明慧法会|修煉に励む「80後(バーリンホゥ)」夫婦(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2013年12月19日】(次の文へ

 私と夫は1980年代に生まれた、中国では「80後」と呼ばれる若者の一員です。中国ではここ数年、「80後(バーリンホゥ)」と呼ばれる若者世代が、注目を浴びています。「80後」とは「1980年後」の意味で、1980年代生まれの若者を指します。現在の年齢で言うと、24~33歳。人生のステージで言うと、大学を卒業したばかりの年齢から若手社会人あたりの人たちです。

 「80後」は一人っ子政策の施行後に生まれ、その多くが一人っ子で、「小皇帝」の元祖とも言えます。親や祖父母からの愛情を一身に受けて育った為、一般的に「ワガママ」だと言われ、「最も利己的な世代」「最も反逆世代」「世間知らずで最も期待できない世代」と世間から厳しい評価を受けてきた世代でもあります。

 私と夫はそのような「80後」の一員です。しかし、法輪功と縁を結んだ我々は一般の「80後」青年とは考え方、性格、生活スタイルの面で大いに違います。私たちは法を正す時期の大法弟子であるからです。折り好く大法が広まる時代に、偉大な師父とともに人間世界に存在することができたことはどれほどの光栄なことでしょうか! 数年来の修煉生活を振りかえってみると、精進した時期もあり、困惑もあり、回り道もしました。幸いに明慧ネットを通して、全世界の大法弟子の全体の中に溶け込むことができ、同修たちと「比して学び、比して修す」こともでき、かろうじて法を正す時勢に遅れずにいます。次に、私たちのここ数年の修煉の状況をみんなに報告したいと思います。

  修煉を始めたきっかけ

 1995年、夫が中学生の時、クラスメートのAさんが交通大学の教授を介して『轉法輪』の本を見ました。彼はとても良いと思って、そこで法を得ました。1996年、彼は大法を学んでいることを夫に教えて、夫はすぐさま学びたいと表して、それで夫も大法を得ました。1996から1999年まで、彼ら中学生は各自で本を読み、各自で学校もしくは家で煉功して、他の同修とほとんど接触をしていませんでした。そのため、1999年7月に異変が起きた時、彼らはかつてない困惑に陥りました。

 1999年7月、共産党の迫害が始まった後に、Aさんは生死を顧みずに、誰にも事前に声をかけずに、毅然として天安門に行き大法の無実を訴えました。逮捕された後に残虐な拷問と迫害を受けました。出所後の一時、同修を巻き添えにしないため、独自で修煉を続けていました。夫はあの時家族に厳しく監視され、家族は彼の大法書籍を盗み出して全部燃やしました。法を学ぶことができなくなり、同修とも連絡を取れなくて、家族の反対、国内メディアの中傷誹謗など……20歳にならない彼はこのすべてに直面しましたが、一度も大法を止めようと考えたことはなく、煉功を続けて心性もしっかり守っていました。これ以上大法のために何をすれば良いか分かりませんでしたが、困惑の中で大学に進学して、恋愛もしました。ただ、他の若者が恋愛の時に相手に伝えたのは熱い思いや愛の誓いであるのに対して、彼が相手に話したのは人生の意味や道徳、因果応報のことでした。

 私の情況を紹介しましょう。1999年7月、国内のメディアは狂ったように大法を誹謗中傷する時、私ははじめて世の中に法輪功があることを知りました。私は共産党の話を決して信じませんでした。法輪功が悪いと言うなら、法輪功の本を公表して皆に判断してもらえば良いのに、本を燃やすことはかえって共産党の恐れる心境を表している、と私は思いました。テレビに映った本が燃やされるシーンを見て、私は「燃やさないで! 私に一冊ください」とテレビに向かって叫びました。今後『轉法輪』の本を見る機会はもうないと残念に思いました。

