大法は私に真の幸せをもたらした
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文/南米の大法弟子

 【明慧日本2018年8月25日】私は南米の新しい学習者で、2013年から法輪大法を修煉し始めました。このような素晴らしい功法を学ぶことを嬉しく思っています。

 真・善・忍に同化する過程で、私は自分の内面に大きな変化が感じられ、ここですべての方に、法輪大法が私に素晴らしい資質を与えてくださったことをお伝えたいのです。

 怨みを取り除き、無私を覚える

 子供の頃、みんなにやさしくて良い子だと言われていた私は、いつも一つの信念がありました。それは毎晩のように神様の役に立つ使者になりたいという願いでした。しかし成長するにつれて、だんだん忘れてしまい、受けた教育に洗脳されたように、科学や政治的な思想に変わりました。生活の中で私は現実を重んじるようになり、目の前の享楽ばかりに夢中になって、他のことについてはあまり考えようともしませんでした。

 多くの人は私を楽しくて幸せな人だと思っていたようでしたが、実際のところ私の生活は空虚なものでした。こんなむなしさを忘れるために、私は多忙な日々を過ごすようにしましたが、知らないうちに自分を害しただけではなく、周りの人をも傷つけることになってしまい、悔しい気持ちでいっぱいです。私は他人が思うように快活ではなく、生活も苦しかったのです。名誉を重んじるだけではなく、私は人々に認めてもらいたかったのです。その過程の中でもずっと何が本当の楽しさかを探していました。

 私は自分の両親を怨むこともたくさんありました。親のいろいろな欠点が見えただけではなく、5歳の時に両親が離婚したため、自分が遭った不幸を常に親のせいにし、多くの誤解が生じ、感情を抑えることができませんでした。当時の私はできるだけ遠く離れ、両親の事を見ようとも聞こうともしたくありませんでした。このことについて私は一度も他の角度から考えたことがありませんでしたが、法輪大法を学んでから、これにも因縁関係があり、私の人生にこのような事が生じたことにも、何らかの原因があるだろうと思いつきました。前世にたくさん悪い事をしたため、今の償いがあるのかもしれません。楽観的な観点からみれば、これは私に試練を与え、独立的な性格を鍛えさせ、将来遭遇する数々の困難に直面できる能力を与えてくださることだと思いました。このように考えた私は家族への怨みが消え、自ら心を開き両親と連絡を取るようになり、親子の間の誤解もだんだん解けて穏やかになり、私も両親を理解するようになり、家族のことを大切にするようになりました。

 法輪大法がなければ、家族と話す機会もあまりないと思います。法を学ぶことにより、私は家族との縁を重んじるようになり、両親が与えてくれた愛と支えが見えてきて、人生にいろいろ苦労した両親の気持ちも理解できるようになりました。また兄弟姉妹にも気にかけるようになって、家族の関係が改善されました。このように過去の怨みを捨てるだけではなく、できる限り家族を援助する私の変化を目にした家族も、それは私が法輪大法を修煉したおかげだと知り、大法の素晴らしさに感心しました。

 内に向かって探すことを覚える

 卒業して教師になったのは22歳の時でした。当時の私は物質的なものや個人の利益ばかりを追い求めていました。自分が賢くて弁も立つと思っていましたが、それは真の自分ではありません。利己的になった私は闘争心も強くなり、頭の中にはお金といかにコネを利用するかばかり考えていました。

 大学院生の時、ある素晴らしい同僚に出会いました。彼女は気前がよく、常に陽気に笑い、しかも優秀でした。彼女はかなり前から法輪大法を修煉していました。ある日彼女に「真善忍美術展」に誘われ、大法を知りました。それ以降この功法について更に調べてみようと決めました。

 私は日曜日の煉功に参加し、真・善・忍を導く『轉法輪』を読み始めました。最初は、本に書かれた多くの内容があまり理解できませんでしたが、自分が理解できる部分は、まるで子供のような純粋さが感じ取れました。私は大法の中からある特別なものを見つけたようで、私の一生を導くものだと思いました。

