明慧法会|しっかり学法し、修煉や衆生を救い済度する環境を作り出す(二)
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2012年11月19日】

 公安局を訪れて真相を伝え

 母が亡くなる前、私は昼夜看病していたので、連続数カ月学法ができなくなった挙句、邪悪に隙を乗じられて、警官に尾行され監視されるようになりました。ある日、年配の同修に『転法輪』とMP3の説法録音を届けましたが、翌日警官に没収されました。警官の目を逃れて引越しするよう同修に勧められましたが、ある日座禅中に他空間で背が高い警官が家の前を回っており、申し訳なさそうな感じで頭が下がっている様子を私は見ました。それから私は度胸がついて恐怖心がなくなり引越しもやめました。「手紙を書いて公安局に届け、没収された本を返還してもらおう」と思いました。

 母親が亡くなったばかりで、私はこの間きちんと学法していませんでしたので、ペンをとって書こうと思ってもなかなか書けませんでした。私は穏やかに座って3日間学法し、発正念をしてから再びペンをとりました。すると、奇跡が起こり、知恵が湧いて十数項目の小テーマに分けて、慈悲や尊厳を込めて書き、同修に校正してもらってからきちんと丁寧に清書しました。教師をしている同修は私の文章を読んで「小学校卒の学歴なのに、これほどのレベルまでできるとは! 頑張ってできるものではない。すべて師父のご加持です」と言いました。確かにそうです。「弟子の正念足りれば 師に回天の力あり」(『洪吟二』「師徒の恩」)なのです。

 私は政法委書記と公安局長宛の大きな封筒を作り、手紙、DVD、予言の本、生体臓器狩りの会話録などを同封して、公安局に持っていきました。

 その日の午前、学法グループの皆は発正念をしました。ある同修は、公安局のビルの上に1匹の赤い悪竜が病気でぐったりして伏せており、午前9時頃、二つに切られて落下したのを見ました。それは集団で協力した力です。

 公安局に着いた後、局長に話を伝えようと受付に頼みました。局長は時間がないからと言って面会を拒否しました。仕方なく、受付の人に真相を伝え、神韻DVDとお守りを渡して家に帰りました。

 10日後、私はまた公安局に行きました。局長はまた忙しいという理由で面会を拒否しましたが、代わりにある男性が面会に出ました。男性は私の名前を呼んで「あなたは毎日街を回り、今日は更に包みを公安局に持ってきて、度胸があるな。局長はあなたを逮捕していないが、今日わざわざ来て、逮捕されるのを心配しないのか」と責めました。私は「大門に『人民公安』という四文字が書いてありますね。どうして『捕人民公安』と書かないのですか。それに、私は自分のためにここに来たわけではなく、あなた達が共産党の共犯にならないように、真善忍への迫害を早く停止するように、あなた達の良い将来に繋がるようにと思って来ました。それでも私を逮捕するつもりですか」と反論しました。彼は「帰ってもいい。局長はあなたに会うわけがないから」と私を帰らせました。

 公安局を出て、私は道中の誰にも真相を伝え、小冊子を渡しました。公安局の警官はそれに気付いていましたが、何もしませんでした。法理に適っていれば、必ず無事であり、人間が決めることではないのです。それから、私を尾行していた警官は消えました。しかも、私と接触した警官の多くは「三退」しました。

 法を正すことがここまで進んできて、確かに他空間の邪悪が少なくなりましたが、かつてはそれほど順調ではありませんでした。2011年から、ここで大法弟子が連行されても当日に家へと帰ることができました。法を正す進展にしたがって衆生もだんだん目覚めてきたのです。

 田舎で一軒一軒真相を伝える

 多くの辺境の地域は、真相があまり伝えられておらず大法弟子も少ないのです。気の毒な多くの衆生はまだ救われておらず、「三退」もしていません。時間は衆生の命です。知っている村は一軒一軒訪れればいいのですが、知らない村はそう容易いことではないのです。しかし、一人を救い済度できれば、その人の背後のたくさんの衆生を済度できると思うと、自信が倍増しました。私はしっかり学法し、正念をもって村に向かい、一軒一軒を回ってDVDを配り、真相を伝えました。困難に遭った時は、師父のご加持を頂きました。今年2月から今日まで、私は17の村を訪れましたが、大きい村は800軒以上あり、300枚の小冊子と100枚のDVDを配りました。小さい村でも100軒はありました。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/18/249095.html)
 
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