アニメ番組の制作を通して 法を実証する
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 文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2018年7月8日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は台湾の大法弟子で、2001年に修煉を始めました。修煉体験について同修の皆さんと分かち合えることを光栄に思います。

 一、恥ずかしく思う中で 衆生のための存在を悟る

 新唐人の子供番組の制作者を担当して17年になり、6年前から6種類の番組を制作し、物語の番組、ゲーム的な番組、室内とアウトドアの番組などでした。

 同時期に初まった他の番組の内容がすでに100編以上になっているのを知りました。そして「同じ番組でどうやってこんなに多くの内容を作れるのか、私の場合、どの番組でも二十数編になると焦ってしまい、新しい番組に変えたくなってしまうというのに」と私は驚きました。そして「自分はどうして他の人と違うのか?」と胸に手を当てて自問してみました。実際「新しい番組がどのように作られたとしても、続く内容が紋切り型方式の仕事になってしまうので、私自身が興味をひかなくなり、原動力というものがなかった」ということを私は知っていました。

 また、自分の子供は7歳の時からこの6年来、私が作った児童番組を見ようとしませんでしたが、それでも私は気にせず、それどころか喜んで作っており、平均して1年に一つ、新しい番組に変え、山や川に行って底抜けに騒ぎました。しかし、内に向けて探した後「もともと私は好奇心が強いほうで、新鮮味を好む人間だ」ということに気づきました。そして、子供番組を作るのは視聴者のためではなく、自分の執着のためであり、大法の資源を浪費することに責任を負わずに、十数人のメンバーを率いて個人の欲望を満足させていました。そして、私はひどく恥ずかしく感じる中で自分の私心に気づき、そのことによって、他人を尊重し大切にすることを理解しました。

 もしかしたら、悔やむことでのみ以前のどこに誤りがあり、今後どこに向かうべきなのかがわかるのかもしれません。そこで、七つ目の番組は子供が最も好きなタイプを選んで製作しようと決心しました。小学校の7歳から12歳までの子供に対して市場調査を行い、調査した結果はアニメでしたが、これは私の頭を悩ませました。なぜなら、今のスタッフも私も動画のことがわからず、もしアニメを作るのであれば今のグループを解散しなければなりません。長年の資源と経験を放棄し、ゼロから見知らぬ業種を学び始め、人を集めて新しいグループを組織しなければならず、実際、これは容易なことではありませんでした。しかし、心を静めて考え、もしアニメが子供たちに最も受け入れられる真相を伝える方式であるならば、本当に失敗したのならともかく、始める前から放棄するべきではありません。そこで、毅然(きぜん・自分の信念を貫くしっかりした態度で臨む様子)としてグループを解散し、独自に授業を受けに行きアニメを学習しました。

 二、奇跡の中で誕生したアニメ

 セミナーの動画講師の話を理解し覚えたかったので、授業を撮影し、毎回の3時間の授業を、家に帰ってから4時間かけて映像を見て復習し、メモしました。いつも自分と常人との専門性に大きな差があることに気づかされ、どのようにして先頭に追いつけばいいのかわからず、辛くてしょっちゅう授業中にこっそり涙を拭きました。そして、毎回の授業でいつも打ち負かされましたが、幸いにも「法」があったので、少しずつ自分を強壮で堅固にし、毎回打ち負かされた後でも、立ち上がることができました。

 私はとても素人で、しかも50歳にして初めて、世界で最も有名なアニメ制作会社「ピクサー」の名前を聞きました。専業性の空白を補うために、徹夜して大量のアニメを見て、各国の歴史と産業の趨勢(すうせい・なりゆき)を読み、セミナーに参加し、常人のアニメ制作会社の友人を作り、この業界の生態や環境を理解しました。

 しかし、アニメのことについて理解すればするほどアニメは遠く離れていき、なぜなら、その膨大な工程がだんだんとわかってきたからです。170万ドル(5千万ニュー台湾ドル)があって初めてアニメを作る願望が実現できるのです。さらに、30人以上の異なる領域の専門の人を組織しても、制作はさらに3年から4年かかるのです。このような仕事は常人の会社にとっても困難なことで、ましてやたった3カ月学んだだけの素人の人間にとっては言うまでもないことでした。私は懸命にもがき、理解したからあきらめるのか、それとも、理解したから続けるのか、全くわかりませんでした。

