円満成就に向かって私は勇猛精進します
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 【明慧日本2019113日】

 尊敬なる師父、こんにちは

 同修の皆さん、こんにちは

 私の名前はクリスティーン・ロフトス、カナダのオンタリオ州バリーから来ました。法輪大法を修煉してから1年半になりますが、私の身に起きた変化は言葉で表現し切れないほど素晴らしいものでした。

 19989月、私と兄弟はバリーの健康博覧会に参加し、そこで私は法輪功を知り、最初はヨガや太極拳のようなものだと思っていました。私は『法輪功』と『轉法輪』を読みましたが理解できず、辞書を引きながら教科書の知識を学ぶやり方で読みましたので、なかなか深く理解できませんでした。少しずつ読み進むにつれ、段々とそれが唯一、無二の法であることに気づきました。しかしこれよりも私が言いたいのは、縁があってこの宇宙の大法を得た私がいかに幸運だったかをわかってほしいのです。

 大法を修煉する前の自分についてあまり深く思ったことがありませんでしたが、ここで比較のために皆さんに過去の自分がどんなであったか紹介します。昔の私はよく偽の身分証を使って友たちとバーに行ってお酒を飲んだり、タバコを吸ったり、ひいては覚醒剤までも使っていました。そして髪を染め、へそにはピアスをつけ、嘘ばかり言っていましたが、それが本当に良くないことだと自覚すらしていませんでした。小さい頃から万引きして欲しいものを手に入れていましたが、誰にもばれず、だんだん利己的になっていった私ですが、心から何も楽しめていませんでした。

 『轉法輪』の第7講を学んだとき、アルコールが煉功者に害があると知り、お酒をやめました。周りから不思議だと思われましたが、私はさらにタバコも覚醒剤も全部やめただけではなく、より誠実な人間になれるように努力しました。それから私はおへそにつけたピアスが気になり、3回に渡って人に頼んで取り外そうとしましたが、忙しいとか、店を閉めたとか、私が指名した人がいないとかの理由で出来ませんでした。これに対して、その物質自体が私の修煉に何か影響があるのかと考えました。修煉による体の変化は他の空間で顕れるものだと書かれていたのを思い出しました。李洪志先生は『轉法輪』の中で、「先生、わたしは不妊の手術を受けました、あるいはわたしは何かを摘出されましたが、それでも煉功できますか、とわたしに聞く人がいますが、それは影響ありません。他の空間の身体は手術を受けておらず、煉功はあちらの身体が作用しているからです」と説かれていたので、ひょっとしたら、あのピアスも将来、自然に消えるかもしれないと思いました。

 しばらく真面目に修煉していましたが、ある日突然、自分は修煉をこのまま続けられるのだろうか、と疑問に思いました。しかし、法輪大法は素晴らしいものだ、いくら難しくても続けるべきだと私は自分に言い聞かせました。ここまで来て容易だったことも非常に難しくなり、自身の業力が大き過ぎて消えないのではないかと心配しました。例えば、以前は座禅を1時間もできていましたが、少し怠(なま)けているととても難しく感じるようになりました。そのような状態が数週間も続く中、ある日『轉法輪』を読んでいる時、「将来、あなたに錯覚を与えて、それらすべてが存在しておらず、みんな偽物だ、とあなたに思わせるようなことも起きるかも知れません。動揺するかどうかを試すのです」と説かれていました。私は、どんなことがあっても法輪大法は素晴らしいものだ、これだけをしっかり覚えて、動揺せずに円満成就を達成するまで修煉し続けようと強く思いました。

 私は法を広めることにいつも熱心で、引っ越しして他の地域に行って法を推進しようと思いました。若い自分には仕事や家庭、子供などの縛りがないので、年取った他の同修より動きやすいと思いました。また私が選択した専攻はトロント大学にしかないものですが、そこには大法を修煉する人がすでにたくさんいるので、私は大学に進学するよりも仕事を探して、経済的にも独立できると思いました。しかし、冷静に考えてみると、修煉の道は自分で按排すべきではないことに気づき、トロント大学を申請することにしました。しかし1カ月を切った頃、やはり修煉する人の少ない地域の大学に行く気持ちが強かったのです。待っている間にトロント大学から私が希望していた専攻科を提供してくれました。それで、そっちは煉功場も多いし、兄弟と一緒にいることもできるのでまたも動揺し始めました。これはとても利己的な考え方で、私の大きな執着心の現れです! このことを通じて私は、一部の中国の同修たちは大法を守るために、仕事や学位を放棄してまで中国国内へ行きましたが、向こうで考えを変えればまたカナダに戻ることができると言われても、動揺しなかったことを思い出しました。それに対して私は自分の困難を重く見るばかりで、大法をより多くの人に紹介することを忘れていました。私は自分のトロント大学の申請を再び他の地域に修正しました。

