明慧法会|師父の加護の下、大法の中で成長する(三)
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013年5月23日】

 三、善の力

 以前、私はこの迫害が人間対人間の迫害だと思い、常人の観念でこの問題を見ていました。意識の中で、いつも警察は迫害に参与するものだと思い、彼らが現れる度に発正念をしていました(実は悪念を発していた時が多かったのです)。学法が深まるにつれ、常人の観念を取り除いていくうちに、私はだんだんと警官も他の常人と同じで、済度されるはずだと認識するようになりました。それに学法を通して、私は旧勢力がそのように按排したゆえにそうなったと分かりました。師父がおっしゃったように、彼らは私たちのために屈辱を受けており、普通の人より可哀そうです。私たちが徹底的に旧勢力の按排を否定し、法の中で修煉した慈悲で彼らに対応すれば、彼らは救われます。

 真相が分からない人に罪を着せられ、何人かの警官が私の妹(同修)の家に侵入し、財産を差し押さて、妹を迫害しようとしました。私はこの状況を聞いた後、直ちに妹の家に行きました。玄関に入った途端、リーダーの警官が「あなたが誰か知っているよ」と私に言いました。彼を無視しました。彼らに真相を伝えて迫害を止めようとしか考えませんでした。妹の部屋のドアが閉っており、リビングにいる警官らが、開けろと叫びながら、度々「無理矢理にでも差し押さえてやる」と脅かしていて、厳しい状況でした。私は警官を対立側に置くのではなく、正念を発しながら彼らの背後の邪悪を解体し、真相を伝えました。「その話はやめてくれ。いっぱい聞いているよ」と1人の警官が言いました。私はそれを気にすることなく、説明を続けました。また、警察は正義を主張し、国民を守るべきだとも彼らに伝えました。生きたままで臓器狩りをすることについて、有り得ないと彼らは言いました。私は自ら調査した経緯を話してあげました。「それにしても有り得ない」と彼らは信じませんでした。私は自分が正の要素に責任を持たなければならないと思い、「信じないなら、それはあなたが善良であることを証明しています。あなたにはそのような邪悪な事ができないということですから」と言いました。この言葉が口から出た途端、私たちのいる場がまったく変わったと感じ、和やかになりました。1人の警官がこう言いました「君たちがいい人だと分かっているが、上からの指示だから。そうじゃなければ、誰がこんな仕事をやるもんか」リーダーの警官は、リビングにある真相資料に指して、「拾ったものだと言いなさい。私たちも仕事を片付けるから、それにあなたの妻を私たちに付いて行かせなさい、絶対無事だと私が保証します、すぐ家まで送るから」と妹の旦那に提案し始めました、「心配なら自分の車で彼女を送って、そのまま戻ってもいいですよ」と言いました。そして彼らはすぐビルの下まで降りました。そこで妹が部屋から出て来て、彼女は自分の正念が強く、部屋でずっと正念を発し、邪悪が真相を知らない警官たちに罪を犯させることを許さないと言いました。

 最初、妹は彼らに協力しませんでした、私たちを困らせないでください、そうしないと仕事を完了できないと、リーダーの警官が私たちにお願いをしました。私は妹と交流しました。警官に常人の角度から大法弟子に疑問を持たせないため、彼達を救うため、ものごとの表面に留まらず、どこにいても人を救うためならば、警察署にいてもどこにいても一緒です。そして、私と家族は自分の車を運転して妹と警察署に行きました。妹は中で警官に真相を伝え、三退を薦めると同時に、私は外で発正念して、しばらく経ったら私たちは無事に家に戻りました。

