文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年6月11日】2000年4月、ある出来事が起きました。私は「方」という名の警官に連行されました。北京の天安門広場から北京駐在所に行く途中、彼は「あなたは人を許さない」と私に言いました。私はこの言葉を聞くと、しばらく言葉を失い、非常に恥ずかしく思いました。その警官は1999年7月から、ずっと大勢の大法弟子との接触があり、修煉のことについて少し分かっていたのです。その時、私は自分の心の中の非常によくない心に気づき、私にとって、この事はずっと忘れられない出来事になりました。
修煉というのは絶えず人心を取り除くことです。しかし取り除く過程で、私は「人を許さない」心を取り除く事を苦しく感じました。表面的に見えるものは、ただ一つの良くない心だけなのに、実際によく見てみると、それは多くの良くない心が組み合わさったものです。これは、真相を伝える中で、世の人々を救い済度するのを妨げています。真相を伝える時に、いつも自分の言い分を通し、人を説教しがちです。結果は皆さんにも想像できると思います。そのため、私は悩んでいました。
師父は「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]とおっしゃいました。私は学法を通して、洪大な寛容さが修煉者のあるべき状態だと分かるようになりました。そして、私は「人の良いところを見よう」と心がけています。私は、師父がおっしゃった「比して学び比して修す」[2]について、「私達はお互いに励まし合いながら修煉する」ことだと個人的に理解しています。
人々に真相を伝えるとき、私は常人の執着心によって、真相を伝えることが出来ませんでした。修煉の向上につれて、能力もますます高くなります。自らの執着心の妨害がなければ、人々に真相を伝える事自体はたいしたことはありません。話かけるチャンスさえあれば、私は相手の心理状態と健康状態をも察知することが出来ます。いつも相手の健康上の問題点をよく言いあてることができるので、私は人々の心をつかむことができました。その上で相手に大法の真相を伝えれば、良い効果を得られます。周囲の人は私の特別な能力を羨ましく思っています。皆には「法輪大法がこの能力の源です」と私は言っています。
私は9年間、ずっと一人で暮らしていました。私は、その間いろいろな苦難を乗り越えてきたので、この「人を許さない」心をすでに消去したと思い込んでいました。しかし、昨年の事ですが、息子が突然、私のところに帰ってきた時、私の中に、その「人を許さない」心が現れました。10年前、私は息子とやむなく離ればなれになっていたのです。それ以来ずっと会っていないので、私達はお互いによそよそしさを感じていました。ある日、私は息子の良くないところを指摘した時、彼は「母さんも同じでしょう」と言いました。私は「本当? 私も同じ?」と心の中で何度も考えました。そして私は悟りました。
息子は私を映す鏡です。師父は1枚の鏡を私のそばに置かれたのです。私はいつでも自分を映すことが出来ます。その後、再びトラブルに出会った時、私は突き当たることはせず、一歩退いてみるようになりました。すると、だんだん息子との関係も親密になってきました。そして夜中の発正念の時間になると、息子から一声掛けてくれました。
中国には「屋鳥の愛」ということわざがあります。つまり、人を愛するとその人の周囲のすべての人や物を愛するようになるというたとえです。あるとき、突然、私はこのことわざを思い出しました。私は「人を愛するならば、その人の良くないところも愛するようになるのではないでしょうか? これは寛容ではないでしょうか? しかし、常人のいう寛容は条件がついたり、利己的だったりします。ですから、ある人を嫌いになると、その人の良いところも嫌いになります。しかし、修煉者の寛容は、大空のように博大で、しかも無条件なのです。
師父は「事々対照し なすところ到るはこれ修なり」[2]と教えてくださいました。師父の法理を知るのは容易なことかもしれませんが、法に従ってやり遂げることが難しいのです。しっかり修めなければなりません。
師父に感謝いたします。同修に感謝いたします。
合掌。
注﹕
[1]李洪志先生の経文:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
[2]李洪志先生の詩:『洪吟』「実修」
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/8/31/141771.html)