明慧法会|常に法理に照らし、初心を忘れず修煉する(一)
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文/湖北省の大法弟子

 【明慧日本2012年11月26日】

 一、修煉を始めて心性を修める

 1999年のある日、会社から帰宅しようとした時、私は同僚の机の上に置いてある『転法輪(卷二)』に気付き、私は数行だけ読んで非常に驚き、どうしてこんなに難しい道理をこんなにはっきりと簡単に説明できるのだろうかと思いました。私は読み終えた後に大きなため息をつき、この本は大変貴重だと思いました。翌日、私はすぐ『転法輪』を買い、夢中になって最初から最後まで一気に全部読み、完全にショックを受けました。 

 本はすべて私のために書かれたかのように、私が体験した経験が書かれていました。私は読めば読むほど止まらず、心身の大きな向上を感じました。数年前に私は中国古代の西漢の張良が文字のない神書(天書)を得たことが羨ましかったのですが今、私は実際に文字のある神書(天書)を手にすることが出来ました。私は何と幸せでしょうか。もっと早くこの本を読みたかったのに、私は気功ブームの中で間違った道を歩いてしまいました。それから私はすぐに法輪功を学び始め、今までずっと続けてきました。

 私は天目が開いていません。弾圧が始まる前、私は他の大陸の同修と同じように平穏に学法をしていました。その時、個人の学法でも、集団の学法でも真面目に学んで法理に従い着実に関を乗り越えることが出来ました。法を学んだあと、苦しみに耐えなければならないことが分かり、自分も耐えることが出来ました。体の苦痛でも、人間同士の心性の衝突でも、師父の按排に従って無事に乗り越えることができました。修煉し始めたその年の大晦日の前に、私は転んで大腿骨を骨折し子供が無理やり私を病院に送りました。私は退院を要求して帰宅し、痛みを我慢しながら煉功して1カ月後に普通に動くことができるようになりました。以前、煉功して家に帰ると、妻に怒られることがよくありましたが、それは業力を取り除くことでした。静座する時の足の痛みもだんだん耐えることが出来るようになりました。学法を通して名利情に対して理性的に認識することができ、名利情を絶えず取り除き、だんだん放下しました。法を学んで、私は毎日毎日変わっていく気がしました。

 二、北京に行き、法を実証する

 中国共産党が法輪功への弾圧を始めた後、多くの人が私たちに注目し、職場でも私たちのことを中傷したり、監視したりしていました。妻は私が刑務所に送られ職場を解雇されることを心配して、よく私を殴り、ナイフや棒などを使って私を打ちました。夜中も妻はよく私を絶えず罵りました。私は工場の寮に住んでいたので、職員たちは大変迷惑がり不満に思っていました。時々昼間に私と会うと、「昨夜また奥さんに怒られていましたね。私たちも良く寝られません。よく我慢しますね」と言われました。

 妻は私が学法を止めなければ死ぬと脅迫し、一度病院に送って救急した経験がありました。私は学法を通して心が動じない法理が分かったので、ずっと学法を続けました。その時の仕事はまだ忙しくなかったので、時間を使って多くの法を学ぶことができ、着実に修煉の基礎を築きました。『圓満成就に向かって』の経文が発表されてから、私は3回を読んで、何の恐怖心も雑念もなく、すぐに北京へ法を実証しに行こうと決めました。翌日、私は『転法輪』と3千元を持って、同修を誘って行こうとしましたが、同修は行くことは出来ませんでした。私は一人でも自信をもって法を守るために天安門へ行こうとしました。

 途中、車や電車に乗るとき、厳しく検問されて、たくさんの同修が阻止されました。私は電車に乗るとき、周りがいくらにぎやかでも相変わらず『転法輪』を読み、静けさの中にいました。すべての警察官は私を無視し、まるで見ていないようでした。私は師父がずっと私の側にいてくださったと感じ、このことも大法の素晴らしさを実証しました。私は順調に天安門の近くの宿に着きました。まずお金を預けて、チェックインの手続きをしてから、私は天安門へ行き、故郷の同修の誰かが来たかを探して、翌日に天安門で煉功するつもりでした。私は宿に帰って真面目に学法をしました。同じ部屋に泊まったのは吉林省から機械の部品を買いに出張してきた若い常人でした。彼は怖がりながら「この数日、昼も夜もずっと厳しく法輪功を検問しており、私は怖くてよく寝られませんでした。あなたはどうしてそれらの人が行ったり来たりする情況の下で、法輪功の本を読むことができるのでしょうか」と言いました。それを聞いた私は平気で、相変わらず何も起こらなかったように感じました。

 翌朝早く、予定通りに天安門広場で煉功し、私は私服警官に連行され、天安門派出所に連れて行かれました。パトカーに乗る時、私服警官は丁寧に私と握手しました。名前を言わない修煉者たちは皆大きな鉄柵の中に拘束されました。公安部の警察が写真を撮影するとき、皆は『洪吟』を詠唱して、頭頂抱輪(頭の頂で輪を抱くようにする)をして、お互いに励まし合い「出掛けてから全身が楽になり、出てきて良かったですね」と言いました。気温が暑くて警察官は耐えられなくなりましたが、多くの大法弟子は身を寄せ合いながら、お腹もすかず、のども渇かず、暑さも感じませんでした。警察はずっと不思議だと言っていました。彼らが知らなかったのは、大法弟子が集まった場所は強いエネルギー場であることでした。

 1時間ぐらい後に、警官は私とほかの数人の同修を呼んで外に出ました。交替して新しく来た警察官は「お前はリーダーだろう。あなたたちは帰りなさい」と私に言いました。しかし、皆は法を唱和して、誰も帰りませんでした。その後、私は延慶留置場に送られました。後になって、私は師父が説かれた、労働教養所や留置場に行かないという法理を知りました。早くこの法理が分かっていたら、人を救うことや真相を伝えることがもっと良くできたはずでした。今回、北京で不法に11日間拘束され、公安は私を故郷に送り地元で1カ月不法に拘禁されました。2回目に拘禁されたのは数年後のことで、同修は私が協調人だと自供し、邪悪は私が各所でやったことを把握してから、急に職場に来て自白しろと言いました。私は彼らに真相を伝え、逆に留置場に送られました。警察は私の家でたくさんの真相DVDを没収しました。その時、師父が私のためにたくさんのことを担ってくださったのでした。受刑者は私の頭を壁に何度も打ちましたが、私は大法が素晴らしいと暗誦し、頭は痛くないと感じました。一度、4、5人の受刑者が留置場の所長にそそのかされ、私を床に押しつけてひどく殴ったり、踏んだりしました。常人だったら、死んだり障害者になってしまったかもしれませんが、私は相変わらず大法を暗誦して、怖くもなく痛みもありませんでした。これはまた師父の大きな慈悲だと感じました。留置場は人が死ぬと大変なことになるので、すぐに刑務所に変りました。

 私は忙しい時でも必ず法を学びました。それは師父がいくら忙しくても法を学ばなければいけないと説かれたからでした。私は早期退職して高校で授業を教えました。朝6時半に車に乗って出発し、夜帰って夜中2時頃まで法を学びました。忙しければ忙しいほどエネルギーに満ち、仕事も学法もお互いに促進できてより効率的になりました。私が授業を教える時に出遭ったたくさんの困難は、いつも師父が指示してくださり、教える効果が非常に良かったのですが、これは全て師父が智慧を与えてくださったのでした。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子修煉心得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/22/249151.html)
 
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