人間社会の偽りの道理を重く見ず、軽く考える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012年10月13日】人間社会という大きな染め物がめの中で生活している私達は、人間の偽の道理、後天的に形成された偽りの自分、そして物質的利益などに容易に動かされがちです。高次元を目指して修煉する人はこれらから抜け出し、軽く考え、ひいては無頓着にならなければなりません。以下は私が学法の際悟った法理ですが、皆さんと交流してみたいと思います。

 師父は『転法輪』の中でおっしゃいました。「現実の利益を重く見れば見るほど、彼の心はますます狭くなり、常人の物質的利益を何よりも大事だと思えば思うほど、彼は自分こそ現実を重視する人間だと思い、ますます損をしない人間になります。」師父のこの説法を学ぶ際、私は思いました。普段の自分は心が狭く、他人の短所を軽蔑し、トラブルの中で心が落ち着かず、独り善がりな行動表現の全ては、現実を重く見すぎたことに由来しています。例えば他人の短所を重視し、それを指摘せずにはいられなかったり、トラブルを重く受け止め、心が落ち着かなかったり、自分が悟った理を重く考え、自分の認識だけが正しいと思うがゆえに、独り善がりをしてしまいます。

 それではどうすればよいでしょうか? 「もちろん本当の薄のろではなく、われわれはただ現実的利益に無頓着でいるだけで、その他の面ではいたって頭がいいのです。」「ただわれわれの個人の利益に関しては、人と人とのトラブルや衝突においては、われわれは無頓着でいるだけです。誰があなたのことを薄のろだと言えるのですか?」(『転法輪』第九講「悟」)人間の偽りの理、偽りの現象、後天的に形成された偽りの自我のことを出来るだけ軽く、軽く、更に軽く考えましょう。時に、ある人の言動が気に入らないなら、私はそれを軽く考えるようにします。すると、その内にそれが何事もなかったかのように心も動じなくなります。もしトラブルに遭ったら、軽く考える習慣を身につければ本当に軽くなります。なぜなら、師父は『転法輪』の中で教えてくださいました。「物質と精神は同一のものです。」実は人間の理は反対の理で、人間社会の現象も偽りの現象で、本当に重く見る必要がなく、軽く考えるべきです。

 また、「独り善がり」について私の観点と理解を述べてみたいと思います。通常、独り善がりとは、自分が思った理を重視し、自分が悟った理で人を判断・要求し、時には他人の意見を聞き入れない現象もあります。総じて言えば、自我を強調し、自分の考えを強調し、最後には自我の膨張にもなりかねません。その危害性は三点あります。一、自分をはっきりと認識できず、自分を正しく位置付けることができず、思い上がってしまいます。二、生活の中で人の反感を買ってしまいます。三、自身に魔が生じてしまいます。

 独り善がりの現れとして、自分の認識が絶対正しいと思いますが、これは宇宙の法と相反します。

 私は最近、新しい仕事を探していますが、条件に望みがあり、仕事をする上で修煉の時間があって、法を実証する時間があって、一言で言えば時間的余裕がたっぷりあって、家から近く、給料も高く、総じて言えば、あれもこれもと望むのです。学法の際、ある同修と交流して「貴方自身で決められますか?」と反問されました。言われればそうですが、私は仕事を探し始めて数カ月が経ちましたが、一向に見つかりませんでした。このことは私が求めれば必ず得られるものではないと思い、始めて自分の強い独り善がりに気づきました。同修の話によれば、彼女も最初、仕事の煩わしさに悩み、他に楽な仕事を探して、大法の事をしようと考えたその翌日、軽い職位に移れたそうです。今では一カ月のうちに数日だけ仕事をすればよいのだそうです。同修は師父の法を引用しました。「万事執着無ければ脚下に路自ずから通ず」(『洪吟二』「阻む無し」)。

 私は思ったのですが、絶対に自分の悟った理を重く見ないようにしなければなりません。さもなければ自我に執着する泥沼に陥って抜け出すことができなくなります。そして、この種の心は拡大され、益々自分の認識だけが正しいと思うようになり、他の考え方を容認できず、さらに他人の意見を聞き入れることができなくなり、実に悲しいことです。更に、絶対に自分の悟った理で他人を判断したり、他人に強要してはいけません。

 また、異なる次元・レベルでの道理は違うので、常人や他人を見下したりしなくなるはずで、自分の悟った理で他人に強要したりはしないでしょう。では、どうすればこの「独り善がり」の毒素を無くせるでしょうか? それは完全に自我を放下し、他人の立場・角度から問題を考え、自分の意見より、他人の意見に沿って問題を考えれば、私を放下し、他人を配慮することになります。

 三界内の反対の理を軽視し、人間社会への一切の執着を放下してこそ、使命を全うすることができ、師父と一緒に家に帰れるのです! 師父に感謝し、同修の皆さんに感謝します。同修の慈悲なご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/3/11/254047.html)
 
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