文/中国東北地方の大法弟子(本人による口述を同修が整理)
【明慧日本2013年2月4日】法輪大法を修煉する前、私は地元で有名なほど、理不尽な不良女でした。市場で野菜を買うときは無理やりおまけを要求したり、気が済まないときは罵ったりして、市場の人たちはみんな私を怖がっていました。私は5階に住んでいますが、一階まで降りてゴミを捨てず、部屋の窓から下へゴミを捨てたりしても、誰も一言も言いませんでした。
一、修煉してから、よい人になる
1996年9月、私は幸運にも『転法輪』を手に入れました。本に載っている師父の写真を見た瞬間、いつかの世で師父と出会ったことがある気がして、特に親しみを感じました。『転法輪』は泣きながら一通り読みました。読んでから、今になって大法と触れたことを非常に悔やみました。そうでなければ、これほど多くの悪いことをしなかったはずです。その後、3日間連続で発熱してから、以前の心臓病、肺性心、喘息、関節炎などの病は完全に治りました。慈悲なる師父が、私の修煉しようとする真心をご覧になってから、私の身体を清めてくださったのです。それから、私は『転法輪』で取り上げた法理で自分を律し、よい人になろうとしました。
その後、市場で野菜を買うとき、私はお金をちゃんと払いました。店主たちは不思議な顔で私を見ていました。私は「今までは本当にすみませんでした。私は今、法輪大法を修煉していて、私の師父はまずよい人になるように教えてくださいました。以前の間違いは許してください」と話しました。
二、正念で北京に行って法を実証する
1999年4.25以降、私は北京に大法を実証しに行こうと思いました。当時家には現金800元しかありませんでしたが、夫は「外出するときは十分なお金を持参すべきです」と話しながら、私が北京に行くことを支持しました。
1999年7.20、中共(中国共産党)による法輪功への迫害が始まりました。私は大法に罪がないと分かり、陳情しに行きました。多くの同修たちは逮捕され、皆はある体育館に監禁されました。2日間水もご飯も食べられず、熱い天気の中で私の白いシャツは汗で黄色くなりました。私は大きな法輪が目の前で回転するのを見、その後涼しい風が吹いてきました。師父が私たちを加持してくださっていると分かりました。夫は私を迎えにきましたが、警官らは私が転化しない限りは釈放しないと言いました。夫はそれらの警官に「妻は有名な不良女でしたが、今法輪大法を修煉してからよい人になりました。彼女は私まで殴ったりしていましたが、今は本当によくなりました。なぜ学ばせないのですか。あなたたちはよい人を悪い人に転向させたいのですか」と詰問しました。
彼らは私に大法を誹謗中傷する文章に署名させようとしましたが、私はかえって彼らに大法の美しさと不思議さを教えてあげました。私が転向しないのを見て、7日後彼らは私を洗脳班に移送しました。そのとき地元の警官らは私の家に行って家宅捜査をし、大法の書籍などを差し押さえようとしました。夫は彼らの捜査を制止し、厳しく言いました。「妻があれほど悪かった時にあなたたちは何もせず、よい人になった今はなぜ逮捕しようとするのですか。こんな道理がどこにありますか? 誰の命令かは私には関係ありません。妻のものは私たちの私有財産であなたたちが持っていくことはできません。誰かが持っていこうとすれば、私は命をかけて戦います」
このとき、12歳の娘は夫に「お父さん、大丈夫です。私たちの家には何もありません」と話しました。警察は一通り探し回ってから、何も見つけられずにそのまま戻りました。数日後、私が家に戻ってから、娘は自分が隠した大法の書籍と師父の法像を持ち出しました。私たちは正々堂々と師父の法像を掲げました。
三、家族3人で再び北京に法を実証しに行く
2001年の9月28日、私は再び北京へ法を実証しに行こうと思いました。夫は「あなたは修煉してから、私に本当に優しくしてくれました。私はあなたを一人で行かせるわけにはいきません。子供と私も行きます。死んでも生きても一緒にいましょう」と話しました。
当時北京に行くチケットはなかなか手に入りませんでした。同修に頼んで3枚のチケットを購入しましたが、当日、そのチケットを持っている同修と連絡が取れませんでした。同修は私たちが行かないのではないかと思って、チケットを他の3人の同修に譲りました。当時私は「私は必ず北京へ行きます。大法のため公正な話を言わせてもらいます。誰かキャンセルのチケットがあればいいのに」と思いました。そのとき「私のところにチケットがあります。今キャンセルしたいのですが、チケットが欲しい人はいませんか」とあわてて話す人がいました。私はすぐ「私にください」と話し、そのチケットを受け取りました。私は夫と娘に「あなたたちは帰りなさい。私一人行きます。安心しなさい。大丈夫です」と話しました。夫は同意せず「私も必ず行きます」と話しました。このとき、またキャンセルする人がいました。師父は私たちが法を実証しようとする心をご覧になってから、私たちを手伝ってくださいました。これで3人は北京に行きました。
翌日、同行した他の9人の同修たちとはぐれました。私たち家族3人が天安門広場に着いたとき、広場では多くの大法弟子たちが「法輪大法はすばらしい」と大声で叫んでいました。私も「法輪大法はすばらしい! 法輪大法は正法だ!」と叫びました。警官らは他の大法弟子たちを殴打し、大法弟子たちをパトカーに乗せました。数台のパトカーには全部大法弟子が乗っていました。
私はちっとも怖がる心がありませんでした。このとき娘は私の服のすそを引っ張りながら「お母さん、私たちは家に戻って私たちがやるべきことをやりましょう。ここで逮捕されることを待ってはなりません」と話して、私たちはホテルに戻りました。
翌日、私はこのまま家に戻るわけにはいかないと、もう一回天安門に行きました。娘と夫も連れてきました。天安門前の道路に近づいたとき、私はぼうっとしました。夫は驚いて、どうしましたかと聞きました。私は「ほら、あっち(天安門の右側)に、蓮の花の上に巨大な仏が座っておられます」と話しました。夫は私の指先の方向を見てから「金色の光が光ってはいますが、どこに仏がいらっしゃいますか」と聞きました。そのとき娘は喜びながら「お母さん、師父です。師父があそこに座っておられます」と話しました。
家に戻ってから、娘は発熱しました。娘と夫は修煉してないので、私たちが娘に薬を飲ませようとすると、娘は飲もうとしませんでした。「私が目をつぶっていると大法の音楽が聞こえます」と話しました。翌日熱は下がり、私は師父が保護してくださっていると分かりました。
四、資料作りの拠点を建てる
私は地元では有名人ですから、自分が身をもって体験したことを通じて、人々に法輪功を修煉してからの変化を話すと説得力がありました。私は小冊子などを持って、人々に読んであげたりします。周りの真相が分かった人たちは私に「あなたが北京にさえ行かなければいいです。家で煉りなさい」と話しました。
最初、私は真相資料が作れず、拾った小冊子などを持ってコピーして真相を伝えていました。敢えてコピーしてくれないお店には、真相を伝えました。後で、私もネットから資料を印刷することができるようになり、家で学法グループも作りました。私はタイピングはできませんが、真相資料をダウンロードしてきれいな小冊子を作って、縁のある人たちに届けています。縁のある人に法輪大法が正法であることを分かってもらいたいです。