 もし本当に理解することができれば、どのように解決方法を見つけ出すことが出来るのかがわかるはずだ、と思いました。そして、20年の経験を持つセミナーのアニメ講師と会い、協力してサンプルを作り、台湾政府に経費の補助を申請できれば、と思いつきました。しかし、私には講師に払う報酬がなく、道理にかけていると感じたので、ずっとこのことを講師に提起する「勇気」がありませんでした。

 ある時、学法の中で悟り、いつも私の行動の「勇気」を遮るのも「私」の一種であり、なぜなら「私」がなければ「勇気」というものも存在せず、「人」の要素がなければ「人」の物質もないわけで、「自我」を考慮しなければ邪魔されず、なんと、本当に自分を押しとどめていたのは自分自身だったのです。

 そこで、客観的な「第三者」の立場からアニメを作りたいという初志を説明し、それは単なる興味からではなく、金もうけのためでもなく、利欲に目がくらんだこの社会で、子供たちが最も喜ぶアニメを使って、「道義(人のふみ行うべき道徳上の筋道)が財産や学識よりも重い」という価値観を伝えたかったのです。そして、もし経費を申請できれば講師に報酬を払い、引き続きアニメを作ってもらうが、もし失敗すれば講師は無駄に仕事したことになる、と説明しました。そして、その話を聞いた後、常人の講師は笑い出しました。そして、請け負ってくれましたが、講師はまず、私に二つの条件を満たすように要求しました。一つは3万3000ドル(100万ニュー台湾ドル)を準備し、アニメ制作会社にサンプル作成を代行してもらうこと、二つ目はキャリアの長いアニメ監督が必要なことでした。

 喜ぶべきなのか、憂うべきなか本当にわからず、やっとのことで講師の無償のサポートを得ましたが、二つの難題が待ち受けていました。なぜなら、同修が監督をやったなどということは聞いたことがなく、また、長年メディアで無償でフルタイムで働いていたために、私の貯蓄はすでに使い切っていたからです。新唐人の主幹は私が長年の経験を捨てて、わけのわからない高難度の番組を作ることを望んでいませんでしたが、私の決意が固いのを見て、テレビ局に入ったばかりの同修を紹介してくれました。また、それが実に都合よくいきました。というのも、その同修はアニメ監督で、また、長年の知り合いの同修が5分で3万3000ドル(100万ニュー台湾ドル)の援助を請け負ってくれました。

 ついに新しいグループを組織して仕事を始め、大いに努力して台湾政府に補助金を申請しましたが、結果は不幸にも申請は失敗に終わりました。ちょうどみんなが落ち込んでいた時、奇跡のように外国のあるアニメ制作会社が向こうの方から連絡してきて、アニメ制作を代行してくれることになりました。グループが再度政府に経費を申請しましたが、ひどく挫折したことには、私たちはまたも失敗したのです。そして、みんなが落胆し絶望していた時、外国の代行会社がその国の政府の経費の全額補助を獲得し、それは、外国の政府が私たちのアニメ作成に出資することを表しており、私たちは相手に何の費用も払う必要がないばかりでなく、主導権と完成品の版権も大法弟子にあるというものでした。そして、グループはこれが師父がくださった奇跡だと考え、人もお金もない苦境を師父が解決してくださり、はるかに超えた弟子の渇望をかなえてくださったのです。

 新しい組織のグループはみな新しく知り合った同修で、中心のメンバーは5人です。異なった専門領域を担当し、皆は遠い地区に分散していたのでめったに会うことはなく、さらには、あるメンバーはいまだに会ったことさえありませんでした。そして、メンバーは自分の常人としての仕事を持っており、皆このアニメの仕事を兼任していましたが、私はフルタイムで家で行い、毎週決まった時間のインターネットのグループ学法と交流で仕事を分配し、アニメを安定して進ませました。しかし、その間、常人の契約と同修の協力の間にトラブルが生じたり、失望したり、苦悶したり、意気消沈したり、悩んだりしないようにすることは難しく、なんでもありましたが、逆にそのような時こそ、私にとって最も充実した日々でした。なぜなら、散々な目に合えば遭うほど、私は高く向上できたからです。

