文/台湾の大法弟子
【明慧日本2019年1月9日】私は1992年に大学に合格して、その後公務員として働き始め仕事も順調で、人生の前半は順風満帆でした。しかし世の中には思いもよらない異変が待ち構えていました。それは前の夫が私と2人の子供を見捨て、さらに離婚した後も、闇金融を通してお金を取り立ててきました。そのため、私たち親子は常に恐怖にさらされていました。嫌がらせから逃れるために私と子供たちは名前を変え、何度も引っ越して心身ともに限界に達し、家庭は崩壊する寸前でした。
毎晩のように不眠の日々が続き、私の心には抑え切れない怨みでいっぱいになりました。最も信頼していた人に裏切られた私は完全に人間不信に陥り、恐怖におびえながら職場で電話が鳴る度に緊張が走りました。このようにストレス極まりない生活が2年間も続いたあげく、最悪なことに私に子宮頸がんが見つかりました。このような宣告をされた私は最悪な決意まで覚悟しましたが、当時まだ小学校5年生と3年生の子供たちに対し不憫で、もしも責任感がなかったら、たぶん自分の人生を放棄していたと思います。
そんな暗い時期、私はあちこちの本屋を回って、心の苦しみを和らげてくれる書籍を探し回りましたが、いずれの本もスッキリとした回答が得られませんでした。2005年末に手術した私は、2006年4月に親戚や同僚の勧めで法輪大法を学び始めました。最初の体験は不眠症や怖い夢を見る状態が良くなり、さらにドキドキしていた不安を感じることも消えました。大法をより深く学ぶにつれ、私は段々と「情」に対する執着が少なくなり、そして視野や度量も広くなました。『轉法輪』の法理がわかるようになると、私の心の痛みや深い怨みをも溶かしてくれました。
法を得てから私の性格にも変化が現れてきて、以前のように子供たちに暴力を振ることがなくなり、仕事に対する心構えも大きな変化があり、改善されました。例えば、残業手当について勤務先では祭日出勤の場合、お昼時間も含められますが、私はそれを自ら控除してから提出るようになりました。出張手当については片道5キロを超えた場合は1日200元、それ以下は100元という基準でした。同僚たちはほとんど全部200元を申請していました。しかし私は正当ではない利益はもらわず、規定の基準によって100元の場合は決して200元の申請を出さないようになりました。
そして仕事の関係でよく出社することがありますが、以前は遅刻すると出社したとか、タイムカードの押し忘れなどと言い逃れしていましたが、現在は全くそのような不正な事をしません。ある日、用事があって1分遅刻しました。私は半日の休憩を申請し、そのまま仕事をしました。以前は出社した後、職場に戻る途中で私用を済ませたり、あるいはそのまま帰宅したりしていましたが、修煉を始めてからは皆がやっているから自分も従うのではなく、より高い道徳基準で自分を律するようになりました。
私の職場では、上司の圧力に不満がある同僚たちがよく陰で悪口を言いますが、以前なら私も加わってよく批判したりしていました。しかし現在の私は心が穏やかになり度量も大きく広くなり、不平不満を言わず受け入れることが出来るようになり、以前のように人の陰口を言って時間を無駄にすることがなくなりました。
また、修煉によって日常生活の中で執着していた多くのことを少しずつ放下するようになりました。例えば、デパートではPRのために何周年記念などでお客さんに小さな品物を配ることがよくあります。以前はわざわざもらいに行くことがありましたが、今では私だけでなく子供たちもそれらの記念品をもらおうとしなくなりました。私と一緒に大法を学ぶ娘にも大きな変化がありました。普段、私の前でおとなしくてお利口さんだった娘が、まさか学校で同級生と喧嘩するとは思いもしませんでした。しかしある時から子供弟子の体験談を読んで、娘は法を得てから同級生を罵たり殴ったりすることをやめたと言いました。
心性が高まるにつれ、好きでない人や物事に対する考え方も変わり、包容力が大きくなり私はめったに怒らなくなりました。例えば、買い物や飲食店で自分の利益が目の前で人により損なわれても、平気で受け入れ、どんな人にも笑顔で接することが出来るようになりました。
私にはもう一つの執着心、つまり出世したい願望がありましたが、今ではそれら全てがその人の「徳」と交換によるものだと分かってからは、無理して追い求めても自分の運命にないものや、もし出世できたとしてもそれと引き換えに失う大切なものがあると学びました。それは健康だったり、お金だったり、その他の災難と引き換えになると学び、段々とこれらのものを大事に思わなくなり、これらの執着心を放下できました。
昔、私も他の寺院の法門を学んだことがあり、いろんな道理を聞いたことがありますが、なぜかいつも心にしみ入りませんでした。そして、他の寺院で聞く道理に対する理解と自分の行動が別々で一致せず、実際の行為として日常生活に顕れることが全くありませんでした。しかし法輪大法を学んでから1年になる私は、自分の内からの変化をはっきりと感じています。心の状態や考え方、それに行動までもが以前のものとはまるきり違い、完全に浄化されて良くなり向上しました。そして、多くのものに囚われていた執着心を放下することの大切さが分かるようになりました。
以前、私は幸せであった家庭が、あっという間に破壊された過去を思う度に、悲しみの涙が止まりませんでした。しかし、『轉法輪』には次のように、これらのことに関して説かれています。「誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの状況が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、『どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?』と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか? 『あの時のことは知らない。現世は前世と関係ない』とあなたは言うかも知れませんが、そういうわけにはいきまん」
また、「元神は不滅だと考えています。もし元神が不滅なものならば、その人にはその人の前世での社会活動があるかも知れません。そして、その人は前世の社会生活の中で、誰かに借りがあったかも知れません。あるいは誰かをいじめたことがあるかも知れません。あるいはその他の悪いこと、例えば殺生などをしていたかも知れません。とすれば、それらによって、業力を造ってしまうことがあります」と説かれています。私はこれらの道理が書かれた『轉法輪』を読み、学んでから、多くのこれまで苦しんできた理不尽なことも受け入れることが出来るようになりました。今まで自分が遭遇したすべての事がこの法を得るためではないかと思いました。すると考え方も変わっていき、自分のこれまでの困難なことや辛さも、なるほどと合点がいきました。そして、これらの困難を乗り越えることにより、素晴らしい転機が訪れたと思えるようになりました。
『轉法輪』を学んで、「名・利・情」に対する執着心を放下できるようになると、周りの物事の因縁関係に対してより明白に洞察することができ、実際に遭遇した難を解決でき、日常生活の中から「真・善・忍」が反映されていきます。私にとって、「真」とは嘘を言わず、偽りのないことであり、「善」とは相手の立場になって優しい心で人と接することであり、「忍」とは自分の利益が損なわれたり、気に食わないことがあっても忍び、我慢することであると現時点では理解しています。私はこれによって心性を大きく向上させました!
実は、「水を飲むと、その温度はおのずと分かる」と言われているように、法輪大法の素晴らしさは自らの体験を通して学べば学んだだけ、よく分かるようになるずです。法輪大法を学んでいくにつれ、真の幸せを取り戻した私は、より多くの方々が私のように法輪功を煉り、素晴らしい大法、『轉法輪』に出会い、学んでいくことによって、健康と希望のある人生を手に入れられることを強く望んでいます!!