無為の心で 資料点に寄付する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年3月16日】「資料点に寄付すること」について皆さんと交流したいと思います。一部の同修は多くの衆生を救うために、お金を出したいという願望がありますが、それは良いことだと思います。しかしよくある現象ですが、なかには無理やり寄付する同修がいます。資料点には本当にお金が必要なのかどうか、私たちはまず確認すべきです。時には、資料点にはそんなに多額のお金が必要ではないのに、寄付したい同修の一方的な思いがあり、資料点の同修は窮地に陥ってしまったケースもあります。また、もしも寄付したい同修たちの善意を断ったら、お互いに気まずくなるのではないかと考え、資料点の同修が非常に困ったケースもあります。

 寄付したい同修たちが無為で、穏やかな気持ちで資料点の同修と相談することができれば、相手はプレッシャーを感じないと思います。つまり、「今、資料点にお金が必要であれば私は寄付しますが、必要でなければ、また次回に寄付したいと思いますがどうですか」と寄付する前に一度、尋ねてみます。これが修煉者としての、あるべき心遣いだと私は思います。

 どうしても寄付したいという気持の中には、きっと何らかの執着心があるのではないでしょうか? 修煉者であれば、そこで内に向かって探がすべきだと思います。師父の説法の中に「資金」に関する内容が多く説かれていますが、この方面に関する事柄に私たちは注意すべきです。修煉の道を正しく歩むことこそ、威徳を樹立することができます。

 個人的な認識ですので、法に基づいていない場合は同修たちの慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/2/6/381074.html)
 
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