 四、無条件に黙々と同修に円容する

 何人か年配の同修が他の地方へ交流に行きました。彼らはそこの田舎の同修たちの経済条件が非常に悪いのを見て、また、衛星テレビ受信機を設置するなどのプロジェクトもやりたいので、そこの同修たちに「お金が必要なら、私たちのところへ取りに来てください」と言いました。そこにいた1人のお年寄りの同修は、後になって法を得たので、師父の資金に関する法理に対してあまり分かっていませんでしたが、大法のために頑張る熱心さがあり、本当に集金にやって来ました。しかも何十万元もの金額でした。それを聞いた途端、これは集金じゃないかと思い、私は直ちに止めようと思いました。その年寄りの同修と会った時、ちょうど彼は同修たちと交流している最中でした。ペラペラと大げさに捲し立てているのを聞いて、反感を覚えました。私はストレートに自分の見解を発表しました。すると彼は意見を受け入れないどころか、逆に私に怒って反撃をしました、その上、「絶対に金を持って帰って見せるから」と私に威張りました。周囲の同修たちも私に不満を持って指摘しました。私は、これはどういうことだと思い、明らかに彼が間違っているのに、どうして皆私を責めるのか納得いきませんでした。埒があかないと思い、応援を呼びました。同修が来て、例の年寄りの同修と、とても気が合うように話しました、そして年寄りの同修は集金の考えを諦めました、さらに2人は三つのことを行い、法を実証することについての体験の交流を深めました。

 今回のことは私の心を強く打ちました。自分を見つめますと、表では私は法のために考えているようですが、実は自分に執着し、自分を証明するような人心が隠れているに違いありません。師父がおっしゃいましたように「ある神がある方法を提示した時、彼らはそれをすぐに否定し、自分の方法を示し、自分の方法が最も良いと言うのではありません。彼らは他の神から出された方法の最終結果がどのようなものなのかをまず見るのです。道が異なり、一人一人の道も異なっており、生命が法から悟った理は皆それぞれ違っていますが、結果は同じかもしれません。ですから、神たちはまず結果を見るのです。到達する結果を見て、本当に達成したいところまで達成することができれば、それに同意します。神はこのように考えています。更に、足りない所があれば、無条件で黙々とそれを補い、圓満させます。神はこのようにして問題を対処しています。」[1]

 一年後のある日、「地方から来たある同修との交流がとても良かった。特に病業の関門を乗り越える問題について」と同修が話してくれました。その地方の同修を田舎の同修たちに紹介したいので、車で送ってほしいと頼まれました。私が行って見たら、まさにあの時、集金をしようとしていた人でした。しかし、私はすぐ自分に、「個人の観念で人を見るな」と言い聞かせました。同じ大法の中で修煉しているので、同修はきっと精進しています。このお年寄りの同修は私のことに気づきませんでした。皆と交流する時、彼の法に対する認識不足の部分を、私は自分の角度から分かりましたが、師父の話を思い出しました。「足りない所があれば、無条件で黙々とそれを補い、圓満させます。」[1]。交流する時、彼の正念が強いところを私は強めてあげました、不足のところは私が自分の認識を話してあげました、それは違うと指摘したり、こうすべきですよと主張したりはしませんでした。私には自分が正しいと強調する人心はなくなりました。当時、その場の雰囲気はとても和やかでした。戻ってきた後、同修の所に行く時、ばったりとそのお年寄りの同修と会いました、彼と少し交流しました、彼は良かったと感じて、「誰ですか」と他の同修に聞きました。同修が「あの時のあの人じゃないですか」と説明してあげると、彼は「そうか、どうして分からなかったのか」と、ふっと私のことを思い出しました、その後また会えた時に、「この前、あなたのことが分かりませんでした。以前あんなに衝突したのに、どうして私を支持してくれるのですか」と、彼は感動しながら話しました。私は、みんな大法のためなので、個人のものを入れてはいけないと言いました、お年寄りの同修は誠意を持って「あなたは本当に変わりましたね。私も帰ったらしっかりと実修します」と言いました。

 その時、私もとても感動しました、本当に師父に感謝しなければなりません、同修たちの向上は全体の向上に役に立ちました、必ず倍して頑張りますので、師父、ご安心ください。

 このような交流のチャンスをいただき、恩師に感謝いたします。交流を通して、修煉過程のすべてを思い出して、精進の意志が強まったと思します。

 ありがとうございました!

 注:

 〔1〕『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」

 (完)

 (明慧ネット第九回中国大陸大法弟子修練心得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/25/264965.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/1/17/137158.html)
 
関連文章