度重なる子供達への迫害 母親は無念の死(一)
■ 印刷版
 

 【明慧日本2012年11月22日】黒竜江省富錦市に住む劉桂清さんは、1996年3月に法輪功の修煉を始め、長年患っていた婦人病、胃病、関節炎などが薬物治療なしで自然治癒した。真に体が軽やかで無病状態の幸せを実感していた。法輪功の創始者・李洪志先生と法輪功に心から感謝し、家族も一緒に修煉するようになった。一家揃って常に真、善、忍を行動規範にし、大変良い家族だと地元の人々から評判を呼んでいた。

 1999年7.20は中国共産党の江沢民集団が法輪功を迫害して以来、中共は何度も劣悪な手口を使って劉桂清さんの次男、三男、三女、四女に濡れ衣を着せて罪に陥れた。彼らは家宅捜索、家財没収、拘留、職場の解雇、労働教養など各種の迫害を受けていた。この残忍かつ理不尽な全てに苦しめられた年配の劉さん、なんとかして今日まで耐えて来た。娘の高玉敏さんは再び今年7月に中共に強制連行され、現在は鶴崗第二留置場に不当に拘禁され、すでに100日以上が経過している。年配の劉さんは毎日隣りの県まで足を運び、娘の釈放を求めるために綏浜公安、検察院、裁判所の間を歩き回ったが、正当な理由もなく拒否され続けた。毎日の耐え難い辛労でとうとう心身ともに疲れ果て、劉さんは今年11月6日午後4時50分に無念の思いが晴れないままこの世を去った。享年83歳。

 臨終を迎える際、娘の顔を見たいという最期の願いも叶えられなかった。劉さんが亡くなる前の2012年10月19日、中共が裁判所に指示を下し、高さんを含む法輪功修煉者に対して不公平裁判を行った。劉さんはとても娘に会いたがったが、綏浜県裁判所側が家族に中へ入って来られないように見張るよう、留置場の警備員に厳しく命令した。テロ対策警察まで動員して警戒していた。しばらく経って家族の一人のみ傍聴を許可された。劉さんも中へ入ろうとしたところ、80歳以上の高齢の劉さんが数人のチンピラ風の門番に外へ押し出された。

 娘は再び不当連行、拘禁、判決の酷い目に遭わされた。

 富錦市法輪功修煉者・高さん、袁玉龍さん、楊淑珍さん、由金英さんと綏浜県の法輪功修煉者・劉思遠さんの5人は今年7月14日夜9時過ぎ、同県北崗鎮永徳村で法輪功の資料を配布していたところ、通告されて綏浜県北崗交番警察に強制連行され、ずっと不当に拘禁されていた。

 5人の法輪功修煉者の家族は、綏浜県公安局と検察機関に対して控訴するよう北京の弁護士2人に依頼した。それから法輪功修煉者たち及び家族は絶えず公安局長と国家保安大隊に真相を伝えたが、彼らを止めることはできなかった。その間、由金英さん、楊さん、高さんが鶴崗市第一留置場に強制護送された。高さんの母、劉さんは晴雨問わず亡くなるまでずっと毎日、綏浜県公安局まで行って娘の釈放を求め続けた。

 10月19日朝8時過ぎ、法輪功修煉者の家族や弁護士一行60人余りが早々に綏浜県留置場の前で開廷を待っていた。しばらくして由さん、楊さんと高さんを乗せたパトカーが裁判所に到着した。門の外側に立っている家族と交わした挨拶が留置場の警察に不安を与えたのか、警官らは急に怯え出して家族を怒鳴りつけながら追い払い始めた。警戒のため元々外庭に停まっていたマイクロバスも急に庭の外へ追い出した。その後はすぐに門を閉じて施錠した。また、しばらくしてテロ対策警察を満載した一台の車が中庭に入っていった。さらに、公安局、検察院、政法委員会(610弁公室を直轄する組織)と610弁公室のパトカーが続々と中に入って行った。それほど広くない庭に数十台のパトカーが停まっていた。家族の皆が門の外側に閉め出された。フェンスの前に立っていた由さんの17歳の娘は、母親の姿が見当たらなかったため門が開いた隙に、「お母さんに会いたい! お母さんに会いたい!」と泣きながら中へ走っていった。その場面を目にした家族と民衆は皆が涙を流していた。しかし、警官らは人間の盾を作って女の子の進路を塞ぎ、それから彼女の腕を掴んで引きずりながら門の外へ追い出した。その光景を見た周囲の民衆が「開廷時は殺人犯ですら家族に会わせてもらえるのに、法輪功修煉者たちが何をしたと言うのか? 親に子供を会わせないなんて横暴過ぎる」と憤りの声が上がっていた。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/11/265334.html)
 
関連文章