 私にはもう一つの執着心、つまり「情」を重んじる心があります。昨年の交流会で私はあるアメリカから来た同修と知り合い、その後、いつもネットで連絡を取りあっていて、お互いに大きな縁を感じました。しかし、彼はアメリカを離れて中国へ行きました。私はなぜ彼が向こうに行ったのか分かっていますが、心の中では淋しくて悲しかったのです。李洪志先生は『轉法輪』の中でこのようにおっしゃいました。「もともと肉にあまり執着せず、あってもなくても意に介さない人もいます。このような人は、この状態を一週間か二週間持続すれば、この心を削りとることができます。一ヵ月、二ヵ月、三ヵ月、場合によって半年、持続しなければならない人もいますが、よほど特別な事情がないかぎり、一年経たないうちにまた食べられるようになります。それは肉がすでに人間の食べ物の主要な部分となっているからです」  執着心を取り除くには時間がかかりましたが、情を放下した私の心は完全に穏やかになりました。

 私の母親も法輪大法を修煉し、かなり精進しております。今回の交流会に参加できませんが、母のことにも少し触れておきます。母から聞いたことですが、ある日、高速道路で長時間運転していたため、疲れと眠気に襲われた瞬間、アクセルを踏んでしまった足を誰かに力いっぱい放されて、目が覚めた母親は安全に目的地に着きました。また母親にも飲酒の習慣がありましたが、今では酒をやめ、両親が親友を訪れる時にはお酒ではなく、その他の飲料水を持って行くようになりました。

 私にとってはもう一つ「恐怖心」という執着心があります。予想外のことが発生したら、パニック状態になりやすいのです。例えば、制限スピードより大幅に遅いスピードで運転したり、高いところを怖がったりしましたが、修煉者としてどんなことも恐れず、自然に任せて従うべきだと分かりました。言うのは簡単ですが、実際にやるととても難しいのです。数週間前にも中間テストが忙しくて、ほとんど煉功できませんでした。ある時、少し休憩しようと思い目を閉じたら、血まみれの痩せた手が見えました。目を開き、私は心を動じずに、再び目を閉じて目の前の現像を排除しました。

 修煉の中で、私が感じ取る変化はますます大きくなり、常に体が整えられたり、清められたりするのが感じられ、たぶん自分の体が敏感だからと思いました。座禅の時に暖かい流れが私の頭から足まで、また足から頭まで繰り返して流れることも感じられます。この間、私は1人で勉強をしている最中、突然分けも分からず泣き出したので、お手洗いに行き咳をし始めました。落ち着いてから鏡の中の自分を見ると、顔にも変化が起きたようで、初めて本当の自分に向き合う感じでした。とても和やかで、微笑みがずっと口元に残され、こんな自分を見てとても気持ちがよくなり、「君はどこから来たの? ようやく君を見つかった…」とつぶやきました。

 皆さんは分からないと思いますが、私には仲良しの双子の兄弟がおりますが、幼い頃から一緒に遊び、一緒に勉強し、共通の友人がおり、共通の趣味がありました。昨年の夏に彼は大学に進学しましたが、私は家に残りました。兄弟が離れていくのが現実になりましたが、私は自分の修煉の道を歩まなければなりません。バリーの煉功場には古い学習者が少なく、ほとんど新しい学習者ですので、質問された時には自分の理解が浅いか、あるいは確実でないために、私はある他の学習者にいつも答えさせていましたが、その人物が私のもう1人の双子の兄弟です。彼が私家r離れることによって、私が人を頼る執着心を放下する時になったと覚悟しました。そのためにある意味では嬉しかったのですが、いざ彼から離れると悲しくてたまりませんでした。人を頼る感情は取り除くべきだとこの感情を無視して排除しようとしましたが、どこかまだ不自然なものがあると感じました。それにしても私は必ずそれを修煉によって放下しようと決意しました。私は大声で泣き出し、顔面が刺されたように痛く感じましたが、不思議に心は穏やかでした。泣き終わってから私は全身軽くなり、涙と一緒にその執着心も流し出たのでしょう。現在は兄弟が実家に戻って来ても、「あ、もう一人の同修が帰って来て、この週末に一緒に煉功ができる」とただそう思うようになり、私の気持ちが以前とは変わりました。

 私にはまだまだ多くの執着心があり、放下すべき悪い習慣もたくさんありますが、私は最大限に力を尽くして努力をして、それらの執着心や悪習を取り除き、修煉の道を勇猛精進していきます!!

 ありがとうございます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2000/3/25/3082.html)
 
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