遼寧省:法輪功修煉者の夫婦とも迫害され死亡
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 【明慧日本2012年10月25日】遼寧省盤錦市の遼河油田に住む法輪功修煉者・王開明さんは2011年1月19日午前、再び盤錦刑務所で迫害されて脳内出血を起こし、意識不明の状態となった。刑務官は王さんを盤錦第二人民病院に搬送したが、植物人間の王さんが応急処置を受けている時すら、手足に手錠を掛けたままだった。同年3月、刑務所内での死亡を避けるため、刑務所側は王さんの一時釈放の手続きを取って遼河油田センター病院に入院させた。その後、同年12月に王さんは無実が晴れないままこの世を去った。

 王さんの妻・姚(よう)桂蘭さんは2009年3月15日午後、街頭で法輪功の真相を伝えていた際、「法輪大法は素晴らしい」という声が聞こえたとして、盤錦市国家保安警察に留置場まで連行され、15日間迫害された。その後、盤錦市610弁公室の警察により、沈陽市の馬三家労働教養所に移送され、2年間にわたって労働教養を強いられた。その間、残忍な迫害を加えられ続けた結果、姚さんは危篤に陥り、帰宅後も寝たきりで、自立生活ができない状態が続いていた。2009年8月、姚さんは無実が晴れないままこの世を去った。

 王開明さんが生前に受けた様々な迫害

 王さんは遼河油田高昇採油場の関連企業、金属会社のマネージャーを務めた経験があり、その後は主任に昇進した。1996年に法輪功の修煉を始め、高采煉功の責任者も務めた。王さんは普段「真、善、忍」を基準にしながら心性を修め、体は大変健康で一つの病気もなかった。職務に対して真面目な態度で良い上司、良い職員、そして良いパートナーだと公私ともに好評されていた。中共が法輪功を迫害して以来、夫婦二人にして迫害が繰り返されていた。

 2008年4月28日、盤錦市公安局興隆台支局の高采交番の警官ら、及び街道弁公室(市役所出張所に相当)の職員が北京オリンピック開催を口実に、王さんの自宅玄関先で家の鍵を奪い取った。そして、王さんを連行した後、警官らは王さんの自宅にあったパソコンなどの家財を没収した。

 王さんは盤錦市留置場で半年間監禁され、2008年10月、盤錦市裁判所が王さんに懲役4年の不当裁決を言い渡した。そして、錦州南山刑務所で残忍な迫害を加えられ、2009年後半には盤錦刑務所の四監区九中隊に移され、凶悪で非道な手段で大隊長に迫害され続けた。

 王さんは2008年4月に強制連行された時はとても健康だったが、わずか2年間で植物人間になるまで迫害された。2010年4月14日、盤錦刑務所で意識不明になるまで迫害され、盤錦第二人民病院一階の集中治療室で応急処置を受けている時、初めて家族に知らされた。病院の検査によると、王さんはすでに脳内出血を起こして大変危険な状態にあった。それにもかかわらず、手足は手錠に掛けられたままで、ベッドに横たわっている王さんは大量の薬物が注射され、話すこともできなくなっていた。刑務所に唯一許されたことは、娘による介護だった。当時、妻の姚桂蘭さんが迫害によって2009年9月にすでに死亡していた。長女は出産して間もなく、次女は大学に通っているという家庭環境だった。娘たちが何度も盤錦刑務所に治療のための一時釈放を許可するよう申し出たが、高采交番が受け入れないという理由で拒否された。最終的に、盤錦第二人民病院でわずか11日間の入院を経て、王さんは再び盤錦刑務所に連れ戻されて、不明薬物を注射され、迫害され続けた。

