二言三言:善意を持って理解し消極的な想像を突破する
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文/中国の大法弟子 常楽

 【明慧日本2014年8月16日】ある時、私は同修Aさんからあることについて聞かれました。私はそのことにあまり詳しくなかったので、よく知っている同修Bさんに聞くようAさんに勧めました。BさんはAさんの欲しい情報を確実に知っています。しかし、そのことをAさんに話すと、Aさんは困った様子で、「他の件でBさんに聞いているが、まだ返事が来ていません。ですから、Bさんに聞いても仕方がないです」と言いました。私はAさんを説得すると、Bさんは「試してみます」と言いました。その後、AさんとBさんがどうなったのかを知りませんが、このことを通して私は考えさせられました。私たちの修煉の中に、このようなことは多く見られます。相手がどう考えているのかを知らずに、一方的に相手のことを消極的に見ていることが多いのです。

 その日の夜、私も同じようなことを体験しました。パソコンを開けると、その夜に来るはずのメールが来ていません。その時、私は直ちにある一念が生じました。「もしかしたら、私がCさんに転送した提案が気にいらないのかもしれない」と思い込みました。私は意気消沈したような感覚に陥りました。

 しばらくすると、いきなり師父が『二〇〇二年ボストン法会での説法』の中で語られていた、「洪大な寛容」と「全てに対して善意をもって理解するという状態なのです」という法理を思い出しました。法に照らしてみると、私の考えは消極的ではないでしょうか? 私はどうして善意の角度で人のことを見ないのですか? 同修には考える時間が必要なのかもしれません。忙しくてメールに気づいていないかもしれません。他のことで手が離せないかもしれません。仕事と家事に追われて、しばらく休みたいのかもしれません。他の苦労があるかもしれません。

 いつも、私たちは広く深く交流することを話していますが、私たちの思い通りにならない事がたびたびあります。多くの場合、私たちは自分の観念と良くない思考方式に固定されています。同修と交流するとき(世の人々に真相を伝えるとき)、否定的、そして消極的な思考で勝手に相手のことを想像します。この中に旧勢力が私たちの人心を利用し、直接私たちの思想を干渉する要素も含まれています。ここまで考えたら、私はなぜAさんの出来事が発生したのかが分かりました。同時に、自分が以前にしたこと、そして、これから法を正す中でどうすればさらによくなるかが分かりました。師父に感謝いたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2002/7/9/33056.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2002/7/19/24245.html)
 
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