 しかし、国にまたがっての契約はとても順調とはいかず、資金不足のために順調に完成させることはできないので合計2年延期する、と代行会社が言ってきました。それで、外国の政府が調整役を買って出てくれて、解決しました。そして、すでに完成し結末をつけていることを代行会社が承認しているという証明した文章の提出を私たちに提案してきました。そうすれば、政府は代行会社に経費を払うことができ、代行会社に仕事を全うさせることが出来るというものでした。

 しかし実際は、相手は全くやり終えておらず、もし私が「すでに完成した」という文章を書けば、それは偽の証明書となり、そうすればこのアニメを作ることが出来ますが、そうすると、私はウソをついて得ることになり、「真」ではなく得ることになり、私は大法弟子の基準に符合しなくなります。しかし、この最後の希望をもし取り逃がしたならば、このアニメにかけた努力が無駄になり、6年間の努力が全て水の泡になるかもしれません。どうやらアニメと修煉の二者択一を迫られているかのようで、アニメを選べば修煉者の基準を放棄することになり、修煉者の基準を選べばアニメを放棄しなければなりませんでした。

 弟子は最も純粋でなければならないことを考慮し、何かを行ってもその中に大法の要素がなければ、エネルギーがないために救い済度する役割を果たすことは出来ず、完成しても何もしていないことと同じになってしまいます。また、もし私がこのアニメをあきらめたなら、誰が損失を被るのでしょうか? 外国政府からすれば、外国政府の資金はすでにその国の国民から得たものです。また、メンバーからすれば、私はメンバーたちの努力に対して補償する責任を負っていました。そして最後に、グループの交流で共通認識を得て、私たちはアニメを失っても偽の証明書は提供しないことになりました。

 外国政府に選択を表明しても、実際、重荷を下ろしたようにホッとした感覚はなく、かえって、考えれば考えるほどわからなくなりました。そして「アニメを作ることは自分のためだったのだろうか?」と内に向けて探しました。本当に人を救いたいと思っていたのでしょうか? そして、自分の動機が「私」のためではないことを確認しました。さらに「仕事の過程は法に符合していたか?」と内に向けて探しました。私はかつて間違ったことをしましたが、間違いは正されているし、自分の修煉をおろそかにもしていませんでした。それならば法に符合しているのに、どうしてこのアニメを手に入れることが出来なかったのでしょうか? 法は圓融しているのですから、魚とクマの手はともに得られるはずであり、弟子は二者択一を必要としないはずです。

 そこで、私は心の中で自分のこれまでの考え方を否認し、何もなくなったと考えるのはやめ、あるべきものはあるのだ、と考えることにしました。初心を実現して人を救うことが出来るようにするには、衆生に歓迎されなければならないだけでなく、国際的なコンテストに参加して受賞し、法を実証しなければなりませんでした。数日後、代行会社の社長が突然電話してきて、社長は夢を見たそうで、夢の中で神はこのアニメを完成させるよう社長に命じたそうです。そして、相手の態度が変わり、急に張り切り始め、アニメを完成させました。

 今までこのアニメは全世界で56の国際的な賞に輝き、香港を含む五大陸の40の国の映画祭で入賞しました。そして、多くの国の審査員が映画に対して感想を発表しました。しかし驚いたことに、審査員たちはこれが子供番組だと思っておらず、国家や民族に影響を与え、さらには、世界の映画を変えたのでした。このアニメは大法のご加持を通じて、救い済度する法器に変わったことを私は知り、法の力は、真・善・忍が生命に最も必要なものであることを衆生に悟らせたのです。