 2004年、夫と一緒に大学を卒業して結婚を決めた時、彼ははじめて私に「大法弟子」の身分を告げました。間もなく、夫が久しく連絡していない学友が我々にポケット版の『轉法輪』を一冊届けてくれて、私の長年の念願はやっと叶いました。法を得た当初、こんな夢を見ました。私は小さい娘で、師父に「私について家に帰りませんか」と聞かれて、喜んで承諾しました。歩く途中に突然お腹が痛くなり、私はこっそり師父の足跡を踏みながら歩いて、苦痛を軽減しようとしました。師父は振り返って私を見ながら微笑んでおられました。その日から、もの心付いてからずっとあった腹痛は、二度と起こりませんでした。また、高校時代からの胃炎と深刻な口内炎も、私がまだ学法と煉功をしっかり続けていないうちに全部治りました。

 小さな花を咲かせる

 2004年の年末、私たちは同修の助けで、明慧ネットにアクセスできるようになって、全世界の大法弟子とやっと一体になったと感じました。2005年、家で資料点を運営し始めて、一輪の小さな花を咲かせました。最初、やり方が全然分かりませんでしたが、すべては明慧ネットに教わりました。そこに同修たちは操作方法などとても詳しく書いてくれています。今、真相紙幣、新経文、お守り、小冊子、シール、卓上カレンダー、大法書籍、神韻公演DVD、各種ソフトウェア、電子ブックなど我が家で全部作ることができます。小さい花は十分に効力を発揮しています。9年来、家の資料点は安定的に運営して、自分たちが必要なものを自給自足するほか、次々と知り合った同修たちのためにも資料を提供しています。

 夫はIT関連の仕事に従事して、私もネットを通じていろいろな知識を覚えました。いつの間にか、私たちは「優秀な技術をもつ学習者」になって、機械修理、設備購入、DVDの複製、資料を作るなどのことで周囲の同修を手伝っています。数年前に、中古のノートパソコン一台の値段は1~2千元(約2~3万円)で、私の1カ月の給料に相当します。しかし、収入の少ない同修からパソコン購入の依頼を受けたら、私と夫はいつも半分ないし全額の商品代金を負担して、お金を惜しむことは一度もありませんでした。今どきの若者が求める贅沢や快適を私たちは求めないので、生活条件はまだまだ悪くありません。しかし数年の間に、知らず知らず私たちの収入はだんだん増えてきて、今はもっと多くの同修に援助できます。

 資料を作る時も、機械を修理する時も、心性が試されています。ここ数年、辛い経験もあれば嬉しい出来事もあって、たくさんの不思議な経験もありました。師父が『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』に説かれた「皆さんが行なった法を実証することの中で、どのような具体的なことに遭っても、皆さんに教えたことがありますが、それはいずれも良いことで、それは貴方が修煉したから現れたことです」について、もっと深く理解できました。後になって、心性が高まった実感が切にします。

 夫がパソコンの修理をきっかけに観念を変えた体得をまず話しましょう。数年前のある日、同修Aさんはノートパソコンを持ってきて、「突然立ち上がらなくなった、電源を入れると焦げた匂いもする」と訴えました。夫は時間をかけてソフトウェアとハードウエアを一つずつ検査しても問題が分からなくて、修理専門店に持っていかないと修理不能だと思いました。Aさんはパソコンを党校(中国共産党の高級幹部を養成する機関)に持っていって少し使って、帰ったらパソコンが壊れたそうです。党校? 明慧ネットの交流文章で読んだ「邪悪による妨害」の言葉が頭に浮かんで、私は黙々とパソコンに向けて発正念をしました。そして、パソコンはきっと直ったとの第六感がありました。電源を入れると、なんとパソコンは正常に立ち上がりました! 夫とAさんはたいへん驚喜して、私に直った原因を尋ねました。あれ以来、夫は問題に対処する時、もしくは機械を修理する時に、技術の原因のほかに、他の空間の要素も重視するようになりました。調子が悪かったプリンターは、2人が内に向けて探したら、修理をせずに直ったこともあります。私たちは常人がパソコンを修理しているのでなく、大法弟子が修煉して邪悪を除去して、衆生を救い済度しているのだ、と2人はますます分かってきました。

