大法を学んで救われ、全身の病気が消えた
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 洪縁

 【明慧日本2018年12月16日】幼い頃の私は、楽観的で活発で希望と夢を持っていました。しかし、運が悪く、15歳の時に中途退学せざるを得ず、それから建築業界に入りました。

 生まれつき体が強かったので人に悪口を言わせず、さらに若くて血気盛んなために、仕事の勢いを上げたら弱みを人に見せず、最後には力を出しすぎて腕が疲れ、痛みで麻痺するようになりました。さらに状態が悪くなって病院で検査すると「過度の疲労がもたらした内臓の病気」ということでした。

 自分はまだ若くて、痛みなど気にしないと思っていましたが、腕が痛くて地面に落ちている紙さえ拾えなかったこの時期は、本当に絶望的な心の痛みを感じていました。この時期は毎食の食事することさえも辛く、涙を流しながら食べており、箸さえ持てませんでした。

 私は末っ子なので両親にかわいがられ、私の体の痛みは、さらに両親の心の痛みになりました。薬のおかげで昼間はまだよかったのですが、夜になると本当に耐えられず、毎晩2~3時間しか眠れませんでした。眠れない私はあれこれとつまらないことを考え、痛みは耐えがたいものでした。どこの大病院でも治せず、60キロ圏内の名医に診てもらいましたが、誰も治せませんでした。

 災いは重なるもので、その後、体の太ももから腰まで脂肪瘤ができてだんだん大きくなり、最も大きなものはガチョウの卵くらいの大きさになり、手術ができませんでした。なぜなら正常体であっても手術で取り除けるのは3、4個だけです。それが最後には全身に広がり全身が痛くて耐えられず、生きていくことにさえ疲れ、完全に自信を失いました。若い私は1日中、来る日も来る日も頭の中で「自分はいつこの世界から脱出することが出来るようになるのだろうか?」と考えていました。

 1998年の春、私は偶然にも大法修煉の不思議な体験を耳にしました。私は好奇心もあって興味を持ち『長春輔導員法会での説法』という本を借りて読みました。もともと本を読むのが好きだった私は、何の考えも抱かずに読むと、読めば読むほど読みたくなり、知らないうちに全身がそんなにつらくなくなり、生活できるようになりました。

 1カ月後のある日、突然「自分はしばらくの間、薬を飲んでいないが体中の痛みがなくなった!」ということに気がつきました。この時から生命の転機を迎え、生命の希望が見え、家族全員が「大法はすごい!」と感嘆しました。

 それから私は医薬から遠ざかり、体は完全に正常になり、仕事をしても疲れず、くたびれることはありませんでした。記憶に最も深く残っているのは家の果樹園の60本以上の木は、最も太いものは一抱えもある太さで、最も小さいのは2本の手指で掴める太さですが、1週間もかからずにすべて切り倒し、それからのこぎりで30cm前後の薪にしてしまいました。作業している途中で、母親が私に「病気が治ったのに、命を捨ててはいけないよ」と言われました。その時、大法が与えてくださった知恵と力を私は心から感じ、全身を使っても使い切れない力を感じ、大法が生命の希望を改めて呼び起こしてくださいました。この事実を前にして、身内の誰もがみな大法の威力に感服しました。それ以来、私は大法から離れることが出来なくなりました。

 1999年、中国共産党が大法を迫害した後、それを恐れた家族が家の中に大法の書籍を置かせてくれなかったので、私はずっと大法書籍を背中に隠していました。ですから、夏にはTシャツを着れませんでしたが、どうであろうとどんなに圧力が大きかろうと、私は大法の修煉を放棄することはありませんでした!

 ある時、工事現場で支柱の管を解体していた時、急いでいたので不注意でつまずいて、ころんでしまいました。すると太さ6センチほどの支柱の棒が胸に突き刺さって息ができず、全身汗まみれになりました。長い時間経ってからやっと楽になり胸を触ってみると、ちょうど『轉法輪』が胸のところにあり、大法の師父が私の命を救ってくださったのだとその瞬間感じました。そうでなければ結果がどうなっていたかは、想像さえできませんでした。

 こんなにも長年工事現場で仕事をし、何回も命の危険にさらされても、すべて大法の師父の保護の下で無事に多くの難を免れ、平穏無事にやってこれました。毎回のこれらの難関を無事に通過することができ、師父の弟子に対する慈悲と加持の下で、師父は何回も弟子のために業力を変わりに請け負ってくださいました。そのため、大法修煉に対する私の信念はさらに確固なものとなり、大法の救い済度がなければ今の私はとっくに存在していませんでした。

 生命は大法が与えてくださったものであり、大法が与えくださったすべてを私は社会と人々に還元したいと思います。

 そこで私は大法を実証する様々なプロジェクトの中で、周辺のいくつかの街に新唐人テレビを設置し、メンテナンスすることに私は責任と義務を負いました。設備や消耗品を購入し、設置はすべて1人で行い、ただ実費だけを受け取るようにしました。どんなに遠くても、どんなに風雨の中であっても、また、どんなに厳寒酷暑であっても、呼ばれればどこへでも出かけて行き、さぼったことなど一度もありません。暑いさなか屋上や屋根の上で数時間太陽光を浴びても、寒中に数時間凍えながら設置しても、それはいつものことでした。手足がいくら凍えたりしても、設置する目的地がどんなに不便な場所であったとしても、恨んだり後悔したりは一切しませんでした。人々が法輪功真相がわかるのであれば、それが大法弟子の願いであり、師父が望まれていることなので、力を尽くして設置しました。今まで、奇跡が数えきれないほど起きましたが、ここでは一つ一つ列挙はしません。

 私の願いは、大法の福音を世界中の多くの家族に伝え、さらに多くの人々が大法の真相を理解して救われることです!! それと同時に、私が経験してきたすべての苦難は、私が修煉を始めるための下地でした。永遠に出会うことがなかったかもしれないこの修煉の機縁を、私はさらに大切にしていきたいと思います!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/28/377721.html)
 
関連文章