 その中には、世界で最も暴力的な都市を持つベネズエラの審査員が、ベネズエラの国はいつも爆発しそうな圧力鍋のようで、内戦が勃発することを希望していない、と言いました。その審査員は、このアニメは審査員たちの同胞を静め、互いに平和的に話し合いをすることを本当に助けることができる、と感じたそうです。また、ウクライナの観衆はこの映画を見た後、ウクライナはこのようなアニメを必要としており、なぜなら、ウクライナの国は戦争をしており、何も知らない子供が互いに惨殺しあっているようなものだからだ、と言いました。

 インドのある審査員は「世界には多くの衝突があり、多くの民族が差別されており、多くの怒りと闘争があり、このアニメは世界をいやすことができます」。また、イギリスの審査員は「このアニメは、世界的に大きなアニメ制作会社であるピクサーやディズニー、ドリームワークスの作品と同じように優秀です」。また、アメリカのある映画祭の創始者は、私たちが参加したその年のコンテストで、このアニメを受賞させなかったことが気にかかり、翌年、私たちを特別にハリウッドに招待し、映画祭が授与する最高栄誉賞を受け、映画祭の創始者は「この賞は世界を変えられる人にしか授与できません」と言いました。

 実際、コンテストに参加しなかった映画祭も自ら賞を与え、参加しなかったプロジェクトも自ら賞を与えました。衆生のはっきりしている一面がまさにこのメディアを通じて、大法に栄を感じているかのようで、このアニメが全世界においてその使命を果たしていることに喜びました。

 三、自ら進んで実現を第一とする

 師父は「師父が先頭に立って神韻を手がけたのは、実は皆さんに手本を示しています。私は神韻を世界一のショーにまで成長させ、少なくとも文芸や芸術の分野で神韻は主役になりました」[1]と説かれました。

 私は「『主役』がもっとも大きな説得力と影響力を持って代表しており、最も広い範囲で効果的に衆生を救い済度することができる」ということを理解しました。たとえば、それぞれの真相を伝えるプロジェクトでその領域の主役になれる、というようなことです。皆さん、どうでしょうか、それはどんな光景でしょうか? それは皆さんの願いを実現できるのではないでしょうか。

 たとえばメディアに携わる同修では、すべての番組で世界第一を目標とするのです。同じタイプの最優秀の常人の番組を見つけて研究し、不足を改善し先頭に追い付くのです。そして、目標を実現すると同時に各々が積極的に自己を充実させ、技術スタッフであろうが管理スタッフであろうが、自分がよく知っている快適な業界を離れ、修煉して自己を突破し、新しい知識を吸収して時勢と共に進み、神韻のダンサーのように自ら厳しく自分に要求し、自分を一流の人材にするのです。このように具体的な目標に向かって努力し、人類の大淘汰の前に、なんとか最大の影響力を持ってもっとも多くの人を救うのです。

 もしかしたら、このように思わない同修もいるかもしれず、「主役」になるというこの目標ははるかに及ばず、自分に対して自信がない、と思っているかもしれません。私たちは孤独ではなく、一人きりの強さではなく、それと相反して、私たちは宇宙最大の後ろ盾という幸運を持っています。その上、師父と佛道神がみな私たちを気にかけてくださっています。もちろんそれは前提として、私たちはしっかり修めなければならず、そうでなければ、私たちは本当に何もできません。もし法から離れたなら、本当に何もできないでしょう。

 師父は「これを自分で取り仕切れますか? とても無理なことです。それらすべてを師が段取りをして、やってくれるので、『修は己にありて、功は師にあり』と言われるのです。 あなた自身はそういう願望を抱いだいて、そう思うだけで、実際のことは師がやってくれるのです」[2]と説かれました。

 そうです。私たちは少なくともこのような願いを抱き、あえてやろうと考え、自ら進んで責任を負えば、師父は弟子の期待を実現させてくださるのです。「先に信じてはじめて、見ることができる」[3]と説かれているように、先に大法を信じてから行えば、師父が衆生に何を与えていらっしゃるのかを見ることができ、そして、師父が与えられたものは、永遠に私たちが必要とするものを超えているのです。

 以上が私の修煉体験です。もし不足の所があれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『カナダ法会での説法』

 (2018年ワシントンD.C.法会での交流文)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/6/27/370285.html)
 
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