私が雲南省女子労働教養所で受けた迫害
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 【明慧日本2013年1月19日】私は2000年7月、法輪功の無実を陳情するため北京へ上京しました。途中で警官らに連行され、地元の留置場に40日間拘禁された後、2年の労働教養を強いられ、雲南省女子労働教養所に送られました。

 一、ビスケット工場

 労働教養所に拘禁されてから最初の数日間、警官らに労働教養所の規則を暗記させられました。私は「法輪功はその規則よりずっと良いから、暗記する必要がない」と言いました。その後、私はあるビスケット工場に連れていかれ、そこで強制労働をさせられました。工場と言っても、そこはただレンガでできた窓もないバラックでした。

 私たちの仕事は二つのビスケットにジャムを挟むことで、1人1日25箱のノルマがありました。毎日7時半に始まり、夜11時まで働かされました。辛い仕事で血がビスケットについてしまっても、そのまま包装されました。

 私は一日目に12箱を作りました。翌日、私は警官にこの仕事はもうやらないと伝えた。警官に理由を聞かれて、私は「あなたが見た通り、小麦粉は全部どろどろの地面においてあって、機械は埃だらけ、毎日3回しか行けないトイレは汚くて、用を足して、手を水で洗って、自分のエプロンで拭いたら、また仕事を始めます。できたビスケットは衛生基準に達しているはずがありません。私は真善忍に基づいて、良い人になることを目指しています。こんなことをやってはいけない」と言いました。次の日から、私は花畑に行かされました。

 二、花畑

 花畑にあるビニールハウスの中ではジャガイモが育てられていて、私は毎日農薬を撒いたり、花畑の雑草を抜いたり、遠いところから肥料としての糞便を担いで来させられたりしました。

 毎日7時半から暗くなるまで働かされました。着ている服を洗う時間もないし、水は冬も夏も冷たかったです。

 三、田畑

 冬になって、私たちは田畑で働かされました。主に土を掘る仕事ですが、土はとても固くて、20センチも掘らなければならず、手にたくさんのまめができました。

 春になったある日、警官は「今日の仕事はここに水をかけて、トウモロコシを植えることだけだ」と言い、私たちは朝7時半から午後4時までその仕事をやらされ、それを終えましたが、夜までまだ時間があるからと、警官は約束を破って、私たちに糞便を担がせました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/1/11/267672.html)
 
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