 次に、私が資料を作る中で心性を高めた事を紹介します。最初のころは、資料は使えればそれで良い、上質に仕上げる必要はないと思っていました。修煉の向上に従って資料の数量、品質において、自分に対する要求も高くなりました。面白いのは、最初の頃、私は資料の質をそれほど重視しなかった時、同修たちは資料をもらうとよく褒めてくれましたが、今は、以前に比べてずっと質が上がったのに、同修からかえって意見と質問を多く言われました。例えば近頃、私が印刷した真相紙幣は以前より設計を新しくしてより美しくなったのですが、それを手に取った同修は、数枚の印字位置が少しずれたことに注目して、「数量だけを求めて駄目ですよ、最も良い品質を追求しないといけません」と指摘しました。私は口で何も言っていませんが、心の中はとても悔しくなります。古い紙幣に折れ跡があるため、印字位置が少しずれることは本当に避けられず、少々ずれても使えないわけでもないのに、これのやり方も知らないくせに人を指摘するなどよく言えるね、私は昼間に仕事し帰宅したら娘の面倒を見て、そんなにたっぷり時間があるわけでもないのに、と悔しく思いました。

 その夜、『九死に一生』などの真相資料をよく整理してから、どのようなところに配ったら良いかを夫の意見を聞きました。夫は口から出任せに「自分でよく考えてみて」と答え、続けて聞いたら、夫は「最初から、どこに配っても良いような資料を作るべきですよ。限定された読者層向けに作った資料より、オールマイティーの資料を作るべきだ」と言いました。それを聞いて、昼間から溜まった鬱憤がとうとう炸裂して、「これは私一人だけの事ですか? どうして私だけに考えさせますか? 私の作った資料が良くないというなら自分で作ってよ!」と夫に大声を出しました。夫は「ほら、言われたらすぐ爆発しますね、早く内に向けて探して」と言いました。私はもっと腹を立て、悔しくなったので涙を流しながら「貴方たちは『内に向けて探す』の言葉をまるで私を打撃するこん棒に使っていますね。貴方こそどうして内に向けて探しませんか? 貴方たち1999年前に法を得た古い学習者は、私のような2004年に法を得た新しい学習者を苛めているのよ。貴方たちがしていない仕事を今私はしています。やれば良くできていないと言われ、私が弁解したら、さらに内に向けて探せと言われます。怒って大声を出す私はきっと修煉の次元が下がりますが、貴方たちにとって良いことでもありますか」と言いました。…時間を節約するために、私は泣きながら真相資料の袋詰めをしました。

 突然、『轉法輪』の中の言葉が脳裏に響きました。「あなたの身体に業力があり、相手が消去するのに手を貸してくれたのに、あなたは喧嘩を買ってしまって、それを拒否したので、消去されませんでした」。私はぱっと分かったので、こえきれずに微笑みました。夫は首を横に振って、「貴方は本当に…。どこに配って良いかを考えたので、さあ、私と一緒に行きましょう」と言いました。

 その日の喧嘩を通じて、大法弟子にそれぞれ特長があって、それぞれの使命もあります。自分のするべき事をしっかりと行って、他の同修に協力して全体を円融しないといけません。心性を向上させることは空論ではなくて、難しい事でもありません。多く法を学んで、トラブルが起きたら大法の法理で自分を指導できるかどうかが肝心だ、と私はいっそう分かりました。

 回り道をした時期

 法を得てから数年の間、自分は「どうせ新しい学習者なんだ」と思って自分に対する要求をだんだん緩めて、あまり精進しませんでした。私に早く精進させるため、師父は特殊な按排をしてくださったのかもしれませんが、一時、朝に『轉法輪』を読むと、昼間に必ず読んだ部分に相応する心性の試練に出遭います。今になって考えると、それは師父からの特別な愛顧で、とても良いことなのですが、当時の私は心性がまだ低くて、トラブルに遭ったらすぐ人心で対応してしまいます。朝に学法をしたからそうなったとの道理が分かってから、もっと精進しようと考えずに、朝もし本を読まなければ、昼間にそんな「ひどい目」に遭わないだろう、と思いました。

