文/中国の大法弟子
【明慧日本218年7月27日】私は夫と商売を営んでいます。大法を修煉する前の私は女性の優しさが全くなく、天地をも恐れず、気性が激しくて顧客ともよく喧嘩し、家では夫を罵り、喧嘩を売るのも日常茶飯事でした。さらに、私は舅や姑、夫の弟ともよく喧嘩し、彼ら(特に舅)が夫の弟ばかりを可愛がっていると思い込み、夫も弱々しすぎて、彼ら一家は私に申し訳がない、弁解の余地がない と感じていました。
1997年、夫は友達の紹介で『轉法輪』を学び始めました。当初、反対していた私は、後に時間があれば自分も『轉法輪』の本を読んでみようと考えました。なぜなら、夫はその本にあまりにも「嵌(はま)って」いたからです。思えば、それが1998年の冬のことでした。『轉法輪』を手にして読み終えた後、私は中の法理に震撼し、内容があまりにも素晴らしいと感じ、人間として努める多くの道理が分かりました。
1999年に江沢民と中国共産党は大法を迫害し始めました。最初のころ、他人が何を言おうとも、私は自分が間違いなく大法から受益したと考えていました。しかし、『轉法輪』の本を読めず煉功もできない日々が重なるうち、私は大法による指導と制約から離れていき、徐々に大法に対する正しい信念も失い(心底ではまだ大法の良さを知っている)、元の木阿弥になって夫や舅、姑、夫の弟と喧嘩し、完全に常人に混同してしまい、糸の切れた凧のように方向を見失ってしまいました。夫も修煉しているか否かのどっちつかずの状態でした。
2005年のある日の夕食後、年長の同修が訪ねて来て、私は数年来、自分を困惑させていた三つの質問を聞き、彼の二言三言で心の疑問が解けました。私は「明日から正式に法輪功を修煉し始めて、最後まで貫く!」と言いました。本当に慈悲なる師父に感謝しています。この意気地がない弟子は家に帰る道を見つけました。
ある日、夫と仕入をしに車で市内に向かう途中で渋滞に遇い、迂回することにしました。ある村の入口にさしかかったとき、その村のある中年男子が道を塞いで誰をも通そうとせず、金をせびり取る構えで、あるスイカ売りの若者(夫婦同伴)と言い争っていました。若者はフルーツナイフを取り出して相手を刺そうとしました。そこで、中年男子は電話で何人かの若者を呼び出してきました。そのうちの1人(彼の首には刺青がある)は乗ってきたマイクロバスから50~60センチほどの大きな鉈(なた)を取り出して、スイカ売りの若者と一勝負しようとしました。
その時、師父が説かれている法が私の脳裏に現れてきました。「常人が常人のことに口を出すのはかまいません。彼は常人の理で量っているのです。あなたは超常的な理で量らなければなりません。殺人や放火事件を見て見ぬふりするのは、心性の問題です。そういうことをしながらどうして自分が良い人だと主張することができるでしょうか? 殺人や放火事件にさえ手をこまねいているとすれば、どんなことならあなたが手をこまねかないのでしょうか? ただしかし、これらのことはわれわれ修煉者とあまりかかわりがありません。そういうことを段取りしてあなたに出会わせることはまずありません」[1]
「これに遭遇したのは偶然ではないので、見て見ぬふりをしてはいけない」と思った私は、正念を発しながら、鉈を持つ若者に近づいてこう言いました。「兄弟よ。姉はあなたを知らないし、彼(スイカ売り)も知りません。私達がここで偶然にめぐり会えたのは何かの縁です。くれぐれもバカなことをしないで下さい! あなた達2人の間には怨みがなく、敵でもないはずです。あなたは本当に彼を殺したら投獄されて、命をもって償わなければならないのではありませんか? これっぽっちの小さな揉め事のために人生を棒に振っていいのですか? 姉は心からあなたのために言っているので、早くその鉈を私に寄こしなさい」
一瞬、若者は電気に触れたようにポカンとしていて、しばらくしてから鉈をマイクロバスに戻し、笑顔を見せてくれました。その間、夫もずっと発正念をしていました。その時、スイカを売る若者も我に返って、スイカを切って皆に食べさせたいと言い出しました。刺青を入れた若者はスイカを取って、真っ先に私に渡してきました。「あなたが食べなさい」と私に言われて、若者はとてもうれしそうに食べ始めました。その場にいた人々は先ほどのことを全部忘れて、うれしそうにスイカを食べていました。目の前で起きそうな人命にかかわる事件が、大法の慈悲の中で解けました。修煉していなければ、1人の女性として私はどうしてそのような勇気があったでしょうか。傍観者たちも自分の身に血が撥(は)ねてくるのを恐れて、遠く離れて眺めていました。
大法は人心を善に導き、家庭を睦まじくさせ、事が起きれば他人のことを先に考え、トラブルを前にして内に向けて探すことを教えています。修煉は本当に素晴らしいことです! 古から邪悪が正に勝つことがなく、善悪には必ず報いがあるという道理があります。世人が法輪大法の素晴らしさを知り、真相を理解し、素晴らしい未来を手に入れることができるよう心から願っています!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』