文/サンフランシスコ東ベイエリアの大法弟子
【明慧日本2012年10月19日】慈悲なる師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!
一、真に修煉を始める
中国にいた頃、私はずっと愚かにも邪悪な共産主義を信奉して、自分が良い人だと思って、法輪大法と無縁でした。アメリカに来てから、人間は何のために生きているかが分からなくなって、自分の人生がつまらなすぎると感じました。夫に聞いてみたら、彼は「あなたは当然、私のために生きているだろう」と言いましたが、その言い方に私は同意できませんでした。精神がとても空虚になった私は、とても苦悶していました。
1996年、友人の紹介で私は「9日間の勉強会」に参加し、法輪大法は良くて、高い信仰を持っていると感じ、私はしばらくみんなと一緒に学法、煉功をして、大法を広めることもしましたが、無神論と現代の実証科学から受けた影響が強くて、私は完全に大法を信じることができませんでした。師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の中で、「しかし、長い間この世の逆になった理で形成された行為、観念、生活方式によって真の自分がここで埋もれてしまい、後天に形成された各種の人心、執着と異なる観念、今生今世で習ったすべてはあなたの以前のすべてを覆い隠してしまいました」とおっしゃった通りです。1996年、私は貴重な修煉の機会を見逃しました。
1999年、私はニューヨークの公園で集団煉功に参加して、第2式の功法をやった時、師父は私に天国世界の素晴らしさを見せられ、私は感動の涙を流しました。しかし、頑迷で済度し難しい私は、それでも正式に修煉に入りませんでした。ただ内心で大法の素晴らしさが分かって、体調が悪い時に、家族の目を避けて少し煉功をするだけでした。数年間、師父から何回もの啓示があったのですが、私はずっと悟っていませんでした。
2006年、一家はカリフォルニア州に来て、私はやっとネット上で法輪大法の関連情報を検索することを始めて、新経文も読むようになりました。その時の私は、煉功動作も忘れていました。ビザ申請のため、当地の中国領事館前に行った時、発正念をしていた大法弟子を見ましたが、どういうことなのかも知りませんでした。自分が本当に大法から遠ざかっていることを実感しました。
2008年、私は地下鉄の駅で神韻公演の小冊子を受け取って、小冊子に載っていた情報をもとにして、ネット上で神韻の情報を全て閲覧しました。素晴らしい画面と音楽に私は涙を流しました。そして、同修から神韻の小冊子を少しもらって、息子が行っている中国語学校で配りました。
神韻公演を見た時、大法弟子が迫害を受ける演目に私はすごく心を打たれて、思わず涙を流しました。心の片隅に潜んでいた修煉の機縁は、神韻によって呼び覚まされました。慈悲なる師父は、私のようなだらしない弟子も諦めておらず、もう一度私を地獄から救い上げてくださいました。そこで、私は家族の反対を押し切って、修煉の決心を下しました。私は夫に、「人間は返本帰真のために生きていることを、今やっと分かりました。私は無駄に長年の時間を浪費したことを後悔して、今、修煉の決心を固めました。どんな人でも私を変えることができないから、あなたもこれ以上阻止しないでください」と話しました。
(続く)
(2012年サンフランシスコ法会での発言原稿)