 娘を出産する時に私は帝王切開の手術を受けました。自分は次々の関を乗り越えられなくて、色欲心と恐れる心を取り除いていない、現代科学を迷信する、師父と大法を徹底的に信じていないなどの不足があって、帝王切開の手術を受けることになったと思います。本来、修煉に精進していれば、きっと手術もせずに順調に出産できたはずだと思うからです。手術の日にあいにく、夫も含めて家族や親戚や一人も連絡を取れず、手術の同意書にも私自身で署名したのです。世間の諸々は結局何も当てにならず、永遠の保障は大法しかないのだ、とつくづく思いました。私は心の中で師父に「師父、私は必ず着実に修煉していきます」と話しました。

 今の中国で手術を受ける時、執刀医と看護師たちに「赤い包み」をあげないとまともに対応してもらえません。医療界がこれほど腐敗しているのも現実です。自分は大法弟子であるので、こんな歪んだ社会風習を助長したくなくて、私は誰にも「赤い包み」をあげませんでした。結局、病院側は私にとても若い執刀医と研修中の麻酔師を割りふりました。麻酔師は私の脊椎の中に麻酔薬を打った時、正確な場所を突き止めないため、何回もあちこちに針を入れました。麻酔師はただそばで冷静に見て、「間違ったよ」と言ったりしました。あそこは人間の脊椎ですよ、下手にしたら半身不随になる恐れもあります。私はただ耐えて、何も文句を言いませんでした。自分は大法弟子だから、きっと無事だと信じ、今度常人の患者に打つ時に正確に打てるようになれれば、私の体で練習しても良いと思ったからです。

 手術の後、私は3台の病床がある部屋に入れられました。私のベッドの真上にハイパワーのエアコンがあって、24時間冷気を吹き出しています。頭皮が毎日吹かれてとても冷たいですが、周囲に迷惑をかけないよう、ベッドの交換やエアコンを消すことなどを要求していません。

 腹部の傷は痛いですが、ずっと仰向きの姿勢で横たわることもしんどいので、私は自然に体を横向きに寝ていました。医者は「術後、こんなにすぐに横向きに寝れるなんて、貴方はすごいですね」ととても驚きました。私はただ微笑んで、「私は大法弟子だから」と心の中で呟きました。ちゃんと煉功も続けていない私の体をこんなに良く変えててくださった師父に、感謝の気持で胸いっぱいになりました。3日間の入院中に、夫は昼間に仕事をして、夕方から病院に来て徹夜で娘を看護して、とてもしんどいです。それでも、彼はにこにこして同室の産婦の手伝いをしたり、魔法瓶にお湯を汲んだりして、一言も文句を言いませんでした。暇があれば同室の産婦たちに大法の真相も伝えました。

 病院から帰って、術後5日目から、姑に迷惑をかけないため、夜に娘の面倒を見ることは完全に夫婦2人でやりました。夫は昼間も仕事があるため、夜、私はできれば彼に手伝ってもらわないようにします。昼間に私は姑と一緒に娘を見て、家事も手伝っています。産褥の1カ月は姑が作ってくれた栄養たっぷりのスープを飲んで、冷たい水に触れないほかは、何も特別な注意や世話をしていません。産褥病にもかかりませんでした。再度大法の超常的な力を実証しました!

 生活はたいへん忙しくなって、最も基本的な睡眠と食事もまともに取れなくなって、私と夫の修煉状態が緩くなり、心性も時に良くて時に悪いです。時間があれば育児関連のサイトを見て、明慧ネットにめったにアクセスしません。だんだんと夫はゲームに夢中になって、娘もしょっちゅう病気をして、我が家に焦りと悩みの雲が蒙りました。

 生後2カ月のある夜、娘は突然高い熱を出して、最後に泣く気力もないほど弱りました。私は娘を病院に入れたくないため、師父にご加護をお願いして、1枚のお守りを探し出して娘の枕の下に置いて、娘を寝かしてから、私は「法輪大法は良い、真善忍は良い」を絶えず念じました。翌朝、娘は何もなかったように熱が下がりました。師父に対する感謝は言葉で表しきれません! その日から、学法をする時に私は娘に向かって読み上げ、娘は二度とあんな高熱を出したことはありません。私は少しずつ「三つのこと」を再開しました。私の変化を見て夫もじっと坐っていられなくなって、私と「比して学び、比して修す」、「三つのこと」をしっかり行うようになりました。……我が家の修煉の雰囲気はますます良くなりました。

