心、墨のような黒い心、ねじ曲がって鈎のような心、大便のように汚い心、泥のように濁っている心、険悪な心など隠しても隠し切れず、またはイバラのように、刃物のように、蜂とサソリのように、鬼畜のように、金銀の欲を表すなど。しかし、その人達は、見た目は品行方正な人です。大勢の人の中で、おだやかで潤いある真珠のような、澄み切って水晶のような心を持つ人は何百人、何千人に、たったの一人か二人しかいません」

 「これらのすべてを、私は『心の鏡』を見ながら、記録します。3カ月に一度、岳帝の廟へ行きその記録文書を岳帝に呈します。岳帝は記録から人の罪と福を判定します。大体、地位の高い悪人ほど、その懲罰も厳しくなります。(騙す)手口の巧妙な人には懲罰が重くなります。『春秋』の記録によると、魯の国は240年の歴史あり、その中に憎い人も少なくありません。しかし、神は懲罰として伯夷の廟だけ雷で打ちました。なぜかというと、彼は罪と悪を隠したわけです。これだけはよく覚えてください。人間は誠実、素朴であるべきです。いかなる悪も隠そうとすれば、さらに大きな懲罰がもたらされます!」

 書生は司鏡の官吏の話を聞いて、恭しく礼拝しながら「肝に銘じます。ありがとうございました」と言った。その後、書生は於道光氏に頼んで、『観心』という扁額を書き、室内に掲げて気をつけていたという。

 心の鏡は何でも知っている
 いかなる罪も逃がさず
 いかなるごまかしと覆い隠しも
 すべて無駄である

 正々堂々と人となす
 誠実が最もよく
 千年の時を経て
 真の君子となる

 (『閲微草堂筆記』より)

 2010年5月8日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/4/7/221076.html

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