文/黒龍江省の大法弟子
【明慧日本2018年9月20日】私は1999年の年始に法を得ました。修煉する前、私は障害者であり、先天性難聴で、右耳だけは少し音が聞こえました。10歳から発音ができるようになりましたが、発音といっても他人が理解できない少しの単語を言えるだけでした。だから「半語の子」と言われてきました。
結婚後、夫は私が寂しいだろうと考えて社交ダンスを勧めてくれ、ダンスホールに連れて行きました。私は顔立ちがきれいで若かったので、ダンスホールにいたチンピラ達に強引にダンスに誘われました。パートナーがいると言ったら、ナイフを持ち出してダンスを無理強いされました。あれから私は怖くて、二度とダンスホールに行きませんでした。
1999年の年始、近所の人の紹介で、私は法輪功の修煉を始めました。この功法は思わず神の功法のように感じ、数日学んだだけで体がとても軽く感じました。聴力も言語力も改善され、夫はとても喜んでくれ、修煉を応援してくれました。
旧勢力の迫害を認めず
修煉して6力月過ぎた頃、江沢民は法輪功への迫害を発動しました。私は捕らわれの身となり、1年6力月間不当に拘禁されました。最初の頃、私は変化し以前とはだいぶ違いましたが、その後、師父を思い出し、大法を思い出し、短い間に大法より受益したことを考えました。私は師父を裏切ることができず、大法を裏切ることをしてはいけない、と思いました。考えれば考えるほど、心がつらく感じました。翌日、私は厳正声明を書き上げました。そして刑務官に渡した時に、師父に開眼していただきました。そして、自分が大きな穴に落ちているところを見ました。穴の横に1人の老人が座り大蓮花手印をしながら、2人の人に指示して私を引っ張り出しました。また、上空には色鮮やかな花が咲き乱れ、とても美しい色彩で、人間世界には無いものばかりでした。師父に救っていただき、その上、このような素晴らしい光景を見せていただき、これらの出来事は私の大法修煉を励まされているのだ、と悟りました。
1年6力月が過ぎて私は家に戻り、兄と義姉に迫害を避けるためにキリスト教を勧められましたが、全く修煉していなかった夫は何も文句を言いませんでした。却って夫は、私に法輪大法を続けて修煉するよう応援してくれ、とても感動しました。必ず続けようと決心しました。私が家に居なかった時、派出所の警官に家宅捜査をされましたが、夫は私の電子書籍を隠してくれていました。
たび重なる困難を乗り越え 修煉を堅持する
労働教養所から帰って来て、私はしっかり精進しようと決心しました。大法弟子は三つのことをしっかりやるようにと、師父に言われています。まず法をしっかり学ぼうと思い学法班に行きましたが、どこでも受け入れてくれませんでした。そのわけは法を読めないのに、どうやって学法班で学法しますか、ということでした。健常者にとっては法を読むことは容易なことですが、私にはなかなか難しい乗り越えられない難関でした。
私はどうすれば皆と同じように法を読み、賢くなれるのでしょうか? 常人から見れば不可能なことですが、私には師父がいらっしゃるし、大法があるのでこの状態を絶対に変えられると思いました。そこで、師父の写真の前で土下座し泣きながら、「師父、私をどうか助けてください! 私は必ず学法が出来るように努力します。必ず『轉法輪』を読めるように頑張ります」と言いました。師父に知恵を開いていただきました。それから、私はだんだん賢くなって知恵がつき、発音もだんだん上手に出来るようになり、同修達も認めてくれました。夫と近所の人達は私の変化を見て、皆は大法の奇跡を賞賛しました。
私は今年61歳ですが、修煉していく内にだんだん若返ってきました。風を切って歩くようになり、毎日市場やバスターミナル、商業施設、休息場所の広場に行き、真相を伝え人を救いました。正常な人ともう何の変わりもありませんでした。そして嬉しいことに、今年障害者書証の更新の際に、担当者に「もう、更新しません、しなくていいです」、「私は法輪功を修煉して、難聴が治り賢くなりました」と伝えました。役所の人達は私の変化を見て驚きました。大法を修煉して起きた奇跡を目のあたりにし、そして障害者から健常者になった私を見て、誰もが自分の目でこれらの事実をはっきりと確認しました。
家の中で1人が法輪功をすれば 家族全員が受益する
夫と息子に私の修煉を応援してもらい、「法輪大法は素晴らしい!」、「真・善・忍は素晴らしい!」と私は確信しています。息子は二回もバイクで転んでしまいましたが、師父に守っていただき、大したことはなく、軽傷ですみました。そして「法輪大法は素晴らしい!」と念じたら、すぐに傷も治りました。現在、あれから息子は何事もなく順調で、結婚して新しいマンションに新居を構えました。
あれから夫はリストラされ、ある工場でアルバイトをしていましたが、毎日仕事がつらくて、1日に30~40元しか稼げませんでした。その後、港田で車を買い輸送業を始めると、毎日の仕事も順調になり、1日100元以上稼げるようになりました。今、家族はみんな喜び、満足しています。家族全員が佛光を浴びて、体も健康で、なによりも幸せです。
師父の慈悲なる済度に感謝いたします!
同修達の協力にも感謝します。