 職場での修煉

 娘が1歳の時、私は新しい仕事に転職しました。上司は気性が激しくて、他部署の同僚はよく言いがかりをつけて、外資企業のカルチャーギャップにも慣れないので、最初の1年間、私はとても辛かったのです。また以前のように、朝の学法に何かを読んだら、数日内に必ず心性を刺激する事に出遭います。以前、我慢できなくなったら私はまた転職しましたが、今、私は逃げることはしたくありません。トラブルに遭った時、法理を思い出すことができれば、順調にその場を過ごすことができますが、無理に我慢すれば、きっと数日後に同じ事でさらなる刺激を受けます。『轉法輪』に説かれた「往々にしてトラブルが発生する時、それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません」の通りでした。一時、私は意気消沈して、トラブルに出遭う時、それに関連する法理を思い出せますが、心の中ではどうしても放下したくありません。身辺に交流できるのは夫しかいなくて、最初、彼は本を多く読んで内に向けて探せと言ってくれますが、私の文句をたくさん聞いてから、彼も心が動じて、転職しようと勧めます。とうとう私は夫に職場のことを言えなくなりました。

 どうすれば良いでしょうか? 誰と交流をすれば良いでしょうか? 煩悶の中で私は明慧ネットを思い付きました。私は昼食時間を使って毎日のように明慧ネットを見始めました。毎日、心性の交流文章を漏れなく読んでいます。明慧の交流文章は本当にとても良く書かれています。華麗な言葉は何もなくて、簡明直截に述べただけですが、私はよく感動して震撼され、涙がほろほろと流れます。

 文章に引用した師父の説法を読んで、私は自分の不足をはっきり分かりました。同修たちが書いた事例に比べて、私が出遭ったトラブルはどれほどちっぽけなものでしょう、うまく乗り越えられない理由はどこにもありません! 自我に執着する、メンツを捨てられない、人に言われたくない心、損を蒙りたくない、八方美人で相手の憎しみを買いたくない……私は固執しているのはこれくらいの心に過ぎません。同じ大法弟子なので、他の同修ができることなら、私もできるはずです!

 言い争うことに関連する師父の説法をファイルに整理して会社のパソコンに入れて、同修が書いた、怒る心理についての分析を便箋に書き写してテーブルに貼りました。また『轉法輪』の電子版を会社のパソコンに入れて、時間があれば一段落ぐらい暗記しています。そのように、心に不満が生じる時に一目でテーブルに貼った便箋を見れば、これは私の心性を試しているのだ、これは良い事だと思って、つらい思いをする時、パソコンのファイルを開いて、師父の経文を目にすれば、あっ! この事は私の心性を高めるために起きたのだ、良い事だと思うようになります。だんだんと職場で悩むことが少なくなって、何か起きたら、どのように法理に照らして心を正しく保つかを覚えました。このように、私は入社1年目に毎日残業して、「三つのこと」を疎かにしてひたすら仕事に集中したのですが、年末評価は「普通」だったにのに対して、2年目、私は修煉状態を整えて、残業を減らして「三つのこと」をする時間を確保した上に、勤務時間内に『轉法輪』を暗記する時間も作れましたが、年末の評価はかえって「抜群に優れている」となっています!

 一方、仕事のことにおいて夫は私よりずっと心が落ち着いて、どんな境遇にも安んじて、野望もなく争いもしません。彼の最初の仕事はライン作業で、一番疲れて一番複雑な工程に配置されました。今の都市出身の若者は苦に耐えられなくて、転職者が頻出したので、夫はその工程の最も勤務年数が長い従業員になりました。それから、彼はアフターサービス、セールスもやったことがあります。他の人が承知しない注文やクレームを、彼は黙々と引き受けて、とても楽しくやっています。セールスの仕事は収入が不安定ですが、いろいろな人と接触するチャンスがあり真相を伝えられることは、夫がセールスの仕事を続ける原動力となりました。夫は大法弟子の基準で仕事に対処し、責任感が強く、取引先はとても気に入って、リピート客になっただけでなく、また多くの客を紹介してくれましたので、彼の収入は少なくありません。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/21/281167.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/12/15/143624.html)
 
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