同修との交流をきっかけに 自ら内に向かって探す
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年4月26日】私は今日、街で年上の文さんに偶然会いました。文さんは昨夜見た夢の話をしました。

 「あるおばあちゃんが一人の女性と私に、籠いっぱい入れた落花生を渡しました。女性のほうの籠の落花生は粒が大きくて美味しそうでしたが、私のほうの籠の落花生は小さくてしなびているものばかりでした。私は納得いかず、おばあちゃんに女性と同じものを要求しました。私のしつこさにうんざりしたおばあちゃんは、仕方なく大きい落花生をくれました。私は大満足して籠を持ち、駅に向かい家に帰ろうとしたその時、「列車が行ったのでもう間に合わないよ!」とおばあちゃんの声が聞こえました。私は、「大丈夫、次の列車に乗って帰ろう」と思った矢先に、「もう遅い! 最終列車は既になくなっている」と気づきました。

 文さんの話を聞いて私は「修煉は厳粛なものであって、強すぎる利益を求める心は取り除かならないという師父のご啓示だと思います」と文さんに警告しました。文さんもうなずきながら、「全くその通りです。全ての人心を一刻も早く取り除かなければなりません」と反省している様子でした。

 普段の文さんは「三つのこと」をしっかり行っているものの、利益への執着が強いのです。例えば、彼女がお土産に5キロの玉子を親戚に贈った時、そのお返しが見た目の悪い少しの麺類だったことを不満に思い、ご主人に愚痴をこぼしていたとか、買い物をする際に、スーパーの備え付けの袋を、1枚余分にとってしまったのを店員さんに見つかってしまい、叱られたことに対して、彼女も怒って、結局、買物をせずに帰ってしまったなどのような日常的な出来事を、私はよく耳にします。ただ、後で必ず「内に向かって探す」ことは欠かしていないので、修煉者の自覚はできていると思います。

 私は文さんの話を聞いて、内に向けて探してみました。すると、私も同様に取り除かれていない強い利益に対する執着心を見つけました。例えばある日、梨を買う時に「梨を1キロほどはかってちょうだい」と店員さんに頼んだところ、計りに入れられたのは、まだ青っぽい小さな梨ばかりでした。大きな梨は陳列用の見本だけだと気づいた瞬間、私は自ら黄金色で大きく美味しそうな梨はないかと満足するまで選びました。そして梨の選別に気を取られ、店員さんに真相を伝えることすら忘れてしまいました。ところが、その梨はオートバイで運ぶ途中、家を前にして地面に落ちて台無しになってしまいました。私はそれは自らの修煉における漏れだと悟り、師父にご心配をおかけして、心の底から申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 ある日の事、もう一人の年上の同修の容さんから「座禅にしても発正念にしてもすぐ入定ができ、その感覚は言葉で言えないくらい玄妙で大変気持ちが良く、時間が経つのをあっという間に感じてしまう」という話を聞きました。私はずっとその境地に憧れていましたが、各種の人心に妨害されて、なかなかそこまで到達できないでいました。普段、容さんが買い物をしている様子を見ると、商品に対して全く選ぼうとせず、まるで頭の中に選ぶという発想がないかのようです。容さんに出会い、高い境地というのは私達が意識的に行っている行為ではなく、利益に対する執着心が取り除かれた後、自然に表れる状態ではないかと思いました。

 容さんも半年前に見た夢を私に語ってくれました。それは、容さんが見渡すと果ての見えない長い回廊があり、その回廊の両サイドに大勢の人が立っていて、容さん一人だけが真ん中を歩いているという夢でした。その中で、両サイドの人々は容さんの姿が見えると興奮気味の表情をしており、その期待と幸せいっぱいの眼差しがとても印象的だったそうです。その人々は自らの救い済度する衆生だと容さんは悟ったそうです。

 この夢を見てからというもの、容さんは「関」と「難」が目の前に現れてくると、「また私の心性を向上させてくれるためにやってきたのか!」と喜びをもって臨み、自らの世界の衆生の期待を裏切らないように何倍も精進するようになりました。また以前ならば、息子が怒鳴ってきた時、うわべでは我慢できていても、心の中で「目上の私に向かってどうしてそういう態度を取るのか!」と非常に憤慨していました。しかし今では、息子さんが怒ってきてもニコニコしながら「また私の心性を高めるためにきてくれた!」と考えるようになりました。すると、息子さんの態度は変化し、そして謝るようになり、時には容さんの機嫌をとるために踊ったりする事もあります。今ではもう息子さんの怒鳴り声もほとんど聞こえてこなくなりました。容さんの心性は一直線に向上し、心の持ち方も変り、トラブルと魔難による妨害が少なくなりました。また煉功しても、すぐ入定できるようになりました。まさに師父の言われた「修は己にありて、功は師にあり」(『轉法輪』)です。

 私はこの容さんの話に励まされました。私はこれからいっそう奮いたって精進したいと思います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/6/289643.html)
 
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