文/河北省の大法弟子
【明慧日本2012年12月24日】尊敬なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
第7回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会の機会を借りて、ここ数年間、実家の農村に帰って真相を伝えた体験を書き出して、師父と同修に報告したいと思います。
私は1998年に修煉を始めた古い弟子です。1999年7.20に迫害が始まってから、私はしばらく困惑しましたが、すぐ同修たちと一緒に真相を伝えて迫害に反対し、大法を実証することに身を投じました。
夫(同修)の実家は東北の山奥の小さい村にあります。2001年1月の旧正月の休暇に、2人はそこに短期間、帰りました。村民に真相を伝えたのですが、深く伝える余裕がありませんでした。何より、当時我々はまだ真相を伝えることの重要性を十分理解していませんでした。世帯数300以上、人口2000人の山村で法輪功を修煉する人は1人もいないため、そこの村民に真相を伝えて彼らを済度するのは私たち夫婦の責任だと、帰ってからだんだんと認識するようになりました。そこで2005年1月、私と夫は長期に住む心積りで再び夫の郷里に帰りました。
村の三方は山に囲まれて交通は不便です。法輪功について、村民はテレビが宣伝する悪いイメージしか持っていません。
私たちは夫の叔父や甥と一緒に住みました。私たちが煉功する時、甥一家は別の部屋に行き、私たちの動作を見ながらひそひそと笑います。彼らに真相を伝えても、彼らはただ笑って返事をしません。村人は私たちの修煉を理解できず、臆病な人は「法輪功」の3文字さえ口にする勇気を持っていません。ある親戚は「お姉さん、あなたたちは年金があって、衣食住に何の不自由もないのに、どうしてこの功を修煉しなければならないのですか? 政府が止めろと言ったら、止めれば良いのに」とストレートに私に聞きます。私は「以前の私は全身が病気で、煉功してから治りました。健康のために、良い人になるために、素晴らしい未来のために修煉しています」と答えました。家に儒学を尊重する伝統が残っている彼は、私の言葉を聞いて分かったようです。もう1人の親戚で、50歳の福泉さんは共産党の虚言にあまりに深く騙されて、とても無礼な態度で我々の耳に障る話をたくさん言いました。こんなに共産党の虚言に害されている人を、私たちは初めて見ました。彼の無礼さに彼の姉も恥ずかしくなって、彼を叱り付けました。
私たちは怒りませんでした。いずれ彼は真相を分かってくれると信じています。村人に大法を受け入れてもらうには、まず彼らに私たち2人を受け入れてもらい、大法弟子の良さを分かってもらわなければなりません。小さいことから、村人に大法弟子の素晴らしさを少しずつ見せていこうと2人で決心しました。
一、円融
夫の叔父はもう80歳で、脳の発育に問題があるため一度も結婚していません。口数は少ないがとても心が優しい人です。かつて軽い脳血栓を患ったことがあり、歩くことが少し困難で、尿失禁はしばしばあります。甥一家は叔父(甥は叔父を「お爺さん」と呼ぶ)にとても孝行をしています。叔父が汚いと嫌ったことはなく、叔父に食事を作り、冬場ではよく薪でオンドルを焚いてあげていました。
甥は毎日、山で羊を放牧しているので、家にいる時間は少なく、甥の妻は近くの鉱山で出稼ぎをしています。3人の子供のうち上の2人は都市部の学校の寄宿舎におり、8歳の末っ子は小学一年生です。私と夫は叔父の爪を切り髪を洗って、凍傷で化膿した足の指に薬をつけ、毎日叔父の足をお湯で洗いました。そして叔父の服と布団を全部きれいに洗いました。私はまた農村の大きい竈でご飯を作ることを覚え、甥一家が帰って来るまで暖かいご飯を作って待ち、彼らの服も全部洗ってたたみました。甥の妻は嬉しそうに私に「おばさん、ありがとうございます! 姑が元気だった時も、こんなに面倒を見てくれたことはなかったのです」と感謝しました。
私たちはよく自分のお金を出して米や小麦粉や、いろいろな生活用品を買いました。甥一家の経済状況はとても悪くて、家に足りない物があまりに多いので、お金を惜しむ時もあります。しかし、すぐ「もし自分の息子に買い物をしてあげるのなら、お金を惜しむでしょうか? やはり私は甥を息子のように思っていないからで、無私無我の大覚者の次元からどれほど遠いでしょうか」と自分に聞きます。『転法輪』には「どんなに大きな損をしてもにこにこして平然と笑っています」とあります。これはまだ「羅漢の初級果位」ですが、私たちはより高い次元へ邁進する法を正す時期の大法弟子なので、さらに高い基準を自分に求めないといけません。また、師父は『精進要旨』「修める者の忌」で「金銭に執着するならば、財を求めて偽って修め、教を壊し、一生を空しく過ごして、佛を修めてはいないのです」と説かれました。真の修煉者はお金のことで心は動じないものです。大法の法理を思い出すと、崩れそうになった心のバランスを立て直すことができました。
ある日、大便を失禁した叔父は部屋をすごく汚しました。私は腹をたて、片付けながら文句を言っていました。しかしすぐ『転法輪』の中の「それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません」を思い出して、修煉者には恨みも文句もないはずだと自分を反省し、不満の気持ちもなくなりました。しかし、また顕示心が生じて、この時に誰かが叔父の家に来て、私の親孝行の場面を見てくれれば良いと思いました。ふだんも、良いことをしたら周囲に知ってもらいたくて、村人の称賛を聞きたいため、河辺に洗濯をしに行く時も、人が多い時間帯を狙って行きました。数々の汚い顕示心を思い出して、私は恥ずかしくなりました。
叔父は口数がとても少ないので、彼が何も知らないと私は思っていました。ある日、叔父に「私が誰だか知っていますか」と聞いたら、叔父は「あなたは○○の嫁でしょう」と答えました。叔父の体調は良くなって少しふっくらし、生活が裕福な都市部のお爺さんのようだと村人に言われていました。
甥の兄弟が週末に家族を連れて遊びに来たら、いつも私はご飯を作って歓待します。「母の日」に甥、姪、甥と姪の配偶者たちがみんな私にプレゼントを買ってくれました。「村に多くの佛教信者がいますが、誰一人おばさんのような法輪功修煉者に及びません」と甥たちは言っています。
秋の収穫が終わった時、私と夫はそろそろ自分の家に戻ろうと思いました。荷物を片付ける私たちを見て、叔父はオンドルに座って涙を流しました。それが叔父との永遠の別れだとは誰もが予想していませんでした。私たちが帰って4カ月後、叔父は静かに息をひきとりました。叔父と一緒にいた10カ月は、私の人生の中で最も長く叔父と一緒にいた期間で、私の心性を高める ために師父が苦心して按排してくださった日々でした。表面から見ると、私たちは叔父を助けていますが、実は叔父が私たちの修煉を手伝ってくれていたのです。しかし、自分にはまだしっかりできていない部分があり、この10カ月を大切にしない時もありました。過ぎ去った機会は再び戻ってきません。しっかりできていない部分を思い出して、師父の苦心に応えられないことを強く悔やみました。
(続く)
(明慧ネット第7回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)