裁判官:法輪大法が私を変えた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013年1月29日】

 一、3回の奇跡

 私は1995年8月に法輪功の修煉を始めた裁判官です。修煉前は体に多くの疾病を患い、腰椎に病気があり、夜寝るときに自力で体の姿勢を変えることすらできず、毎晩変な夢を見てよく眠れない日々が続いていました。1995年8月、医師の紹介で法輪功を知り、当日地元の教育書店で『転法輪』を買いました。夕食後、本を読み始め夜中までに一通り全部読みました。自分でも信じられなかったのですが、不思議なことに自力で自由に姿勢を変えることができました。数回試しても同じように自力で自由に姿勢を変えることができたのです。十数年いろいろなところで治療を求めて治らなかった病気が一瞬で治り、初めて自ら法輪功の奇跡を体験しました。

 当時、私は42歳でした。突然新聞の文字が読めなくなり、3カ月も続きました。多くの目薬を使いましたが効果はありませんでした。しかし、大法の本はすべての文字をはっきり読むことができ、目も疲れませんでした。これは自ら体験した私の二番目の奇跡です。

 夜、ぐっすり寝たとき、夢の中である公園の小さなボートに乗りました。しかしこのボートはアスファルトの道の上を走り、山間の草地も走り、ドロドロの道も走ったので、夢の中の自分も不思議に思いました。これは何だ? 陸地も走る船なのか? ボートは帆もないのに走れますし、タイヤがないのに陸地も走り水の上も走れるのです。その時でした。泥道に沈んだ多くの人々が、「助けて、助けて」と叫んでおり、水の上に浮かんでいた黒い物体は人の頭髪でした。私は「何故こんな汚い水に入って泳ぐの?」と言いながら、急いで一人一人をボートの上に助けあげました。そして目が覚めたのです。

 この夢は今までの夢と違ってはっきり覚えており、生々しかったのです。これが私の三番目の奇跡です。翌朝私は家族に夢を話して聞かせました。その後、今回の夢は「師父が法船に乗り私を済度しに来られ、私は師父を手伝い、衆生を救わなければならない」という意味だと悟りました。

 数年で私のすべての疾病は痕形もなく治り、生まれ変わり家庭は幸せになりました。公費の医療費も全く使用しなくなり、50元の報奨金までもらいました。1997年から1元の医療費も使っていません。これは科学で説明できないことでした。

 二、法輪佛法は人の心を変える

 法を得るまで、自分はほかの人より良い人であると思っていましたが、法を習ってから真善忍で自分の行為を照らすと自分は周りの人より少し良いだけで、法の基準からはほど遠いと分かりました。私は家庭でも職場でも真善忍の教えに従い、自分を厳しく正して、より良い人になろうと決めました。

 1996年、ある人が私に2千元の謝礼金を持ってきました。私はそれを拒否しました。一人のよその省から来たお客が帰りの旅費がなくて困っていたので、私は500元をその人に差し上げると、彼は非常に感動しました。私は彼に、「あなたは私に感謝する必要はありません。私の師父に感謝してください」と伝えました。宇宙の大法が私を真善忍で自分の行為を正すように教え、私は私心のない人間として生きていこうと決心しました。

 法輪大法の本はより良い人になるように教える奇跡の本です。今の世の中は自分の利益だけを考える人が多く、道徳は滑落しています。しかし、法は人の心を変えることができるのです。

 三、師父はいつもそばにいて守ってくださる

 私は法を習い始めてから大連で行われた法輪功修煉者の修煉体験交流会に参加しました。初日、出発の時私の体はまるで左半分が無くなったように軽く感じました。初日の交流会が終了する時、白い法輪が会場の上空に浮かんで我々に向かって飛んできました。私の上に降りた瞬間、体の右半分が軽くなり、それから私の偏頭痛が完全に治りました。

 私は自ら法輪大法が起こした数々の奇跡を体験しました。師父は法輪を使って我々の体を浄化してくださいました。大連駅で同修の1人が「師父は交流会の会場におられました。師父は何の利益も名誉も求めず、静かにこっそり我々のそばで我々を見守っておられました」と言いました。

 2011年の春、私が自転車で走っている時、乗用車が右折してきて私をはねました。ドンという大きい音が聞こえた後、車は方向転換して止まりました。私ははねられて道路に横転しました。私は心の中で師父に助けを求めました。車の運転手はびっくりして車から降りてきて「叔母さん、病院に行きましょう」と言いました。私は直ちに「大丈夫です。行きなさい。私は自分で何とかします」と言いました。師父の助けで私は無事だったのです。

 2012年春、夕方に同修と新唐人テレビ局の衛星受信機を設置するために車で田舎へ向かっていたところ、気温が急に下がり、車のエンジンがかからなくなりました。同修は師父に助けを求め、エンジンがかかり、我々は無事に帰宅することができました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/1/25/268208.html)
 
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