 修煉しているうちに、私はたくさんの自分の欠点を見つけました。自分の思い通りに物事を進ませたいという執着心、人を見下す心、闘争心、自分を実証したい心、それに人から言われたくない心…まさか、私は宇宙の真理から自分がこれほどかけ離れていることに全く気付いていませんでした! 自分のよくないところがこんなにもあると分かった私はショックを受けましたが、今はもうそれらを直す「法宝」を持っています。それは「内に向かって自分を探す」ことです。これらの幾重ものよくないものは、私が生まれてから形成した観念や執着心であり、真の自分と隔てられたのです。法輪大法は私に新しい角度から人生を見ることを教えてくれ、私は心が軽くなり、より楽観的になりました。

 大法の素晴らしさを人々に見せる

 時間が経つにつれ、私は内面から大きく変わり、それが自分の生活にも現れてきて、心から人に対して思いやるようになり、また自分の心も本当に楽しくなりました。

 大法を修煉してから、私はお金や良い仕事に就きたいなど考えなくなりましたが、逆により良い仕事や私が必要なものすべてを手に入れることができました。同僚からは私のそばにいると、穏やかな雰囲気が感じられ、私がよく違う角度から物事を考え、常に微笑んで楽観的だと言われました。

 困難が生じたとき、私は人のせいにするとか、逃げて近道を探さず、先ずはいかに自分を高めるかを考えるようになりました。なぜならば、法の中には私を支える力があり、私の心もそれによってより強くなったからです。私は探し続けているものが見つかり、それ以外にはもう求めるものがありません。

 私が教えた生徒たちは、私が自分たちのことや、自分たちが直面する人生の挑み、それにこれから遭う問題などに関心を払っていることが分かって、私も彼らに信頼され、好かれています。

 私は常に生徒たちに人生の中で最も重要なことは良い人になることであり、それは必ず良い結果につながると教えました。生活の中で困難が生じた場合には、それを克服する挑戦だと思って、どこにいるにしても、周りにどんなことが起きたとしても、良い人になり、できるだけ純粋な心を保つことができれば、命の最後まで素晴らしいに違いありません。

 これから1年半前、私にある教育プロジェクトが与えられました。それは落ちこぼれ児童を教育することで、その時私はすでに法輪大法を修煉していました。とても大変な仕事ですが、専門的な経験を得ることになりました。仕事の中で私は大法の要求に従い、文句を言わず、遅刻せず、自分の時間を費やして与えられた仕事を完成させ、辛い時でも全力で頑張りました。プロジェクトのコーディネーターは認定された教育訓練者でもあり、大学の講師でもあって、いろいろ準備して私を応援したり、自分の認識などを私と共有したりしました。修煉の中では偶然のことはないことを知っていますが、彼女が私たちのプロジェクトの担当者であることが幸いでした。

 ある時、プロジェクトのコーディネーターが難しい課題にぶつかり、区域の理事は彼女にクレームをつけ、すべての教師を集めて彼女に不利な悪い評判をたてようとしました。そのつらい時、自分が正直で行うべきだと思った私は理事の意思に反して、事実通りに彼女と付き合う経験を語りました。後にこれを知ったこのプロジェクトのコーディネーターは驚きを隠さずに、私の内面に固い価値観があると言いました。彼女は私が法輪大法を修煉していることを知り、中国城で真相を伝える姿を見たこともあります。今は彼女に会うたびに、そばに他の教師、同僚または理事がいると、いつも私に法輪大法と中国で1999年から続けてきた迫害を皆さんに知らせるよう促します。私の行ないから彼女は大法の力と素晴らしさが見え、一方私もこんな彼女を嬉しく思います。

 法輪大法は素晴らしくて、純粋で、神聖なるものであり、その修煉者は世界中で最も良い人たちであり、こここそが浄土だと思います。他の同修に会う時、彼らの行動や品格から大法の力が感じられます。性格はそれぞれ違いますが、彼らはみんな善良で、正直で、信頼のできる人々です。これは昨今の社会では珍しいのです。私と一緒に各経験と機会を共有する同修の皆さんに感謝します。

 私の生活を楽しく、幸せに変化させた法輪大法に感謝します。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/13/372320.html)
 
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