新しい修煉者:旧宇宙の「私」を取り除き、基準に達する修煉者になる
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文/河南省の大法弟子

 【明慧日本2012年10月25日】私は2007年の5月に法を得た新しい学習者で、法を正す時期が終わりに近い今、師父に済度されました。これを思うたびに私は感謝の涙をこらえることができません。師父の済度がなければ、私はもうこの世にはいないでしょう。世間のどんな言葉でも私の師父への感謝を表すことができません。ここで再び、師父に感謝したいのです。師父、ありがとうございます!

 風雨の中で私は修煉の道のりを3年間歩んできました。重病のため生死の境を彷徨ったことから、夫の背信によって感じた精神的苦痛まで、問題があれば泣くことしか知らない弱い女性から、私は独立した女性に変わりました。法を実証するために警察に不当に連行された後、正念を持って正々堂々と派出所から自らの足で出てくるまで、私が歩んできた道のりの隅々に師父のご加護がありました。魔難に直面する際、私は自分が大法弟子であることを忘れることなく、師父に地獄から救われた私が唯一出来るのは絶えず精進し、師父の慈悲なる済度に背かないことです。関をすんなりとは乗り越えられませんでしたが、師父と法に護られて、私は何とか無事に今日まで辿りつきました。最近体験した幾つかのことを同修の皆さんと交流したいと思います。

 数日前、私は左足に痛みを感じましたが、最初はあまり気に留めず、毎回の発正念の際に、一切の邪悪による妨害を排除しました。座禅の時、私はその痛みに耐えて何とか煉功してきましたが、段々と足が硬くなり、遂に30分の座禅しかできなくなりました。私は内に向けて探しても具体的な原因が見つからず、発正念をしても効果が見られず、最後には歩くことさえ困難になりました。この時初めて私は真剣に考え、きっと自分のどこかに漏れがあるから旧勢力に隙を突かれて、身体を迫害されたのだと思いました。しかし、私には師父の加護があり、旧勢力の按排を認めてはならず、たとえ自分に良くできていないところがあっても、師父が私の修煉の道を按排して下さるので、他の一切の妨害は許されません。私は自分の内に向けて探しましたが、問題を見つけ出すことができないので、意念の中で師父に懇願しました。「師父、弟子の悟性が悪く、問題の所在を突き止められません。もし業を滅することが出来なければ、私はきちんと耐え抜きます。もしそうでなければ、どうか悟らせて下さい」

 普段から私は緩まず内に向けて探し続けました。その日の夜、シャワーを浴びる際、私は流れる水の音を聞きながら突然、頭に一つの文字が浮かんできました。「私」、そうです、これは旧宇宙の物質です。私は新宇宙の真善忍に同化しなければならず、師父の教え通りに「他人が先、自分が後の、無私無我」を修めなければなりません。最近、自分の周りの出来事を思えば、どれにも自分の「私」が見えたのに、長年自分に形成された後天的な観念によって認識できなかっただけなのです。

 ある日、仕事が急に忙しくなったため、先日休みを許可したある社員に、臨時に残業をしてもらわなければなりませんでした。彼女に事情を説明すると、彼女は非常に不機嫌な様子で、「休んでも良いと言われたので、とにかく休ませていただきます」と言ってきました。私は「今日は元宵節なので、休みを許可した時、今日の状況を予想できませんでした。もし残業をしてもらわなければ、他の全員が遅く帰宅することになり、皆に迷惑をかけることになります。仕事をするなら上司の指示に従い、皆と協調もとらなければならず、自分のことだけでなく、他人のことも配慮すべきでしょう」と言っても、彼女は依然として「彼らが残業しても私とは関係ありません」と言いました。

 私は怒って「あなたは本当に利己的な人ですね」と言いました。結局、彼女は上司である私からの処罰を恐れて残業をこなしました。仕事はうまくいきましたが、私は心の怒りを抑えきれず、なぜこんな社員に出会ったのかと不満に思いました。修煉者として、遭遇する全ての出来事に偶然なことはなく、当時私は内に向けて自分の問題を探しませんでしたが、今考え直してみれば、私が他人に利己的だという言った時、自分の「利己」に気付くべきでした。その日は元宵節でしたので、商売は普段より繁盛し、残業する人がいるから自分は残らなくても問題ないと思い、休みました。社員の言う「彼らが残業しても私と関係ありません」とは正に私のことを言っているのではないでしょうか。リーダーとして、私はその日の仕事量が多くなることを予想しながら、彼らの苦労を配慮せず、自分が休むことばかり考えていました。

 また、こんなこともありました。ある中間幹部は自分の職権を利用し、自分と同じ村出身の同僚2人にそれぞれ一日多くの休暇を与えました。このことを知った私は、彼に警告する以外に他言しませんでしたが、心の中では人間の「私」を毛嫌いし、今の世の人々はなぜこんなに自分のことしか考えないのかと思いました。毎回毎回、他人の「私」を指摘しながら、私は自分自身を省みることをせず、それらのすべての出来事は私が自分の「私」を取り除くための啓示だったのに、私は悟るどころか憤慨する毎日でした。今考えれば、恥ずかしい限りです。

 問題が見つかればそれを取り除かなければなりません。翌日の朝、煉功の際、私は強いエネルギー場の中に包まれたように感じて、1時間座っても足の痛みを感じず、非常に気持ちが良かったのです。内に向けて探すことは本当に不思議で、すぐに効果が現れました。それは修煉者の法宝です。

 時に思うのですが、生まれた時から今日に至るまで、後天的に形成された「私」という観念が骨の髄まで浸透して、なかなか容易に取り除くことができません。しかしその存在を認識できたので、どう取り除くべきかも分かるようになりました。数日前、会社が新しいコンピュータ用のマウスを購入し、客室にある不良品と取り換えようとしました。私も一つ取ってきて、自分の部屋にある古いものと交換しようと思いました。しかし取り換えてから、私は新しいマウスを見る度に心が重く、常人からすれば当たり前かもしれませんが、修煉者としての私は法理を持って自分をもっと厳しく律するべきだと思いました。そうでなければ常人と何の違いがあるでしょうか。私は自分の一つの考え、一つの念から自分を正すべきです。その後、私は自分の古いマウスを持ち帰り、新品を会社側に返却した後、古いマウスを見てホッとしました。

 法を正す時期が終わりに近づき、私のような新しい修煉者にとっては時間があまりないと思います。毎日の学法と煉功以外、私は大事な衆生を救度することにあまり時間を割いておらず、自分と縁のある人々を救うチャンスも多く逃しました。私は一人で修煉しており、自分の手書きの真相紙幣を使う以外、時には身近な人や縁のある人に真相を伝えたりしますが、師父の要求には程遠いと思います。私には未だ取り除かれていない良くない心が多くあると思いますが、今後の修煉において、私は自分を厳しく律し、必ず旧宇宙の「私」を取除き、新宇宙の要求と基準に同化し、合格できる大法弟子になりたいと思います。

 以上は私の現在の次元での体得ですが、正しくないところがあれば同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 師父に感謝します。同修の皆さんに感謝します。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/12/221417.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/4/19/116190.html)
 
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