 半年後の2011年1月、王さんは再び脳内出血を起こし、とうとう植物人間となった。盤錦第二人民病院で二回目の応急処置が取られたが、王さんは依然として手足を手錠にかけられたままだった。3月に入っても症状が良くならないため、盤錦刑務所側は所内で死亡することを恐れ、責任を逃れるために仕方なく病気治療のための一時釈放の手続きを取った。王さんは遼河油田センター病院に入院し、ずっと二人の娘が介護していたが、家の十数万元の貯蓄を使い尽くしてしまい(王さんは会社から強制的に解雇されてから給与を一切支給されず、医療保険も適用されなくなった)、次女が借金して父を脳内科からリハビリテーション科に移した。王さんの症状は一向に良くならないばかりか、ついに高額の医療費も支払えなくなり、賃貸の看護室に移ることとなった。2011年2月に入り、日増しに体調が悪化した王さんは、遼河油田センター病院に戻って応急処置を受けていたが、12月20日に無実が晴れないまま他界した。

 姚桂蘭さんが生前に受けた様々な迫害

 王さんの妻、姚桂蘭さんは遼河油田高昇採油場を退職した元職員。1996年に法輪功の修煉を始めて以来、たくさんの持病が自然治癒し、歩く時の足取りは軽やかで、健康な体を取り戻した。2000年10月、迫害停止を陳情するため北京へ行った際、現地の警察に逮捕され、盤錦刑務所に送り込まれた。盤錦労働教養所は1999年から2000年12月まで男女を合わせて少なくとも200人以上の法輪功修煉者を監禁していた。盤錦労働教養所は様々な拷問、卑劣な手段を用いて修煉者を転向させようとした。それによって、3人の修煉者が迫害されて死亡し、100人以上が暴行を加えられた。盤錦労働教養所は、2000年度の遼寧省及び公安部により、「転向先進企業」の手柄集団として二等奨に表彰され、盤錦市、遼寧省、公安部の上から下まで高額奨励金を受け取った。修煉者たちの命と鮮血に引き換えたお金だった。そのうえ、修煉者たちを苦しめた経験を全国各地の関係機関に伝授し、内モンゴルの労働教養所などがわざわざ学びに来るほどだった。

 2001年5月26日、姚さんをはじめ法輪功を学び続けている28人の法輪功修煉者が、女子隊の大隊長、副大隊たが、鉄の棒とスタンガンを持って脅し、水、食事、睡眠、トイレなどの基本的な権利をはく奪された。そのうえ、腰を曲げる、頭を下げる、お尻を突き出す、足を曲げる、両手で頭を抱える、両足が軍歩のように屈むなどの姿勢を強いられ続けた。すべての窓が封じられた環境の中で、姿勢が少しでも崩れると、鉄の棒で叩かれた。また、隊長達が一人ずつ一階の食堂まで連れ出し、スタンガンで暴行を加えていた。姚さんは体中に多数のうっ血が起き、腫れと膨れが残るまで暴行されていた。

 2000年正月のある日、夫の王さんが妻の姚さんの使用分として1000元を当番の隊長に預けた(入所したばかりの修煉者は転向しない限り、家族との面会が許可されないので、金銭などの私財は隊長に統一管理されている)。しかし、そのお金を当番の隊長に横取りされてしまった。隊長の統計によると14人分の計7000元が受領されていなかったことが発覚した。院長が大隊長にお金を管理するよう命じたが、その行方不明になっていた14人分のお金は見つからなかった。

 姚さんは迫害され、体が衰弱してがりがりに痩せていた。そして、残忍非道な拷問の前で不本意に転向してしまった。2002年3月、釈放された姚さんはすぐに「厳重声明」を発表し、法輪功の修煉を続ける決意を語った。修煉を再開してからは、体も徐々に回復した。

 2009年3月、姚さんは盤錦市興隆台区で法輪功の小冊子を配布していた時、振興小区の警察に強制連行され、第三留置場で15日間不当に監禁された。その間、姚さんは嘔吐を繰り返して大変憔悴しながらも、転向しないため、15日後に馬三家刑務所に送り込まれるところだったが、健康診断の結果が不合格だったため収容拒否となった。帰宅後は監視される日々の圧力と、監禁中の夫を心配するあまり、体調が日増しに悪化し、遼河田センター病院に入院したものの、出所から5カ月後の2009年8月9日に無実が晴れないまま他界した。

 王さん一家は幸せな日々を送っていたが、夫婦ともに中共によって殺害された。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/10/14/264014.html)
 
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